メシア

 

 

天界の秘義3008[]

 

 さて『キリスト』と『メシヤ』とは同一のものであるため、またギリシャ語の『キリスト』とヘブル語の『メシヤ』とは『油注がれた者』を意味しているため、『キリスト』は『油注がれた者』と同一であり同じく『王』とも同一であることが明白である、なぜなら全般的に王は、聖言の歴史的なまた予言的な部分の多くの記事から明白であるように『油注がれた者』と呼ばれたからである。例えばダビデの書には―

 

 地の王たちはエホバに、またその油注がれた者に反抗し、また(支配者らは)ともに謀った(詩篇2・2)。

 

 

天界の秘義3009

 

 第二に『メシヤ』と『油注がれた者』と『王』は神的真理と同一であることは、聖言の極めて多くの記事から明白であり、解説の中にいくども示したところである(例えば1672、1728、2015、2069番)、主御自らヨハネ伝にそのように教えられているのである―

 

 ピラトはイエスに言った、それではあなたは王ではないのですか。イエスは答えられた、わたしが王であることは、あなたが言われる、そのためにわたしは生まれたのであり、またそのために世に来たのである、すなわち真理について証をするためである、真理に属している者はすべてわたしの声を聞きます(ヨハネ18・37)。

 

 このことから、主が『王』と呼ばれたもうたのは神的真理そのものからであることが明白である。王たちが油を注がれ、それで油を注がれた者と呼ばれたことは、かれらに注がれた油は善を意味し(886、2832番)、『王』により意味された真理は善から発し、従って善の真理であることを意味したためであり、かくて王における王者としての務めは主を神的善から発している神的真理の方面で表象し、引いては真理における善の神的結婚の方面で表象したが、他方祭司としての務めは善における真理の神的結婚を表象したのである。後のものは『イエス』により、前のものは『キリスト』により意味されている。