つまずきをもたらす者は不幸である

マタイ18・7

 

1.聖書

2.マリア・ワルトルタ

3.スウェーデンボルグ

4.さあ、戦いに出てきて 私と顔を合わせなさい

 

 

1.聖書

 

マタイ18・6−7

 

しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。

 

 

2.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P25

 

 災いあれ、災いあれ、わたしの民を誘いあなたたちの邪悪な策略をわたしが保護していると思いこませているあなたたちに三重の災いあれ! わたしの子供たちに、わたしの正義に対する信頼を捨てよと唆すあなたたちに災いあれ! あなたたちはこれについても報いを受けるだろう。なぜなら、躓きはそれを誘い起こした者の上に降りかかるのだ。そして、罪を犯す有力者たちを、は不公正に保護されている、と思いこませ貧しい人々を唆すこと以上に大きな躓きがあろうか?

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P89

 

 だが、自らの不信仰によって周囲の他人を不信仰に引きずり込み、他人を罪に追いやった不信心者(これこそ聖書が語っている人々と大衆だ)は、嵐の海の中でまんじりともせず立つ灯台のようであろう。彼の目の前には彼によって(霊魂を)殺された人々の雑踏がしぶきを上げ、彼の眼前には彼が犯した無数の霊魂殺しの生々しい思い出が立ちはだかり、カインの弟が血を流して以来、人を殺した者に安らぎを与えない良心の呵責は、地獄の鞭よりもはるかに冷酷に彼を鞭打つだろう。

 彼はの被造物たちにおいてに向かって襲いかかり、猛り狂う獣のように霊魂たちを殺戮したその犯罪を夜を徹して見張るだろう。自分の悪行の証拠を目の前にする者は恐ろしいことだろう! すでに受けた数々の罰に更に新しいが加わるのだ! 罪びとたちのなかで不信心者の犯した罪が無数であるように、無数の恐怖。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P179

 

 しかしそうでない人々、とりわけその行動によって地とそこに住む弱い人々を破滅に導いた人々は、わたしの爛々たる眼差に射竦められて深淵になだれ落ちるだろう。が存在するのは避けがたいことなのだが、のしもべと管理者となった者たちは永遠に呪われなければならないからだ。

 

 

3.スウェーデンボルグ

 

真の基督教380

 

 唇では主を贖罪者、救い主として尊敬するものの、心では彼を単なる人間として認めている者がいる。彼等は蜜を塗った唇をもっているが、その心は苦味に満ち、その言葉は砂糖であるが、その思いは毒であり、彼らは毒蛇が一杯入っている饅頭のようなものである。若し、彼等が祭司であるならば、平和な国民の旗を立てて航海して行くが平和な船が近づくと、黒い旗をかかげ、船を捕らえ、船員を奴隷にして売りとばす海賊のようなものである。彼等はまた善悪を知る木の蛇のようなものである。

 

彼らは光りの天使のように装い、手にはその善悪を知る木から取ったものではあるが、生命の木の黄金の果実のように見える林檎を持ち、これを提供して言う「神汝らがこれを食らう日には汝等の目開け、汝等神の如くなりて善悪を知るに至るを知りたまうなり」(創世記3・5)。その犠牲はこれを食うや、蛇に従って地獄に行き、そこに彼と共に住む。近くには、アリウスとソツヌスの林檎を食った凡ゆるサタンがいる。これらは婚礼に出席したが式服を着けていなかったため、外の暗闇に投げ出された者によって意味されている(マタイ22・11,12,13)。

 

 婚礼の服とは神の子、天地の神、父と一なる者としての主に対する信仰である。唇をもって主を尊ぶが、しかし心では彼を単なる人間として認める者らが他の者達を説きつけて、自らが考えるように考えさせようとするならば、霊的殺人であり、その最悪な者は霊的食人種である。何故ならば、人間の生命は主に対する愛と主に対する信仰から発するが、若し主は神なる人であり、人なる神であるとの信仰と愛とのこの要素が取り去られるならば、彼の生命は死に変わるからである。かくして人間は羊が狼に食い尽くされるように殺されるのである。

 

 

4.さあ、戦いに出てきて 私と顔を合わせなさい

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P133

‘00・10・16

 

繊細なる娘よ 秘密をうち明けよう、もうすぐ龍が 自らのしっぽを食らうようにさせる、間もなく天より命を下す。 私は 本気で我が家を回復するつもりでいる。 私の現存を奪われた家(*)に 我が聖体をふたたび打ち立て そこは聖なる場所となる。 あなた(*1)は至高なる私から奪い去られ、龍によって地に倒された、それでも、言っておく、皆に言っておく、「我が霊は 地上に注がれ 天の露を豊かに滴らせる すると地上の草は青さを増し加え、木々は花を咲かせて その枝葉は美しく たわわな実をつける、そう! たわわに、今に 見ているがよい!

 

「いつまでも永らえると、誰が言ったか?(*2) もう十分長く 鷲のように舞い上がり、星々(*3)の間に巣くい 刺となった。さあ、戦いに出てきて 私と顔を合わせなさい。 顔を合わす相手は アベルでない。 おまえの剣を 叩き落す。 おまえは我が家を荒し、最も尊いものを そこから盗んだ。 心ゆくまで盗み取った。 我が民の門を通過し 民の目を見えなくさせた。 その闇の王国を広げ 私の民を誤った道に連れ込めるとまだ信じてはいるが、今や、おまえの時は終わった。 もうやめよ。今にも 義は水のように流れ出し 我が霊は 止めどない流れのように 溢れ出す・・・」

 

「ああ、今は何とよい時か・・・」と感嘆する時が 近づいている。 来なさい、新しい力を得るよう 休ませてあげよう。 私のメッセージを生きて あなたのために踏み固めた小道を辿りなさい・・・ic

 

 

*主は教会のことを仰っています。

*1主はその教会を仰っています。

*2主は突然 悪霊(龍)のほうを向いてこれらの言葉を仰いました。

*3同時に「信徒」とも聞こえました。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P61

 

‘43年7月23日

イエズスは言われる。

「時が到来するであろうとき、打ち勝つためには、霊魂の光を減少させる必要があるルシフェルのとぐろによって、多くの星が薙ぎ倒されるだろう。

 それは起きうるだろう。なぜなら一般信徒だけではなく聖職者たちも、神の光の圏内にとどまるために必要な、信仰、愛徳、力、純粋さ、現世の誘惑からの離脱などの毅然さを失ったし、ますます失いつつあるからだ。

 わたしがここで語る星が誰を意味しているか、貴女は理解しているだろうか? それはわたしが地の塩として、世の光として定義づけたもの、すなわちわたしの奉仕者たちだ。

 サタンの鋭い悪意の計画は、これらの星を薙ぎ倒すことによって、大衆にわたしの光を反射する光であるこの無数の灯火を消すことである。司祭的教会はまだ多くの光を放ちつづけているが、霊魂たちはますます闇のなかに沈みこもうとしており、わたしの空から数多くの星が消え去るであろうとき、どんな闇が大衆を押し砕くか容易に理解できる。