聖母の美しさ

 

 

聖母から司祭へ1988.12.8

 

 どんな罪も、原罪さえもまぬがれたわたしの魂は、神の命に満たされ、わたしの知恵は、英知の聖霊にみたされて、神のみことばを理解するようになりました。また、わたしの心は、愛の最も完全な姿につくられ、わたしの体は、処女的潔白さの清い光に包まれました。

 あなたたちの天の母であるわたしの、超自然的美の輝きを仰いで、天のわたしの香りのうるわしい波についてきなさい。

 わたしのこの美のうちにこそ、あなたたちの希望と慰めとの深い理由がひそんでいます。

 わたしの敵が罪と不潔の汚れで、あらゆるものを汚すのに成功した今日において、わたしがあなたたちの希望の星となっているのは、わたしが完全な美であるからこそです。

 

 

世のひかり社/『メデュゴーリエの丘から祈りと平和のメッセージが!』/P95

 

イェレナへの言葉

「あなたは、どうしてこれほどまでに美しいのですか」

「私は愛しているから、これほど美しいのです。美しいものでありたいならば、愛しなさい」

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P271

‘88・8・9 ローマ

 

イエス?

 

♡ 私です、最愛の霊魂よ どんなにあなたを愛するか。 教会は私を通して生き返る あなたを通して自らを現すのを許してもらいたい、我がミルラよ、あなたの主である私をよい香りで包みなさい、私は聖心を示した、私の道を教え 真理に導くために 霊魂よ あなたのもとを訪れた、あなたの時代は真理を探し求めているが、その真理とは愛 ♡ しかし彼らのうちには愛が見当たらない、彼らにとって私の名は(*)、もはや意味を持たない、しかし我が慈しみは私を蔑む者たちの上に大きく注がれている ♡ 被造物は私のやり方を捨ててしまい、盲(めしい)の道案内に導かれるままとなった。 私の掟に反逆し、私のでない掟を教えている、 被造物よ! 奈落にどれほど近づいているかが分かるなら! 互いを迫害するかわりに 心を配り合いなさい(**)、私の道、知恵の道を学びなさい、すべての行為も思いも 愛に覆われるように ♡♡

 *その名は LOVE

 **教会の人たちが

 

花よ、私はあなたの献身的な世話係 だから信頼しなさい、我が光のもとで護り、私の露で養っている、非常に大きな好意を寄せている私、あなたの神に信頼しなさい、いつも近くにいて美しく飾る、私は−完全に−忠実な−者(I‐Am‐All‐Faithful)、来なさい、「私たち」、私と一つになるように ♡

 

ありがとうございます、わが神よ。神に包まれ、神の美しさをちょっとだけ垣間見て、非常に嬉しい心地でした。

 

 

天界と地獄414

 

 天界にいる者たちは絶えず生命の青春に向って進んでおり、数千年生きれば生きるほど、その到達する青春は喜ばしく、また幸福になり、しかもこれは永遠に続き、彼らの愛、仁慈、信仰が進むに応じ、またその度に応じて増大している。年をとって、老齢のためやせ衰えて亡くなった婦人たちも、もし主に対する信仰と、隣人に対する仁慈とに生き、夫と幸福な結婚愛に生きたならば、年の経過につれて、益々青春とうら若い女性時代の花盛りに入り、地上の美からは考えることもできない美に入って行く。善良と仁慈とが彼らの中にその善良と仁慈そのものの姿を形作り、また示しており、仁慈の喜びと美とをその顔の凡ゆる線から、実にその最小の線からも輝き出させ、かくて彼らは仁慈そのものの形となっている。仁慈の形は、天界ではそのあるがままに見られるが、それは仁慈そのものが表現し、またその表現されたものであり、しかもそれは天使全体が、とくに顔が、いわば仁慈であり、それが明らかに目に見え、また明らかに認められるようになっている。この形は、目に映じると、言うに言われぬほど美しく、その最内部の生命そのものに仁慈を覚えさせる。約言すれば、天界では老いることは若くなることである。主に対する愛と隣人に対する仁慈とに生きた者たちは他生ではこうした形、またはこうした美になる。天使たちは凡てこうした形であって、それは無限に変化しており、天界はこの形から成っているのである。

 

 

天界の秘義1470

 

 「ねがわくは見なさい、わたしはあなたが見るに美しい女であることを知っています」。これは天的な起原から発した真理は歓ばしいものであることを意味していることは見るに美しい女の意義から明白である。天的なものであるところの、または天的なものから生み出された真理はことごとく内なる人の中では幸いなものであり、外なる人の中では歓ばしいものであり、天的な天使たちのもとでは、そのように認められているが、しかしそれが天的な起原から発していないときは全く異なっているのである。内なる人の中には二種類の幸福があり、それに外なる人における二種類の歓喜が相応しており、一つは善のものであり、他は真理のものであって、天的な幸福と歓喜とは善のものであり、霊的な幸福と歓喜とは真理のものである。真理それ自身には幸福と歓喜とが伴っていることもまた知られているが、しかしこれらは真理が天的なものから発している時にのみ本質的にそうしたものとなっているのである、なぜならそのときは真理それ自身もまた天的なものとなって、天的な真理と呼ばれるからである。比較して言うなら、そのとき真理は、その胸の中に熱を持って、そこから地上の凡ゆるものが生長するようになり、いわば生気を与えられ春の太陽の光に似ているからである。この天的な真理は美しいものそれ自身であり、または美それ自体である。これがここに『見るに美しい女』と呼ばれている真理である。これらの言葉の中にさらにいかようなアルカナが含まれているかは以下に明らかにされるであろう。