異邦人の道に行ってはならない
マタイ10・5
マタイ10・5、6
イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエル人の家の失われた羊のところへ行きなさい。」
マタイ10・14−15
あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。
天界の秘義4169[2]
『羊』が善を意味していることは聖言の多くの記事から認めることができようが、その中から以下のもののみを引用しよう。イザヤ書には―
かれは苦しまれたが、その口を開かれなかった。かれは屠られる小羊のように毛を切る者の前の羊のように連れて行かれたもうたが、その口を開かなかった(イザヤ53・7)。
これは主について言われており、そこで主は真理からではなく、善から羊にたとえられたもうているのである。マタイ伝には―
イエスはそのつかわされる十二人に言われた、異邦人の道に行ってはならない、サマリア人のいかような都にも入ってはならない、むしろイスラエルの失われた羊のもとへ行きなさい(マタイ10・56)。
『かれらが行ってはならない異邦人』は悪の中にいる者たちを意味している。(『異邦人』は悪を意味していることは前の1259、1260、1849番に認めることができよう)。『サマリア人の都[町]』は誤謬の中にいる者たちを意味し、『羊』は善の中にいる者たちを意味している。