聖母の御言葉は厳しい
聖母から司祭へ1993.11.23
唯物論と快楽主義がどれほどこの大きな国を脅かしているかをごらんなさい。
快楽、金銭、安易な生活、娯楽、不潔の追求が、多くの人にとって生活の唯一の“あこがれ”となっているのです。
そのために、小さな人々は悪の道にさそわれ、青年たちは悪徳と麻薬のとりことなり、家庭は離婚と利己的な生命の拒絶によって破壊されています。
迷ってしまったこの哀れなわたしの子らを、父の家に連れもどしなさい。このために、あなたたちは、イエズスがあなたたちに任せてくださったすべての秘跡、中でも罪の赦しの秘跡をもって、恵みと聖徳の忠実な奉仕者となりなさい。
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P186
マリアが言われる。
「多くのことを語りません。私のことばは、すでに教訓だからです。けれども、妻たちに注意を促したいことが一つあります。あまりにも多くの婚姻の絆が、いつの間にか不和、分裂に至ることです。この多くは、夫に対しての思いやり、同情、慰めなどとなる愛を知らない妻たちの責任です。
男には、女にのしかかっている物理的な苦労はあまりありませんが、多くの精神的な苦労に圧倒されることがあります。仕事のこと、さまざまの決断、世間、または家族に対する責任・・・。おお、どれほどのことが男にのしかかっているか!彼も慰めを、どれほど必要とするか!それなのに、疲れ切って幻滅を感じている。あるいは、落胆して心労に打ちのめされている夫に向かって、妻はむだな、時として正しくない愚痴や、不平の重荷を加えるのです。以上のことすべては、女が自己中心のエゴイストで、愛していないからです。
愛するとは、感情、または利益に自己満足を探すことではありません。愛するとは、感情と利益を超えて、愛する相手に満足を与え、希望と平和に生きるために必要な助けを与えることなのです。」