慢心
自己愛/
サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P253
弟子―主よ、わたしは平和と幸せが去ってしまったような気持ちになることがあります。これは自分の隠れた罪によるものですか。それとも自分にはわからない何か他の理由によるものですか。
キリスト―1、不従順による場合も確かにあるが、わたしが子供たちを一時離れるようにみえるため、彼らが心寂しく落ち着かなくなる場合もまたある。このような状態にある間に、わたしは彼らの本当の姿、決定的な弱さを明示し、わたしを離れては干からびた骨同然であることを教えることができる。それは、彼らが憩いと平和ばかりの中で自分たちの本来の状態を忘れ去り、自分を神と思い込み、慢心によって地獄の刑罰に落ちたりしないためである。こうして彼らは躾けられ、教育される。そして、心を低くし謙虚に創造主であるわたしの中に生きるときに、彼らは天の永遠の幸せを楽しむのだ。