救命ロープ

 

 

 

聖書92

 

なぜなら自分自身の宗教の中に止まって、神を信じる者は、または基督教国の中にいるなら、主を信じて、聖言を聖いものとして認め、宗教的な主義から十戒に従って生きる者は、誤謬に忠誠を誓ってはいないのであって、それで彼は真理を聞き、それをその者なりに認めるや否や、それを掻き抱いて、誤謬から導き出されることが出来るからであるが、しかし己が宗教の誤謬を確認した者はそのようにはいかない、なぜなら確認した誤謬は依然止まっていて、根こそぎにされることは出来ないからである。なぜなら誤謬は、確認されてからは、特にそれが人間自身の自己愛を甘やかし、またその自己愛から生まれて来ているその人間自身の知恵の自負心を甘やかすなら、恰もその人間はその誤謬の真理に(忠誠を)誓ったかのようなものにもなるからである。