求める者には与えなさい。
あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。
マタイ5・42
マタイ5・42
求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。
天界の秘義9174〔3〕
『借りること』と『貸すこと』が聖言に記されている時は、教えられることと仁慈の情愛から教えることとが意味されているのである、例えばマタイ伝には―
あなたに求める者にはたれにでも与え、あなたから借りようとする者には身を背けてはならない(マタイ5・42)。
ここの『求めること』は求めることを意味していないことは明白である、なぜなら『求める者にはたれにでも与えなさい』と言われているからである、また『借りること』によっても借りることが意味されてはいないことも明白である、なぜならもし人が求める者にはたれにでも与え、また借りようとする者にもたれにでも与えねばならぬとするなら、その者はその凡ゆる財産を剥ぎ取られてしまうからである。しかし主は神的なものから話されたため、『求めること』により、また『借りようと願うこと』により、また貸すことと貸したものとを受けることにより、善と真理との天界の善であるものを伝達することが意味されているのである、なぜならこうした伝達については、事実は天使が仁慈の情愛から他の者に与えるに応じて益々その者のもとに天界から、即ち、主から全般的な善が流れ入ってくるということである(6478番)。かくて『求める者に与えること』により、天使は財産を剥奪はされないで、それを豊かにされるのである。それは人間が仁慈の情愛から他の者に善を行う場合と同じであるが、しかし仁慈は善良な者に与えることに在り、悪い者らにその者らの求め、願うものを与えることは仁慈ではないのである(8120番)、それはダビデの書に以下の言葉に応じている―
邪悪な者は借りるが、返しはしない、しかし正しい者は慈悲を示して、与える(詩篇37・21)。
またルカ伝には―
もしあなたらが人に貸して、その者から受けようと望むなら、何の感謝を得ようか。むしろ敵を愛し、善を行い、貸し、報いを望んではならない。さすればあなたらの報酬は大いになり、あなたらは至高者の子となるでしょう(ルカ6・34、35)。