逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい

マタイ24・20

 

マタイ24・20

 

逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい

 

 

天界の秘義3755[2]

 

 あなたたちは冬逃げないように、また安息日にも逃げないように祈りなさい

 

は、それらのものから遠ざけられることを、すなわち、そのことが余りに冷たい、または余りに熱い状態の中に突然行われないように、ということを意味している。『逃げること』は、今し方言ったばかりの愛の善と無垢の状態から遠ざけられることであり、『冬逃げること』は余りにも冷たい状態の中にそこから遠ざけられることであり、『冷たさ[寒さ]』は自己へのいくたの愛から生まれてくるところの、愛と無垢とに対する嫌忌が存在する時存在するのであり、『安息日に逃げること』は余りに熱い状態においてそれらから遠ざけられることであり『熱い』は、内には自己への愛と世への愛とが存在しているのに、外は神聖であるということである。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P226

 

4.ちょうど蜜蜂が花の甘い蜜を集め、その色も香りも損なわずに蜂蜜を作るように、祈りの人もまた、神の被造物のすべてから幸せと益のみを集め、しかも何一つそれを損なうことがない。蜜蜂があらゆる場所に咲く花から蜜をかき集め巣に貯えるように、神の人もまた被造物のあらゆる場所から善き思想と感覚を集めとり、創造主との聖交の中で真理の蜜を心に貯え、どのようなときも、どのような場所でも主とともに平和に与ることによって、神の甘い蜜を歓び味わう。

 

5.今は、五人の賢い乙女たちがしたように、聖霊という油を心の中に貯えるときである。でなければ、五人の愚かな乙女たちのように、悲しみと失望しかみないであろう。また、真の安息日のためにマナをかき集めるときである。そうしなければ、あなた方がみるものは悲しみと災いのみである。「そのように、あなた方の逃げるのが冬にならぬよう祈れ」とわたしはいった。これは逃げるのが、悩みの時または終わりの時にならぬように、という意味である。「安息日でないように」ともいった。これは永遠の安息の千年期のことである。このような機会はふたたび訪れることはないからだ。