主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。

(マタイ15・27)

 

 

天界の秘義7783

 

「犬」は凡ての者の中で最低の者を、または教会の中で価値の乏しい者を意味しており、同様に、教会の外側にいる者を、また教会の事柄について大いにまくしたてて話しはするが、ほとんどその事柄を理解はしていない者を意味し、その対立した意義では全く教会の外側にいて信仰の事柄を軽蔑している者らを意味している。

 

マタイ15・26

子供のパンをとって犬に投げてやることは良くない

 

子供

教会の中の者ら

 

教会の外側の者たち

 

 

マタイ7・6

神聖なものを犬に与えてはならず、また真珠を豚に投げてはならない

 

信仰の事柄を軽蔑している者ら

 

 

天界の秘義9231

 

“犬”が信仰の善の誤謬化を通して不潔なものとする者らを意味している理由は、犬は不潔な物を食べ、また人間に吠えつき、人間を噛むということである。ここからまた悪から発した誤謬の中にいる教会外のいくたの国民はユダヤ人により“犬”と呼ばれたことは、スロフェニキア出身のギリシャの女に言われた主の御言葉から明らかである。―――子供のパンを取って、犬に投げ与えることは善くありません。しかし、彼女は言った、主よ、その通りです。しかし犬でさえもその主人のテーブルから落ちるパンくずは食べるのです(マタイ15・26、27、マルコ7・27,28)。ここの“犬”は教会の外にいた者たちを意味し、“子供”は教会の中にいた者たちを意味していることは明らかである」

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P226

 

♡ 見放されたとか 愛されていないとは決して感じないように。 あれほど愛されていないとあなたが感じていた時、私がどう感じたかを知っているか?

 

どこでですか?

 

私の教会の中で(*) ♡

 

そうでしたか、主よ。

 

私はもう一度はじめから十字架に架けられたように感じた、傷つき、鞭打たれ、唾され、釘付けされ ♡ ヴァッスーラ どんなに愛しているか! 私の教会を生き返らせる手伝いをしなさい、あなたを用いさせてくれて助けてほしい、勇気を 娘よ、勇気を。

 

   イエスが時には本当に人びとを拒絶することもあると言われた時のことです。ある神学院の司祭と議論をした時、その方は主が拒まれたカナンの婦人の聖書の箇所(マタイ15・21−28)を、私に読むように手渡して、そう言われたのです。(けれど、最終的には、彼女を拒まれたわけではありません。彼女が信仰を現すことができるように、挑戦されただけでした。)けれど、そのことを私は知らないまま、それを見せた方は、終わりまで読ませてくれませんでした。私が御聖体をいただきに教会を訪れたあとでしたので、この議論によって、何か許されていないものを受けて、それによって、カトリック教会のあらゆる掟を破ってしまったかのように感じてしまいました。そして許可を受けずにそれをいただいたことにより、大変な悪者だと。次の日曜日に教会へ行ったときは、戸口の近くに立ち、体の半分は外に出ていました(望まれていない者のように感じましたので)。それに、私は悪者であって、神は私のことを大変怒っておられると信じていましたので、ほかの人びとと一緒に聖体拝領に前へ進み出ませんでした。もしそうしたら、事態はもっと悪くなるでしょうと恐れたのです。

 

イエス、これらすべてのことが、あなたを傷つけているとは知りませんでした。この愛されていないという気持ちのことですが!

 

そう、それに私のもとに来る者は決して誰も拒まないこともあなたは知らなかった、 ♡ 私は愛 愛は誰であろうと皆のためのものです、どれほど極悪であろうと ♡