レギオン

 

 

 

1.聖書

2.他の凡ての悪しき愛はこの二つの愛に従属し、その名はレギオンと呼ばれる

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マルコ5・9

そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。

 

 

 

マルコ5・15

 

彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。

 

 

 

ルカ8・30

 

イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。

 

 

 

 

2.他の凡ての悪しき愛はこの二つの愛に従属し、その名はレギオンと呼ばれる

 

 

真の基督教533

 

凡ての人々を支配せんとする愛と、凡ゆる富を所有せんとする愛の二種類の愛は長く人類に深く根を下ろしてきた。この二つの愛は、抑制されない時には、何らの制限も知らず、前者は天界の神たらんとの欲望を吹き込み、後者は世界の神たらんとの欲望を吹き込むのである。他の凡ての悪しき愛はこの二つの愛に従属し、その名はレギオンと呼ばれる。然しこれらのものは深く内部に隠れ潜んでいる故、それらを点検することは困難である。それらは岩の裂目に隠れていて、そこに身を休める者に向って飛び出し、これに致命傷を加え、再び己が隠れ家に退く蝮のようなものである。それらはまた人々を歌をもって魅了し、次にこれを殺して了うた女神サイレンのようなものである。この二種の愛は、自らを華麗な衣装を以って飾るが、それは丁度悪魔がその欺こうと欲する者達に感銘を与えようとしてその魔術によって華麗な衣装を以って自らを飾る様に似ている。支配への愛と富への愛は高貴者よりも卑賤な者を、富んだ者よりも貧しい者を、王よりも従臣を動かしている。何故なら、王は支配と富とへ生まれ、遂にはこれを貧しい者、卑賤な者がその家の持ち物を見るように見るに過ぎないからである。しかし他の国々を支配しようと渇望する王侯はこれとは異なっている。意志の諸々の意図が点検されねばならぬ理由は、意志は愛を受容する器であり、その居所であるからである。意志から各種の愛は、その歓喜を発散させ、これを理解の諸々の認識と思考へ注ぎ入れ、認識と思考はそれ自らによって何ごとも為さず、単に愛によって示される物に同意し、これを確認するに過ぎない。それ故、意志は、人間がその中へ住む家であり、理解は外庭である。それ故これが意志の諸々の意図が点検されねばならない理由である。何故なら、これが為される時、その人間は諸々の遺伝悪と実際悪が住まっている自然的な意志から霊的な意志へ引き挙げられ、かくして主はその自然的な心の凡てを改良し、再生させ、かくしてその人間全体を改良して、再生させ給うからである。