神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない

マタイ24・22

 

1.聖書

 

マタイ24・22

 

神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

啓示による黙示録解説9

 

「時は近いからである」は、教会の状態が最早教会が、その主との連結の方面で持ちこたえることが出来ないほどにもなっていることを意味している。主との連結を生み出し、そこから救いを生み出すところの二つの本質的なものが、即ち、「一人の神を承認すること」と「生活の悔改め」が在るが、しかし現今では、一人の神を承認することに代って、三人の神が承認され、生活〔生命〕の悔改めに代って、自分は罪人であるという口先のみの悔改めが在って、この二つによっては(主との)いかような連結もなく、それでこの二つの本質的なものを承認する新しい教会が起らない限り、たれ一人救われることは出来ない、こうした危険のために、その時間は、マタイ伝の御言葉に従って、主により短縮されている―

 

なぜならその時世の初めから今の時まで無かったような、またこの後も無いような大いなる苦難が臨むからである、まことに、その日が短くされなくては、たれ一人救われはしないであろう(マタイ24・21、22)。

 

 

 

 

天界の秘義6666〔3〕

 

 こうした霊どもから地獄は現在無限に増大し、しかも驚嘆すべきことは、特に教会内にいる者らから増大しているが、それは狡猾、詐欺、憎悪、復讐、姦淫のためであり、そうした悪は教会内では他の所よりもはびこっているのである、なぜなら教会内では狡猾は今や利口なこととして、姦淫は尊いこととして考えられ、それに異議を差し挟む者は嘲笑されてしまうからである。現今教会内でそのようなことが行われていることはその最後の時が切迫しているというしるしとなっている、なぜならマタイ伝24・22の主の御言葉に従って、『終わりが無いなら、たれ一人救われない』からである、なぜなら悪はことごとく丁度酒のおりが塊まりに染み込み、かくて遂に凡てのものに染み込むように、伝染し、染み込むからである。