聖母の務め・役割

 

1.聖母から司祭へ

2.ヴァッスーラ

 

 

1.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ1974.12.24

 

 他の人々に愛着しないように。あなたがたの唯一の愛は私であって、あなたがたの母に対するものだけです。そして私はあなたがたの母として、わが子イエズスだけを残り無く愛するその愛へあなたがたを連れてゆきましょう。イエズスなしでは生きられないところまであなたがたを導き、彼への愛があなたがたの生命となるようにし、彼があなたがたのうちに、もう一度真実に生きたもうようにしましょう!

 

 

聖母から司祭へ1975.8.13

 

 そうです、あなたは彼らをみな私の汚れなき心に奉献しました。もう私のものです。私に属しているものです。イエズスがお望みになるように彼らを養成するのは私の務めです。

 

 

聖母から司祭へ1975.10.30

 

 私自身が、教会の中で、常に大きくなっていく印によって、私をいっそう表わす時が来ました。

 私の涙は、母の悲しみの心にみんなを引きつけるために、多くの場所で流されます。

 一人の母の涙は、最も頑なな心をも感動させることが出来ます。多くの子らは今、私の涙、血の涙さえも無関心のうちに顧みません。

 私のメッセージは、真理を告げる司祭たちの声が小さくなればなるほど、いつもいっそう多くなっていくでしょう。

 多くの司祭たちの背信によって、こんにちどれほど多くの私の子らが、神の言葉の霊的な飢えの中で苦しんでいることでしょう。

 あなたがたの生活のために、最も重要な真理は、今日もう宣べられていません。それはあなたがたを待っている天国、あなたがたの救いをもたらすわが子の十字架、イエズスのみ心と、私の心を傷付ける罪、毎日数えきれないほどの霊魂が落ちて行く地獄、祈りとつぐないの緊急な必要性などのことです。

罪がペストのように広がり、霊魂の滅亡を招けば招くほど、そのことについて話されません。

 現在は多くの司祭たちが、それを否定しています。

 母なる私の勤めは、わが子らの魂に糧を与えることです。司祭たちの声が、消されれば消されるほど、母なる私の心は叫ぶでしょう。

 

 

聖母から司祭へ1980.7.13

 

 私の母としての役目は、私の子らがみんな救われるように、あらゆる手段を使って助けることです。そうです、私の役目は、こんにちでも、やはり、わたしのおん子イエズスのあがないに、ひじょうに独特な方法で協力することです。やがて、まことの母としての、またあがないの協力者としての、私の役目は、すべての人に明らかになるでしょう。

 

 

聖母から司祭へ1982.6.19

 

 この時代に、聖なる三位一体が、私の汚れなき心にまかせてくださった役目を、世界も教会も認めねばならないときが来ました。

 

 

聖母から司祭へ1988.12.24

 

主の第二の光栄ある誕生は近づいています。

 ですから、あなたたちの時代のこの暗闇の中に、あなたたちに主を歓迎する準備をさせるのは、母としてのわたしのつとめです。わたしが最初の誕生のときに歓迎したように。

 

 

聖母から司祭へ1988.12.31

 

―わたしの母としての役目は、毎日、わたしの子イエズスのみ前で、あなたたちのために取り次ぐことです。心配して注意する母のように、善と愛と聖徳の道を歩むために必要な恵みを、あなたたちみなのために、取り次いでいます。

罪人であるわたしの子らのために、わたしは、悔い改めと改心、そして主にたち返る恵みを取り次いでいます。

 病気であるわたしの子らのために、わたしは、すべての苦しみの意味を理解し、柔和な心をもって苦しみを受け入れ、愛をもってこれを捧げ、信頼と主のみ旨に対する子どもの従順によって、各々自分の十字架を担うことのできる恵みを与えます。(中略)

―わたしの母としての役目は、今日、世界で犯されている多くの悪をつぐなうことにあります。

 

 

聖母から司祭へ1989.2.2

 

 イエズスの使命の神秘のうちに、わたしの母としての役目である使命も親密に結ばれています。

 その証拠として、老シメオンは、「剣が、あなたの魂を貫くでしょう」といいます。

 それで、母としてのわたしの役割は、あなたたちみなにイエズスをもたらし、イエズスにあなたたちみなをもたらすことにあります。

 あなたたちの主であり、救い主であるイエズスの所に辿り着きたいなら、あなたたちの歩まねばならない道は、わたしです。

 わたしは、あなたたちをイエズスの所に導いてあげます。

 

 

聖母から司祭へ1989.5.14

 

 大きな赤い龍とは、神を否定し、神を頑固に拒絶するという“まちがい”をどこにでも広めてきた無神論的な共産主義のことです。

 大きな赤い龍は、また、マルクス主義的な無神論です。そのうえ、十の角をもっています。それはすなわち、その手ににぎられているマスコミの力づよい武器を示しています。この武器によって神の十戒にそむくように人類をみちびいています。この龍にはまた、七つの頭があります。そして、それぞれの頭に七つの冠があります。それは、権力と王権のしるしです。冠のある頭は無神論的な共産主義が権利をにぎり、そのイデオロギーのもとに、政治的、軍事的権力をもって支配している国々を示しています。

 大きな龍と呼ばれる理由は、龍が共産主義的な無神論の無敵の支配をもって全世界に大きく君臨しようとしていることを示しています。

 その龍の色は赤です。それは、多くの占領の道具として戦争と流血を用いるからです。

 

 大きな赤い龍は、いますでに、世界中のすべての国をまどわしてしまった論理的また実践的無神論の謬説をもって、人類を占領するのに成功したのです。

 こうして、無神論に基づく唯物的利己主義、快楽主義の不毛で冷淡な新しい文化をつくりあげました。しかし、この文化の中には、堕落と死の種が潜んでいます。

 

 大きな赤い龍は、全人類が、神の支配に服従し、聖三位に栄光を帰することを、また、おん父が、おん子を通じて、人類をご自分の光栄のためにお創りになったそのご計画の完全な実現を妨げるために、悪魔的な役目をもっているのです。

 主はわたしにその光をまとわせ、聖霊はその神的能力をまとわせてくださいました。そのためにこそ、わたしは「壮大なしるしとして天に現れた太陽に包まれた婦人です」(黙示録12・1)。

 それは、全人類を大きな赤い龍の支配から取りもどし、聖三位一体に完全な光栄を帰するためにつれもどす役割りを、わたしがもっているからです。

 

 

聖母から司祭へ1995.12.31

 

 わたしの務めは、あなたがたのあらゆる汚れを洗い清め、あらゆる苦しみにおいてあなた方を慰め、あなた方が落胆しているとき自信をつけてあげ、あなた方が孤独の時に大きな希望を持たせてあげることです。

 あなた方が世に在っても世に属していないように、あなた方を助けるのです。(ヨハネ17・14−16参照)

 それはあなた方が、いつも皆、わたしの子、イエズスのものであることを望んでいるからです。

 

 

聖母から司祭へ1996.1.1

 

 わたしの御子イエズスは、わたしがあなたがたの母であることをも望まれました。こうしてわたしは、イエズスによってあがなわれ、救われた人類の母となったのです。私の役目は、母として、歴史の経過の中で、わたしの全ての子供たちの出来事に付き添ってゆくことです。

 

 

聖母から司祭へ1997.1.1

 

 わが子イエズスは、ご死去のま際に、あなたがたすべてに母としてわたしをお与えになりました。あなたがたにたいするわたしの母としての役割は、イエズスの、神としてのご人格(ペルソナ)の神秘を理解するようにとあなたがたを導くことです。

 

 イエズス・キリストは唯一の救い主です。

 

わたしたちと共にあられる神です。

 聖夜の神秘においてあなたがたは、神があなたがたみなと一つとなるために、どれほどへり下ったすがたをとられたかということを理解するでしょう。神は人間性をとられました。時間と空間の限界をご自分に課し、被造物とまったく変わらない姿で生まれ、かいば桶に寝かされ、すべての人間と同じリズムに従って生活されました。

 彼はあなたがたと同じように幼い子供でいらっしゃいました。少年、及び青年時代を過ごして成長し、あなたがたと同じ感情を経験されました。愛に敏感で、苦しみに傷つきました。友のために喜び、敵のために苦しまれました。

 

 

聖母から司祭へ1997.1.1

 

 母としてわたしの役目は、あなたがたの神であり救い主であるイエズス・キリストのもとに、あなたがた皆を導くことです。こうしてのみ人類は、平和というこのうえなき貴重な善を楽しむことができるでしょう。

イエズスは、あなたがたの平和です。

神と人類の間の平和。神の子となり、ただ一つの家族を構成するようにと呼ばれたあなたがたお互いの間の平和です。

 平和とは愛の果実です。

 平和は善意から生まれます。

 平和は全ての人々の間に調和と兄弟愛をもたらします。

 真の平和を築くためには、平和の王であるイエズス・キリストを迎え入れることが必要です。

「み言葉を受け入れた者、その名を信じた者には、神の子となる権能を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の意志によってでも、また人の意志によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1・12)

 

 

2.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/あなたは預言を無視しますか/P148

 

 私は誰からも、私の光を取り上げはしない。一人として 闇に囚われたままの者はいないだろう。私の父は心配のあまり 深く悩んでおられる。不信心な棄教の世代のために 父が用意しておられた報いは今 まさに人々の門の前にある。彼らの無秩序の世界に、そのうちに私を宿した船(聖母マリア)を遣わそう、砂漠の一滴の朝露のごとく私が彼らのもとに行かれるように、みことばを新たに彼らに送ろう。私が母を人々のもとへ送るのは 人々に少しずつ私の道を教え 私を侮辱する者たちを矯正してもらうためである。私自身も、死者を甦らせるためにこの砂漠に下ってゆこう。教えと知恵が 無償で人々に与えられるだろう。私たちは行く 私たちの心臓を彼らに提供するためにたずさえて。そして並び立つ二本の灯火のように、母と私は人々を照らすだろう。私は自分の計画を実行するのに遅滞することはなく 慈悲の時代がすべての人々に与えられるだろう。それゆえ私は この時の終りの時代に 今は崩壊しているものを築き上げるために使徒を生み出そうとしている。私は彼らに 私の名において証しをさせるために派遣するところだ。

 

 

私は彼らの口を開かせ、そこをみことばで満たそう、そうすれば彼らの言葉は剣のようになるだろう。