私の天使ダニエル

 

ヴァッスーラ/私の天使ダニエル/天使館/Pxxvii

はじめに

(こんにちは、私はあなたの天使)

 

 私の天使がはじめて紙に描いたのはハート。ハートの真ん中からまるでハートからのびているようなバラを。それから、驚いていると、そっと自分を守護の天使ダニエルと、自己紹介しました。びっくりさせられましたが、またとても嬉しい気持ちでした。あまり嬉しかったので、家の中をほとんど飛んでいるみたいな気がして地に足がつかず、大声で繰り返し言っていたのです、「私は地球で一番運がいい、こんなふうに自分の天使と話し合える、多分地球でただひとり!」

 

 あくる日も天使は戻ってきました。何時間も一緒に楽しく話して過ごし、その次の日も戻ってきたのです。けれど驚いたことに、今度はそれぞれに声の違う天使の大軍と一緒でした。上の方から大勢の天使たちが降りてくる物音を同時に、天の門が大きく開いた感じがして 天使たちはだれもすごく興奮し、嬉しそうです、まるで何か素敵なことが起りそうに。その喜びようから、天はお祭りかしら、と思いました。すると、天使たちは声をひとつにしてこう歌うのです、「今に嬉しいことが起りそう!」と。それが何であれ、直接私に関係したことらしいのですが、いくら考えても、見当がつきません。コーラスは一日中、間に数分沈黙があるだけで、同じ言葉を繰り返しうたい続けています。天が開くたびに同じ大合唱で。

 

 初めて神のことを天使が口にしたのは、「神は近くにいて、あなたを愛しておられます」という言葉でした。

 

 このとき、主を大変傷つけたに違いありません、というのも、この言葉になんの感銘も受けませんでしたから。神について述べた天使の言葉は、天使としては当然のこととそのとき思ったのを覚えています、天使は神のそばで暮らしているのですから。私はそれには答えず、天使もそれ以上のことは言いませんでした。

 そのたった数日後、私に対する天使の態度が急に変わり、非常に深刻になったのが分かりました。みことばを読むようにと大変おごそかに頼むのです。みことばが何か知らないふりをして、意味を尋ねました。すると天使は一層深刻に、私にはその意味がよく分かっていると言いながら、聖書のことだと説明します。私は答えがもう出かかっていました、家には聖書がないと。それはよく承知だと天使は言います。そして買いに行くようにと。それは無理な注文だわと、言い返しました、イスラム国(バングラデシュ)だから本屋にはないと。すると天使は、息子の通っているアメリカン・スクールに行って図書室で購入するようにと直ぐ言います。私は心の中で行こうか、断って家にいようか迷いました。もう一つ気になるのは夫や友達がこういうことをどう思うかでした。手に聖書を持って皆の前に立っている自分なんて想像さえできない! もし持って帰ったら家のどこに隠そうかと、もう考えています。でも天使の深刻な顔を見て、従うことにしました。それで学校に行き、棚にある何冊かのうち一冊を買い、持って帰りました。そして天使が頼んだ通りに読もうと、それを開いたのです。詩篇が目にとまり、読むには読んでも書いてあることが一切分かりません。それは神から与えられた印でした、どんなに盲(めしい)の状態かを示されたのです。

 

(清め)

天使は依然としてとても深刻な表情で戻ってくると、私が神を大変悲しませた生涯のある行為を咎めました。また神の与えられた恵みを突き返し、全然ありがたいと思わなかったことも。

 

これを手始めに、まだ認めていない罪を次々と思い出させ、示しはじめました。あたかも画面に映っているように。その出来事と、どんなに神が悲しまれたかを。けれど一番大きい咎めは、神の恵みを拒んだことでした。恵みを拒んで無駄にすることは神に大きく背くことだと天使は言います。これらの罪は、私の目でなく神の目を通して見えたのです。ぞっとするほど醜く、自分を軽蔑するあまり激しく泣きました。あとで分かりましたが、こんな状態におかれたのは本当は神からの恵みで、心から悔い改めができるためなのです。罪がはっきりと示され、霊魂の内側が表にさらされ、まるで自分が裏表になったようでした。その時突然、アダムとエワが罪を犯した後、神が光の中を近づいて前に立たれたときの感じが分かりました。霊魂は覆いが除かれて見える状態になり、むきだしで、むかつくような醜い感じなのです。それで泣きながら、合間合間に天使に向って、こう言うしかないのでした。―こんなふうにどうしようもなく“わる”だから、私なんかまともな死に方にふさわしくない、死んでズタズタに裂かれてハイエナの餌食になっても仕方ない、と。

 

 この清めは一週間近く続いたに違いありません。ちょうど火にたとえられ、霊魂の内面を掃き浄める炎のようで、本当に辛い経験でした。

 

(創り主が教えられた「天に在す」の祈り)

 すっかり打ちのめされた経験をした後に、永遠の御父がご自分を現されました。天使を心の目で見ているようには見えませんが、その方だとはっきり分かりました、それに、お声も聞こえて。私はこんな反応をしたのを思い出します、「ああ、神さまだわ。これでもう助けていただける!」。そこで神はこう尋ねられたのです、「本当にあなたが助けられたと思うか?」。私は、「はい!」と答えて、それから窓辺に立って言ったのを思い出します、「見てください! 世の中がこんなになってしまったのを見てください!」。世界がこんなふうになってしまったのをお見せしたかったのです。神はそれには何も仰らず、「天に在(ましま)す」を祈ってほしいと頼まれました。私が「天に在す」をみ前で祈ると、聞いておられ、それが終ると、唱え方が速すぎるから好きでないと仰います。そこで今度はもっとゆっくり、もう一度始めからすっかりやり直しました。それでも今度は私が体を動かすのが好きでないと。もう一度唱えるように仰しゃり、再び唱えましたがまだ満足でないと言われます。二、三回繰り返し、その都度お気に召しません。私は思いはじめていました、たった一日で一生のあいだ唱えていなかった「天に在す」を全部言わせておいでかも、と! 朝唱えはじめたのにもう夜です。そのとき突然主は満足され、私の発する一行一行に「よーし!」と喜んで仰られたのでした。ここで一つの例をあげ、本当は何が起きたかを説明してみましょう。

 

 突然遠くから今まで会ったことのない親戚が訪ねてきたとします。その人は別の国に住む人で。初めのうちはよそよそしく、もしかしたらかしこまった態度をとっているかもしれません。けれど一日が過ぎていくにつれ、ずっと打ち解けて、その日の終わりには、以前にはなかったある共感が心に芽生えているのに気づくでしょう。

 

 初めて神に出会った時はこんなふうだったのです。神に向って「天に在す」を祈るとき、初めのうちは気持ちが離れていました。主は一日いてくださり、この祈りを主に向って唱えるうちに、気持ちが変わっていくのです、主とともにいるのが楽しく感じられ、口にする言葉が意味を持ちはじめて。主は本当に父親らしく、非常に優しく温かいお方でした。声の調子は私をとても楽な気持ちにさせ、そこでその日は、「はい、主よ」とお答えするかわりに、「はい、お父さま!」と返事してしまいました。後で、「お父さま」という気楽な呼び方をお詫びしましたが、この呼び方を宝石のように受け取ったと神は答えられます。とっても嬉しそうに。そういう訳で、神は感情をお持ちの方で、私に心からこの祈りをしてほしいことが、ついに分かったのです。

 

 

(サタンの猛攻撃)

 

 この話に入る前に、マリー・ユージン神父が、その著書『私は教会の娘』で、悪魔からの攻撃について述べているところを引用したいと思います。

 

「人間と神的なもの、神の清さと人間の卑しさとの出遇いの場とは、悪魔にとってこれはあらん限りの力で介入せずにはおれない、どれほど重大な賭であろうか。いずれ暗夜にいたれば霊魂は清められ、かれの攻撃も届かず、恐るべきものとなる。そこで悪魔は、霊魂がまた不完全で、執着に感じやすい時こそとり入る狙い目なのだ。十字架の聖ヨハネはこう書き記している。『邪悪な霊はここで非常な狡猾さを表わし、感覚から霊にうつる通路に立ちはだかる。』(『生ける炎』、第三の歌、64)と」

 

「こういった暗やみの状態におかれた霊魂は混乱に陥り、その経験が不慣れで苦しみも極度に大きいことから、偽りと闇の魔王にとって特に介入しやすい好機となっている。」

 

「感覚が穏やかで潜心の中にあることを示す外面上のある印によって、悪魔はその霊魂が神的なものと通じていることを容易に察する。神秘家でもある教会博士はこう述べている:

「善天使を通して与えられる恵みをその敵が知ることを、たいてい神は許しておられる。その理由は、正義によって許される限り、悪魔がそういう恵みに反対することができるためであり、それによって悪魔が、ヨブに対してと同じように、霊魂を征服する機会が自分には与えられていなかったと言わせないためでもある。」(『霊魂の暗夜』U−23・6)

 

「こうした事実が霊魂の暗夜の問題点としてあり、その闇の夜をつくりだしている。この夜とは一つの出遇い、または愛すべき知恵である方によってお膳立てされた真剣な戦いである。神がその霊魂を完全に支配されるのは、神的なものに相応しくない状態を取り除き、その霊魂に力を及ぼす悪の力をすべて征服されたときである。」

 

 神がサタンの介入をどうしてお許しになるかが、これで読者はもっとよくお分かりでしょう。

 

 天の御父と素敵な一日を過ごした直ぐ後に、地獄の門が全開! ひどい野蛮なやり方でサタンが攻撃をしかけてきました。はじめに聞いたのは声というより野獣のようなうなりでした。

「ゴー!」と言っているみたいな。天使とも神とも交流するのをやめろと言っているのだと思いました。すっかり悲嘆にくれて天使を探し求めましたが、サタンはあらゆるところに陣取り、いろんなひどい名前で私を呼びはじめます。魂は苦しみと恐怖にさいなまれ、もし神のご計画がなかったなら死んでいたかも知れません。これほど猛烈な恐怖を今まで感じたことがありませんでした。離れるように命令しても怒りをかきたてるばかりです。狂人の凄まじさで怒り狂い、吠えるような荒々しい声で、気のふれた人のように、「やい、さっさと手を退(ひ)け、売対して売女(ばいた)め・・・、手を退け、さもないと地獄の火がお前の始末をつけてやるぞ!」と叫びます。「いやです!」と答える自分の声が聞こえました。「いや」とは、決して神の御前からも天使からも離れないという意味で。するとサタンは即座に、呪われていると言い返し、あらゆる汚い言葉を浴びせかけます。

 

 悪魔が霊魂に吹き込むことのできる恐怖を説明するのは困難です。頭では気が狂ってはいないと分かっていても、やっぱりどうすることもできません。この苦しみは波のように押し寄せ、サタンは自分が来るだけではまるで不足かのように手下をよこして攻撃します。攻撃された時は、何かこわごわとしたものが心の中に広がり、外部から来る恐怖とは違うのです。それは追い払うことのできない気持ちでした。

 

 かわいそうな私の天使は、恐怖に満ちた、気が狂うほどの瞬間、「祈りなさい!」とひとこと言うしかできません。この状態から早く助け出してくれるように、必死に懇願しても、まるで永遠に続くように思えたのです。

 

 

(私の天使とサタンとの戦い)

 

 昼間の苦しみだけでは不十分とばかりに、サタンは夜にもやって来ます。寝せてくれないのです。寝込みかけるたびに窒息させようとして。鷲が胸に爪を立て息が詰まりそうに感じる時もありました。周りには戦いの気配があり、そこは天使と悪魔が戦う渦中でした。ところがある日、まるで何も起らなかったように、何もかもやんだのです。サタンは攻撃を放棄し、平和な二、三日が訪れて。この経験ですっかり弱ってしまいましたが、ずっと身近に私の天使を感じるようになっていました。

 守護の天使は私の全てとなりはじめ、生活を満たしていました。いわばいのちからがら天使にしがみついていたのです。守護の天使がどんなに私どもを護り、愛し、世話をし、保護してくれて、私のために涙を流し、祈り、一緒になって苦しみ、全てを分かち合ってくれるかを悟りました。悲しみも喜びも。

 

 悪魔は、私に対する神のご計画を察して恐怖し、戻ってきました。狡猾にも、戦術を変えて。今度は古典的な手法を用い、天使の姿で現れて、神のていねいな描写をしてくれます。ねらいは神を恐れさせ、神が来られる時が来たら、私が逃げ出すように仕向けることでした、ある使命のために神が近づかれるのを察して。

 

 初めは確かに騙され、私の無知に乗じて神の誤った像を吹き込むサタンの言葉を信じていました。神は怖い裁判官、被造物に不寛容で、ちょっとした誤りもゆるさない、ひどい罰を与える者として描き出されたのです。二、三日こういったことが続きました。

 

 誰が誰かもう見分けがつきません。天使が一緒なのか天使をよそおう悪魔なのか。相談する人もなく、よい助言をもらう当てもなく。まったく一人ぽっちで。それに夫とも、このことは分かち合いたくありませんでした。心配をかけますから。サタンはもう優位に立ったと確信し、さらに締め付けてきます、混乱させるような悪魔的幻を見せて。それにくわえ、私を陥れに、日を追ってだんだん多くの悪魔を連れて来るようになり、守護の天使にますます私を護り難くさせていました。悪魔が手下の天使たちに、私を攻撃し麻痺させろと命令するのを、神の許しで、聞いてしまった日もあります。この堕落した天使たちは、私を囲んで、嘲り、讒言(ざんげん)し、あらゆるひどい名を投げつけてきました。「ピア」(徳のある)というあだ名をつけては嘲りを込めてそう呼ぶとか。神はこのすべてが起るのをお許しでした、私の霊魂を清めるのにこれも一つの手段だったからです。

 

 

(清めが続く)

 

 何日かして、突然私の天使に依頼され神学校に行って司祭を探し、このメッセ―ジを見せました。私は言われた通りにしたのです。けれど大変がっかりしました。大きな期待があっただけに平手打ちを食らったように。司祭は私が心理的な危機状態にあり、分裂症になりかかっていると信じ込んで、両手を調べたいと言われます。そして両方の手を取って詳しく調べるのです。何を考えておられるかは明白でした、精神病によっては手に異常が表れるので何かそういった兆候がないか探されたのです。司祭は、神がまさしく私という重い十字架を今しょわさせなさったと確信し、哀れんで下さり、いつでも会いに来るように言われます。それで二、三日おきに行くこととなりました。はじめは病人扱いにされたので、行くのが嫌でしたが。三、四ヶ月こういうことが続いて、頑張った唯一つの理由は、精神異常でないことを証明したかったのです。しばらくして正常だとやっと気がついて下さり、これは神が私に下さったカリスマかもしれないとさえ、ある日言って下さいました。

 

 一方、守護の天使は私を神の方へと向わせ、まず識別することを教えてくれました。悪魔は、光の天使のようによそおってもその違いが分かってしまうので、かんかんです。私の天使はその使命が終わりに近づいたと、また、イエスが私のもとに来られるであろうことを知らせました。この知らせを聞いたときは悲しくなりました。天使に行ってほしくありませんでしたから。天使は自分が神の僕に過ぎないことを話してきかせ、神に向うべきだと諭します。自分の使命は私を神のところに連れて行き、神の御手に無事引き渡すことだと分からせようとして。でも私にはなおさら辛いだけです。その日その日を、天使と話せなくなるなんて考えられないことでした。

 

 ダニエルが予告したように、ある日来られたのはイエスでした。ご自分を現されたとき、「あなたの家と私の家ではどちらのほうが大切ですか?」 とお尋ねになって、私は「あなたの家」とお答えしました。この返事にはお喜びだったようで、私を祝福して立ち去られました。

 

 再び、天使の代わりに主が来られ、「私です」と言われました。とまどっているのをご覧になると、もう一度、「神である私です」とはっきり仰います。ところが、喜ぶどころか私は不幸せな気持ちでした。天使がすごく恋しかったのです。私の天使を深く愛していましたので、その場を神に取って代わられ、もう天使は来ないと考えるだけで辛いのでした。ここで私の天使に対する想い入れを、主がどう仰られたかを述べましょう。私ほど「自分の天使を愛した者はいない」と、そして、いつかはこう仰りたいそうです、「あなたの時代にあなたほど、私を愛した者はいない」と。

 

 私の天使はもはや後ろに控えていました。神は「私を愛しているか? 」と尋ねられます。私はそうですと申し上げると、十分愛していないと非難されるかわりに、大変やさしく、「もっと愛しなさい」と仰いました。

 主がご自分を現された別の祈りにはこうも仰いました、「私の家を生き返らせなさい」、また「私の家を新たにしなさい」と。お返事をしたかどうか覚えていませんが、求めておられることが不可能だということだけは分かりました。

 

 続く日も天使かイエスが来られ、両方一緒の時もありました。天使は私に説教をし、神と和解するよう言います。そう言われるのはとても心外で、神と争ってなんかいないのにどう和解すればいいのか、尋ねました。

 

 神はご自分を愛するように、もう一度頼まれます。天使と親しいくらい神とも親密になるようにと、すなわち自由に話しかけるようにと仰いますが、私にはできません。まだ主を友達でなく他人のように感じていましたから。天使は自分が神の僕に過ぎないと言い、神を愛し神に誉れを与えるべきだと繰り返します。私は神の方へ追いやられれば追いやられるほど、天使から離れてしまうのを恐れ、パニック状態でした。自分自身を神に明け渡すように言われても、そうしてはいなかったのです。

 

 一方、サタンも諦めていません、弱っているところをまた狙ってきました。イエスとサタンの会話を聞く許しを神は一、二度下さいました。サタンは私を験す許しをイエスに願い、「貴様のヴァッスーラの面倒を見てあげよう・・・大事なヴァッスーラさまの忠誠心なんて吹っ飛んでしまい、今度ころんだとなったら未来永劫さ、験させてもらったら証明してみせるぜ。」 こうしてもう一度あらゆる試みがサタンに許されました。考えられないような誘惑を用意して! 誘惑だと気づいて乗り越えると、さらに大きな誘惑が待ち構えています。それに身を任せたなら永久に霊魂は地獄に繋がれるでしょう。そして再びサタンの攻撃が始まったのです。書くときに鉛筆が触れる中指に、煮えたぎった油をかけて。すぐさま水疱(みずぶくれ)が出来、鉛筆を持つために手当てが要りました。神と話して書くことをやめさせようと、悪魔は再びやっきになっています。書くたびに指が大変痛み、癒えると同じことがまた繰り返され、何週間も、痛みを伴わずに書くことができませんでした。

 

 家族とタイで休暇を過ごし、ある島を舟で訪ねたとき、戻ってくる途中、港に入ろうとした舟が揺れてバランスを失いました。倒れまいと目にとまった最初のものにつかまりましたが、熱く焼けたエンジンの排気筒でした。右の手の平全体がひどい火傷です。とっさに「書けなくなったらどうしよう? 」という思いが浮かびました。手は腫れ上がり、赤味を帯びて、非常に痛みます。ホテルまで三十分でしたが、着いた時には腫れがすっかり退いて、痛みが消えています。火傷の痕はありません。主は後ほど、サタンがそこまでやるのをお許しでなかったので私の手を癒した、と仰いました。

 

 書くのをやめさせようと悪魔は別の手も使いました。(当時十歳だった)息子の夢に現れ、老人の姿をとってベッド脇に腰をおろして言うのです、「書くのをやめるようにお母さんに言いなさい、じゃないと、お母さんの若い時と同じことを君にもしてやる、と。寝ているときにやって来て、頭を後ろに引っぱって窒息させてやるぞ」。

 

 六歳頃だったか、こういう体験をしたのです。ある晩寝ていると目の前に、喉の上におかれた老人の醜い手がふたつ。次の瞬間頭が後ろの方へ引っぱられ、喉はむき出しです。それからは何も起らないで、私はただ、ガタガタ震えていました。

 

 幼い頃からサタンは私を追い、六歳の頃は毎晩のように、黒い猛犬の姿で現れてはおどかすのでした。いつも同じ夢で。ほとんど明かりのない廊下を歩いていくと、突き当たりにその猛犬が待ち伏せていて、今にも飛びかかって私を引き裂こうと、歯をむき出し唸り声をあげています、そして私は恐怖に駆られて逃げます。

 

 十歳の頃、夢でイエスにお会いしました。廊下らしいところの突き当たりにおられ、見えたのは胸の下までのその似姿だけでした。微笑を浮かべ、こう言っておられます、「おいで。私のところにおいで。 」急に分からない流れが押し寄せ、どんどん主に引きつけられます。このわけの分からない流れが怖く、それを察したイエスが微笑まれます。主の御顔にとうとう顔がついてしまうまで、その流れに引き寄せられたのです。

 

 十二歳の頃、もう一つの神秘体験をしました。イエスとの霊的婚姻です。これも夢でしたが、私は花嫁衣装をつけ、許婚はイエスでした。ただ、お姿は見えなく、おられることだけが分かりました。出席の方がたは棕櫚の葉を持ってほがらかに挨拶されます。私どもは契りの間まで歩いて行く段取りです。式が終った直後、一つの間に足を踏み入れました。聖母が聖マグダラのマリアと、聖なる婦人方二人を伴い、そこにおられたのです。聖母は嬉しそうに近づいてこられ、抱いて下さいました。それから直ぐ私の衣装や髪を直しはじめ、御子の前に出るに相応しいことを望んでおられるのが分かりました。

 

 

手をかえて攻撃を続けるサタン

 

悪魔は私がどんなにごきぶりが嫌いか知っていました。こんな話をするのは気が重いのですが、悪魔とどう戦ったかを示すために書かなければと重います。ある日部屋を出て行こうとして、ドアを閉めました。突然何か濡れた液体が顔に飛びかかるのを感じました。原因不明で。すると悪魔の笑い声が突然聞こえ、蔑む調子で言うのです、「こうやって洗礼を授けるのさ。これがお前に相応しい聖水だ! 」。

その時ことの次第が分かりました。戸の柱で大きなごきぶりをつぶしてしまったのです・・・嫌悪のあまりその場に卒倒しそうでした! サタンの攻撃についてあまり書きたくありませんが、このメッセ―ジが世に出ることも、私に準備されている使命を達成することも妨害しようと、サタンがどんなに戦ったかが、分かっていただければと思います。

 

ある日サタンは戦略をまた変えてきました。騙そうとして、亡くなった父そっくりの姿であらわれたのです。話し方さえ同じで。完全に真似て、ときどき父もそうしたようにフランス語で話しかけてきたのです。「ちょっと聞きなさい・・・神は同情されてお前が間違っていることを知らせに私をお遣わしになったのだから。神がこんなやり方でお前に話して下さるとどうして信じたりするのだね? こういったことは、お前も分かっているだろうが、不可能なことだ、神に背き、お怒りを与えているだけだよ。考えてごらん・・・神がお前なんかと話して下さるなんて? 前代未聞じゃないか? 気が狂ったとしか言いようがない!」「私の天使とは? 天使と話すことはできるの?」と私は尋ねました。「ああ、あれか・・・」その声は憎しみに満ちていて、直ぐにこれもサタンだと分かりました。

 

 

砂漠、そして完全な明け渡し

 

 それゆえ、わたしは彼女をいざなって荒れ野に導き、その心に語りかけよう(ホセア2・16)

 

 今度は完全な明け渡しを神は望まれました。主に一致させ、主のものとなさりたかったのです。私を形づくり、変容させたいと望まれて。主の望まれる自己放棄を私はしていませんでしたので、神に自分を完全に明け渡し、和解するためにちょっと違った清めを通らなければなりませんでした。すなわち、こうです―神をお呼びすると驚いたことに答えがないのです。パニックになって方向をかえ天使を探しましたが、やはりいません。そのかわり、二、三の魂の気配が周りにあり、物乞のように近づいてくるのが分かりました*。 祈りと祝福、そして聖水を、この霊魂たちはせつに求めました。私は直ぐ教会へ行き、聖水をとってきました。今度は自分たちにふりかけてほしいと言うので、そのようにしました。この行為はさらに沢山の霊魂を引き寄せたらしく、周りはまもなく大きな人垣となりました。驚いたことに霊魂たちは痛みから解放されてゆくらしく、大喜びです。ひとりの霊魂はすぐその場で祈ってほしいと、そして一回だけでいいから祝福もと言います。どうするか分からないでいると、ただ簡単に祈りを唱えてから祝福すればいいと教えてくれました。頼まれた通りに祈ってから祝福しました。その霊魂は嬉しそうに礼を言い、自分でも私を祝福してくれました。新しいことばかりでしたが、解放と喜びを与えている感じがしたのです。この機会を捕えて私の天使の居場所を尋ねてみました。私の天使に心で愛を感じはじめていましたから。けれど答えはありません。

 

*十代の頃、周りを沢山の霊魂が囲んでいるのが心の目で見えていました。この霊魂たちを見るたびに、「ああ、また死者の霊だわ」と言ったものです。私のいる部屋はこの霊魂たちでいっぱいでした。床の上に肩を寄せあって座り、私といるのが嬉しそうです。皆そっくりに見え、痩せていて、髪の毛がなく灰色の顔をしています。全身が灰をかぶたような色でした。音を立てないばかりか、邪魔をしないように気をつかってさえいて。馴染み深い光景で、数年は続きました。後になってから全てをイエスは説明して下さいました。この霊魂たちは私が回心した時の祈りを待っていたのです。

 

 この寂しさのうちに過ごす毎日は一年のようでした。平和がほしくても見出せません。多くの友人や知り合いに囲まれてはいても、その時ほど孤独で見放された思いを味わったことがなく、地獄を通過している感じがしました。何度も天使に戻ってくれるよう呼びかけましたが、姿を隠したまま! 魂は天使がいなくなって穴が空いたようです。探しても見つかりません、呼んでも返事がありません。呼んでも返事がありません。生きた心地がしないまま、まる三週間この砂漠をさまよい、ついに我慢できなくなったのです。そして魂が経験するこの恐ろしい闇のなかから、ヤハウェに向って涙ながらに叫びました、今までにないほど心を込めて。「お父さま!・・・どこ? ・・・お父さま?・・・どうして離れて行かれたのですか? ああ 神よ、私をお受け取り下さい! お望みのまま私を取り上げ、用いて下さい! お役に立ちますよう 清めて下さい!」

 

 心の底から鋭い叫びが発せられると、突然天が開き、答えて下さる御父の感動に溢れる御声が、雷鳴のように聞こえてきました、「私 神はあなたを愛している!」 この香油のように注がれたお言葉によって、私の霊魂は、受けた深い傷が即時に癒されました。神の御口から発せられたそのお言葉には、無限の愛が感じられたのです。

 

 この愛の言葉をいただいた直後、私は竜巻から抜け出し、美しい平和な園に降り立ったように感じました。天使は再び姿を現し、非常な優しさで傷の手当てをしてくれます、際限なくつづく砂漠の夜を渡って行くうちに受けた傷を。

 

 その時ヤハウェは聖書を開いて読むように仰いました。読んだ一行目で涙が溢れてきて回心させられたのです。驚くような仕方で神の御心が示されましたから。それは次の言葉です。

 

 もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までにかえさねばならない。なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。もし、彼がわたしに向って叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである。(出エジプト記22・25)

 

 神はご自身の理由により、この三週間になにが起きたかを直ぐに説明なさいませんでした、けれどずっと後になって、1990年12月22日にこの説明を下さいました、これが主ご自身のお言葉です。

 

 「・・・愛の深淵である私の心は、あなたを求め 叫び声をあげた。 あなたの与える悲しみは 私の心に次々と重くのしかかった、 たび重なる裏切りによって。 あなたは私と格闘していたのだ、小さな被造物よ・・・だがあなたには二心がないことを知っていた、そして、ひとたびあなたの心を征服したなら、完全に私のものとなることを。 時代の落とし子よ、あなたは私と格闘し、私はあなたを戦いで倒した。 塵の中を砂漠まで引きずって行き、そこであなたは全く独りになった。 あなたには、存在しはじめた時から、守護の天使が与えられていた、あなたを護り、慰め、導くために。しかし神の知恵は 天使があなたから離れるように命じた、あなたが自力で砂漠に立ち向かうようにと。 『裸(*1)にもかかわらず生きよ!』と私は言った。 どの人間も独りでは生きられない(*2)、完全にサタンの言いなりになり、殺されたであろう。私の命令はサタンにも下っていた。 あなたに触れることが禁じられた。 その時恐怖のさ中 あなたは私を思い出し 天を見上げて必死に私を探し求めた。 あなたの嘆きと懇願は突然 まわりを囲む死のような沈黙を突き破り 恐怖の中から発したあなたの叫びは天を貫いて 三位一体の耳もとに届いた・・・ 『我が子よ!』 父の声は喜びに溢れ、天に響き渡った(*3)。 『ああ・・・今こそこの傷の中に彼女を引き込もう 私の聖体を食し 聖血を飲ませよう。 彼女は私の花嫁となり 永遠に私のものとなる。 彼女に抱いている愛を現し彼女の唇は私を求めてその後は渇くであろう その心は私の頭を休ませる台となる。 日々喜んで私の正義に従い、私の愛と受難の祭壇となる。 私が、そして私だけがその唯一の愛と情熱の相手となり、それから 私のメッセ―ジを持たせて地の果てまで送り 非宗教的な人びと、彼女の同族でさえない人びとを征服しに遣わそう。 彼女は進んで私の平和と愛の十字架を担い カルワリオの道をたどるであろう。』 『そして私、聖霊は彼女に降り 我々(*4)の真理と深みとを現そう。 彼女を通し 最大の賜は愛であることを世に思い出させる。 それでは祝おうではないか! 天はこぞって祝おう! 』

 

    1 守護の天使にも天にも背を向けられた途端、私は“裸”なのです。

    2 天に見放され。

    3 ここからは御子が話されました。

    4 聖三位一体。 

 

神は状況をもっと理解するよう、一つのヴィジョンを下さいました。サタンがどうしてこんなに攻撃的かを分からせて下さったのです。

私がまだ十分改心していないかぎりサタンは、邪魔しないで満足でした。攻撃してくることもなく。しかし私は神に傾くのを察した途端、私を失うと思って、魂に攻撃を加えてきたのです。

 

 こういうヴィジョンでした、ある部屋に立っていると、へび(サタン)が這っているのを見ます。どうやら私のペットの。でも興味がなくなり、餌を与えていませんでした。驚いて、お腹をすかせたへびは穴から出て来ると餌を探しはじめます。自分の皿に向って行きますが、そこにはぶどうが何粒かあります。それを飲み込んでもまだ満腹そうでなく、餌を探しに今度は台所の方へ向います。そのうち、私の気が変わって、もう友達ではなく敵だと気がついてきました。だから私を狙うに違いありません。私は怖くなりますが、ちょうどそのとき、守護の天使が現れ、何か困っていないか尋ねてくれます。へびのことを話すと天使は、引き受けたから大丈夫といいます。私はその戦いに加わった方がいいかどうかためらっていますが、天使と一緒に戦おうと決心します。天使は箒をとって外に通じる扉を開け、へびのところに行って外へ追い立てます。それからばたんと扉を閉め、窓からどうするか見ています。それはパニックを起こします。扉の方へ戻ってきますが、戸はしっかりと閉じたままです。そこで段をすばやくすべり降り、通りに出ます。その途端巨大なとかげに変身し、次は悪霊に姿を変えて。警笛が鳴り、そこにいる人たちはそれを捕えて縛り上げてしまいました。

 

 

司祭に拒まれたメッセ―ジ

 

 定期的に神学校を訪ねて司祭にお会いしていた時のこと。私が天と交流している様子を見たいと言われ、それが始まると、来て私の手をとめることはできないかと触れてごらんになりました。即座にその腕を伝ってある電流のようなものが流れたそうです。その時は何も仰いませんでしたが、午後の間ずっとその感覚が残っていたので、神学校の別に司祭のところに行って自分が体験したことを話されました。その司祭も私をご存じの方でした。先の出来事について、神でなく悪から来たものと受け取られた司祭は、私を連れて来させなさいました。

 

 この方はご自分の部屋に聖水をまき、私の座る椅子、机、使わせて下さる紙と鉛筆に聖水をふりかけました。席につくと、私の交流している“それ”に話しかけて「栄光は父と子と聖霊に」と書くように頼んでほしいと言われます。私は神に祈り、そうして下さるようお願いしました。主はお書き下さいましたが非常に強い力でしたので鉛筆が折れ、ペンで仕上げなければなりませんでした。司祭は頭に血がのぼり、すっかり震え上がってしまわれます。サタニズム、悪魔、マジック、魑魅魍魎について説明をはじめ、私の交流しているのは聖なる霊でなく魑魅魍魎だと仰います。私の頭は恐怖でいっぱいです。立って帰ろうとすると、書くのをやめなければ、少なくともしばらくの間は神学校にも教会にも来ない方がよいと言われました。そしてもうひとりの司祭を放っておくようにと。また、毎日唱える三つの祈りを下さいました(聖ミカエルの祈り、聖ベルナルドのメモラーレと、イエスの聖心へのノヴェナ)。そして手にロザリオを渡されて。

 

 打ちのめされた私は、せめてもう少しは優しい元の司祭のところへと出向き、ことのいきさつを話しました。こうしてお訪ねするのを喜ばれていないこと、それにもうやめなければならないことを。すると、その司祭は目を伏せて頭をちょっと傾け、お答えになりません。それでその司祭もまた同意見だと分かりました。お訪ねするのを控えるならば、この方は即座に重い十字架から解放されることも、はっきりとしたのです。私は有難くない客でした、そこで立って、「この敷地内で私をご覧になることはもうないでしょう、歓迎されていると感じるまでは!」と、大声で言いました。二度とカトリックの敷居をまたぐことはないと、この時は思っていたのです。

 

 家に戻ってからは、目を泣きはらしました。守護の天使が慰めに来て、額をそっと撫でてくれます。私は神に向って嘆きました、「魂は混乱し、誰にも想像できないほど悲しんでおります。もう分かりません。あなたはご自分だと仰いますし、心ではそのことが分かっていて感じてもいます、けれど、あの司祭はあなたを悪魔だと仰るのです。それが主でしたら、私が聖なる方と交流していることをいつかあの司祭にも口に出して認めてほしい、そうすれば私もそう信じます!」  神はこう言われただけでした、「従わせる・・・」と。

 

 天使は私を大変大事に扱ってくれます。霊が受けた傷をそっと手当てして。私は司祭から渡された祈りを毎日唱え、頼まれた通りにしました。神の下さったカリスマを用いるのはやめて、書くのを避けて。

 

 イスラム教の国にいるのでコーランを買ってきて聖書と比べてもみます。ある日メモを取っていると、驚いたことに御父が近づいて来られました。そこにおられるだけで、説明しがたい歓びに包まれてます。その方はこう言われたのです、「私 神はあなたを愛している、娘(こ)よ、これだけは常に忘れないように。我が名はヤハウェ。」 鉛筆を持っていましたが、主は私の手をとってノートにそう書かれました。しばらくして、またそばに降りて来られ私の手を使ってこう言われます、「私 神はあなたを愛している。ヴァッスーラ、これだけは忘れないように あなたを導いているのは私です。我が名はヤハウェ。」 私は感動を覚え涙が溢れてきました。囚人のように、御父に話すことが禁じられ、天国とどんな交流を持つことも禁じられ、神ご自身が下さったカリスマの使用を禁じられ、これを用いて御父に近づくことも禁じられていたのです。このように、がんじがらめになった「囚人」の私を訪ねて下さるとは! 私を最も愛して下さる御方が! 最もお優しい御父、手の平に全宇宙を載せた御方、その方が愛と慈しみを示して来て下さろうとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(続く)