レクリエーション

 

 

1.仁慈の教義

2.天界と地獄

3.結婚愛

 

 

 

 

 

1.仁慈の教義

 

 

仁慈の教義189〜196

 

 

 

 

2.天界と地獄

 

 

天界と地獄403

 

ある霊らは、世で思いついたその考えから、天界の幸福は他の者にかしづいてもらう無為な生活にあると信じていたが、しかし以下のように言われた、幸福は仕事を休むことには決してない、また幸福は仕事を休むことに決してかかってもいない、そうした場合各々は他の者たちの幸福を独り占めにしようと願い、誰もがそうしたことを願うときは、誰もそれを得ないことになるであろう。こうした生活は活動的な生活ではなくて、無為な生活であり、そこでは能力は麻痺してしまうであろう、が、活動的な生活がなくては生命の幸福はありえないのであり、この活動から休むことはただ休養のためであって、己が生命の活動に更に熱意をもって帰るためのものであることは誰でも知ることが出来よう、と。その後、天使の生活は用であるところの仁慈の良い業を遂行することにあって、天使たちの幸福は凡て用の中にあり、用から発し、用に従っていることが多くの事柄により示された。天界の喜びは怠惰な生活を送り、何もしないで永遠の喜びをいきづく生活を送ることにあると考えていた者たちは、自ら恥じるために、そうした生活のいかようなものであるかを認めるようにされたが、それは非常に悲しいものであって、凡ゆる喜びは消え去り、しばらくするとそれには嫌忌と反感以外には何ものも感じられないものであることを認めたのである。

 

 

 

 

3.結婚愛

 

結婚愛6

 

このとき天使はその一行の人々を呼び集めて、途すがら天界について以下のように教えた、

『天界には、世と同じく、食物と飲物があり、祝いの食事、祝宴があります。主だった人々のもとには、贅を尽くした美食、えりすぐった美味しい飲物が並べられている食卓があり、それによって彼らの精神は楽しくもなり、また爽やかにもなります。また遊戯や見世物、音楽と歌の催しがあり、その凡ては最高度に完成されています。そうしたものは彼らに喜びを与えてはいますが、しかし幸福を与えはしないのです。幸福は喜びの中に在って、それで喜びから発しなくてはなりません。喜びの中に在る幸福がその喜びを真に喜びといたします。幸福は喜びを豊かにし、支え、かっくて喜びは無価値なものにはなりませんし、また軽視されもしません。そしてこの幸福を各自がその職業で用を遂行することから得ております。天使各々の意志の情愛の中に或る気質が滞在していて、それが心を動かして何かある事を行わせます。それによって心は心そのものを平静にさせ、満足させます。この満足と平静とは主からの用の愛[用に対する愛]を受ける心の状態を生み出します。そしてそれを受けることから天界の幸福が来ますが、それが前に述べた彼らの喜びに生命なのです。天界の食物は、その本質では、愛と知恵と用との結合したもの、即ち、愛から知恵によって発した用以外の何ものでもありません。それで天界では、身体のための食物は各々にその者の遂行する用に従って与えられており、それは卓越した用にいる者には、ぜいを極めており、中庸の度の用にいる者には普通ではありますが、微妙な風味があり、低い用にいる者には単純なものでありますが、しかし怠け者には(食物は)少しも与えられはしないのです。』