ナザレ

 

 

天界の秘義3301[3]

 

『頭髪』が自然的なものを真理の方面で意味したことはナザレ人から明白であり、かれらには以下のことが命じられたのである、すなわちそのナザレ人である日の間は、かれらが自らをエホバに聖めわかつ日の終わるまでは、その頭に剃刀をあててはならなかったのであり、そのとき[その日が終わってから]頭髪をかりおとさなくてはならず、またそのときそのナザレ人である頭を集会の天幕の入口で剃りおとして、その毛髪を聖さんの生けにえの下に在る火にくべなくてはならなかったのである(民数記6・5、18)。ナザレ人は主を神的な人間的なものの方面で表象し、そこから主に似た形である天的な教会の人間を表象し(51番)、この人間の自然的なものは毛髪により表象され、それで、ナザレ人は聖められたときは、かれらがその中へ生まれてきたところのその古いまたは前の自然的な人を脱ぎ棄てて、新しい人を着なくてはならなかったのであり、そのことが、かれらがその間自分自身をエホバに聖別しなくてはならない日が終わった時は、その頭髪をそりおとし、これを生けにえの下にある火にくべなくてはならないという命令により意味されたのである。なぜなら天的な人は善の中におり、善から真理をことごとく知っており、善については真理からは決して考えはしないし、また語りもせず、ましてや記憶知から善について考えたり、話したりはしないというのが、その天的な人の状態であるからである(202、337、2715、2718、3246番を参照)。さらに天的な人は、その状態を脱ぎ去る前は、いくたの地獄と戦うことができるほどにも真理の方面では強い自然的なものの中にいるのである、なぜなら地獄は善には遠くからでさえも近づくことができないため、戦うものは真理であって、決してそれは善ではないからである(それが真理と善の実情であることは、前の1950、1951番に見ることができよう)。

 

 

天界の秘義3301[4]

 

 このことからサムソンはどうしてその毛髪から力を得たかが明白である、かれについては以下のように言われており―

 

 エホバの天使はその女に現れて言った、見よ、あなたはみごもって、息子を生むでしょう、その頭に剃刀をあててはなりません、なぜならその子供は母の胎から神に対しナザレ人とならなくてはならないからです(士師記13・3,5)。

 

 その後でかれはもし自分が髪の毛を剃られるなら、自分の力は自分から去って、自分は弱くなるとデリラに話し、かれが剃られた後で、その力は去り、ペリシテ人はかれを捕らえ、その後、かれの頭髪が、その剃られた後で再び生え始めると、その力はかえってきて、かくてかれはその家の柱を引き倒したと述べられているのである(士師記16章)。