マルジアム

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P259

 

幼いヤベに主が:

「三人とも(聖母マリア、マリア・サロメ、クレオファのマリア)おまえをたくさん、たくさん、たくさん愛してくれますよ。善い子だし、おまえを大好きな私の愛のためにも愛してくれます。この人たちと一緒に暮らし、成長して大人になったら神の聖なる使徒となり、先生としておまえにこの世でもう一人の母を与えたイエズスのことを伝道しなさい。イエズスは、亡くなったおまえのお父さんとお母さんに天の門を開くし、おまえのときにも開きます。おまえが死んだときには、天への長い長い階段を上る必要はない。善い弟子だから、この世で一生涯かけて階段を上り、天国が開かれた門の前に立った時、私もそこにいて“私の友よ、マリアの子よ、おいで”と言い、いつまでもおまえと一緒に過ごします」

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P276

 

マリアとペトロが一緒に走ってきて、

「どうしたの」となだめる。ひどく泣きじゃくっているので話ができないヤベを、マリアが抱いてあやす。

「おうおう、私の小さな子よ、もう泣かないで・・・初めにあなたに気がつかなくてごめんなさいね」

 

それから皆に向かって、

「この子は、私のかわいい子です・・・」と言った。

「私が一緒に連れてきたみなしごです」と、イエズスが話していたらしい。

マリアは別のことを直感する。

 

子供はめそめそ泣いているが、マリアに抱かれて接吻すると、だんだんと涙に洗われたあわれな顔に笑みが戻ってくる。

「涙をきれいに拭いてあげましょうね。もう泣かないで!ほら、私にも接吻してちょうだいな」

ヤベは・・・この時を待っていた。大勢のひげ面の男たちの愛撫の後に、マリアのすべすべした頬に接吻して大喜びである。

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P281

 

「そうです。ヤベが、自分は私に救われたという意味の名前を欲しがっているのです。母様探してください、愛と救いの名前を」

マリアはしばらく考えていたが、“Marjiam(Maarhgziam)”がいいと言う。

「あなたは、イエズスに救われた人々の大海の小さな一滴です。気に入りましたか。これで救いの他に私をも思い出せるでしょうね」

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P293

 

「あの三人に、大きな約束を見ているからです」

「何の約束ですか」とタデオが尋ねる。

「時が来れば、安心してここを去ることができます。私の教会のために、私が心配しなくてもよい、その時、教会はマルジアムのように小さくて弱々しいが、私の母がいまと同じように、その手をとって母の役割りをします。そしてペトロが父の代わりをします。生まれつつある私の教会を、何ひとつ心配せず労働者のペトロの正直な手にまかせればよい。ペトロが自分の保護の力、母が自分の愛の力を与え、教会はマルジアムのように成長します。本当にマルジアムは象徴の子供です。神は私の母、私のペトロとその仲間、私たちの子供を祝福されますように・・・」

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音4巻下P177

 

「素晴らしい! 同じあの動物に乗って、東洋の三賢人あなたを礼拝しに来たのですね? だからぼくはあの動物に乗って、あなたのことを説教するためにどこへでも行くでしょう! 動物の上から見ると世界はもっと大きく見えます。そして言います、『良い知らせを知っているあなたたちは、来なさい、来なさい!』と。おお! 知っている? ・・・あの人もそれを必要としています・・・また、商人の小父さん、あなたも、そしてあなたの使用人たちも・・・待っている人びとがどれほどいることか、またそれを所有することが出来ずに死んで行く人びとがどれほどいることか・・・川の砂よりも多くの人びとが。みんながあなたなしに、イエズス! おお! でも早くして下さい、それを皆に言うために!」、そして彼は頭を上げ、イエズスの脇腹に縋りつく。

 そしてイエズスは腰を屈め、彼に接吻して約束する、「あなたはローマよりも遥かに遠い境界に、福音宣教がなされた王国を見るでしょう。満足ですか?」。

「ぼくは、はい。それからぼくはあなたに次のように言うために来るでしょう、『ほら、これと、あれと、そしてもう一つの国はあなたを知っています』と。その時、あの遠いそれらの土地の名を知るでしょう。そしてあなたはわたしに何を言われるのでしょう?」

「あなたに言うでしょう、『おいで、小さなマルグツィアム、あなたがわたしについて説教した各国のために王冠を携え、それからここに、わたしの傍らに来なさい、ちょうどガラサでのあの日のように。そしてあなたの労苦から今しばし憩いなさい、なぜならあなたは忠実なしもべだったし、あなたがわたしの王国で至福であることは正しいからです』」

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音4巻下P195

(主がマルグツィアムに)

 

そして時が過ぎ行くままに、また時を経るごとに世には苦しみと無知がどれほどあるかを見、この苦しみが和らげられ、無知が抜け落ち、神が知られ、愛され、万人から祈られるようにもっと願い求めることです。もし神を知ったならば彼らの苦しみも常に慰められるでしょうから。