恐怖から発した尊敬

 

 

 

天界の秘義7788

 

「わたしは身をかがめ」。これは真理の神的なもののために覚える恐怖から発した尊敬を意味していることは以下から明白である、即ち、モーセの表象は真理の神的なものであり(そのことについては再三前に述べた)、『身をかがめること』の意義は卑下であるが、しかしここでは、それが悪の中にいる者らについて言われているため、恐怖から発した尊敬を意味している。『恐怖から発した尊敬』と言われているのは、悪い者は真理の神的なものに対しては、恐怖から発した尊敬でないかぎり、いかような尊敬をも持ってはおらず、神的なものそれ自身に対してさえも持たないからである、なぜなら地獄の中にいる者らは自分自身のみを愛しており、自分自身のみを愛している者らは他のいかような者にも尊敬を持たないからである、それは彼らは他の者に対する尊敬をことごとく自分自身に向けてしまうためである。愛の存在するところには、尊敬が在り、愛のないところには、恐怖から発したものでないかぎり、いかような愛もない。こうした理由から他生では悪い者は、幾多の刑罰を受けて、ついには敢えて善良な者に反抗して、これを悩まそうとはしなくなるのである、なぜなら彼らは刑罰の恐怖以外の手段によっては悪を行うことをとどめられはしないからである。