結婚愛説話

 

 

 

 

1.天界から派遣された二人の結婚した配偶者の中に見られた結婚愛の形(結婚愛42、43)

2.世から新たに来た三人が天界における結婚について行った報告について(結婚愛44)

3.貞潔な性愛について(結婚愛55)

4.知恵の殿堂で、賢人たちが女性の美の原因について論じたことについて(結婚愛56)

5.黄金時代に生きた者たちの結婚愛について

6.銀時代に生きた者たちの結婚愛について

7.銅時代に生きた者たちの結婚愛について

8.鉄時代に生きた者たちの結婚愛について

 

 

 

 

 

13.『善と真理との結婚』と記された一葉の紙が天界から下の地へ送られたことについて

 

 

 

 

 

1.天界から派遣された二人の結婚した配偶者の中に見られた結婚愛の形(結婚愛42、43)

 

結婚愛42

 

『私たちはあなたが結婚愛について瞑想されておられるのを認めましたが、今も認めています。私たちは未だ地上のたれ一人、真に結婚的な愛の起原とその本質とはいかようなものであるかを知っていないことを知っていますが、しかしそれを知ることが必要です。それで主は、あなたに諸天界を開いて、(秘められたものを)明らかに示す光があなたの心の内部に流れ入り、またそこから認識が流れ入ってくることを良しとされました。天界、特に、第三の天界にいる私たちのもとでは、私たちの天界の歓びは主として結婚愛から発しています。それで私たちは私たちに与えられている許しにより一組の夫婦をあなたに送って、これをお見せしましょう』

 

と見よ! そのとき最高の、または第三の天界から一台の戦車が降ってくるのが見え、その中には一人の天使も見えたが、それが近づくと、二人の者がその中に見えた。遠方ではその戦車は私の眼前に金剛石のように閃いていた。そして雪のように白い若い馬がそれにつけられて、戦車に坐っていた者は手に鳩を持っていた。

 

(中略)

彼らは近づいた、と見よ! 彼らは夫とその妻であった。彼らは言った、『私たちは結婚した夫婦です。私たちは、あなた方から黄金時代と呼ばれている最初の時代から天界で祝福されて、また同じ青春の花盛りの中に―その中に私たちがいるのをあなたは今日見られますが―その青春の花盛りの中にいつも生きております』

 

私は彼ら二人を注意して観察した。なぜなら彼らは結婚愛の生命と飾りとを表象していることを即ち、その顔にその生命を、その衣裳にその飾りを表象していることを私は認めたからである。なぜなら天使はすべて人間の形をとった愛の情愛であって、彼らを支配している情愛そのものはその顔から輝き出ているからである。そして彼らの情愛から、またそれに調和して、彼らの衣裳は定められている。それで天界では各々の者自身の情愛が各々に着物を着せると言われている。夫は青年期と成人期の初期との中間にいるように見えた。その目から愛の知恵で閃く光が発していた。その顔は恰もその光のためにその最内部までも光り輝いているかのようであり、そこから発している輝きのために皮膚の外面も恰も閃き輝いているかのようであった。それでその顔全体は一つの光り輝いた端麗さそのものであった。彼は足首までも長い外衣の下に青色の衣を着、それに黄金の帯をしめていたが、その帯の上には三つの宝石があって、即ち、両側に二つの青玉、真中に紅玉があった。その靴下は銀糸の織りまじった輝くリンネルであり、その靴は全部絹で出来ていた。それが夫の結婚愛を表象する形であった。

 

しかし妻にあっては以下のようであった。私は彼女の顔を見たが、見はしなかった。私はそれを美そのものとして見たが、それは表現を絶したものであったため、見はしなかったのである。なぜならその容貌の中には燃えた光の輝きが、第三の天界の天使の中に宿っているような光が宿っていて、そのため私の目はくらみ、私はただ驚嘆するのみであったからである。これを認めると、彼女は私に語って、言った、

『あなたには何が見えます』。

私は答えた、『私にはただ結婚愛とその形が見えるのみです。でも、私には見えますが、しかも見えはしないのです』。

すると彼女はその夫からやや身を遠ざけたため、私は彼女を更に注視することが出来た。その目は、すでに述べたように、燃え、それで知恵の愛から流れ出ている彼女の天界の光のために閃いていた。なぜならその天界では妻はその夫を知恵から、また夫の知恵の中に愛し、夫はその妻を夫自身に対するその愛から、またその愛の中に愛しており―かくて彼らは結合しているからである。ここからいかような画家もその形を模倣したり、描いたりすることも出来ない彼女の美しさが生まれている。なぜならその色彩にはそうした輝きはなく、またそうした美は彼の技術では表現されないからである。

 

すると彼女はその夫からやや身を遠ざけたため、私は彼女を更に注視することが出来た。その目は、すでに述べたように、燃え、それで知恵の愛から流れ出ている彼女の天界の光のために閃いていた。なぜならその天界では妻はその夫を知恵から、また夫の知恵の中に愛し、夫はその妻を夫自身に対するその愛から、またその愛の中に愛しており―かくて彼らは接合しているからである。ここからいかような画家もその形を模倣したり、描いたりすることも出来ない彼女の美しさが生まれている。なぜならその色彩にはそうした輝きはなく、またそうした美は彼の技術では表現されないからである。その髪は彼女の美しさに応じて奥床しく結われ、その中に頭飾りから花を刺していた。彼女は緑玊の花飾りが垂れている紅玉の首飾りを着け、大きな真珠の腕環をはめていた。彼女は緋色の流れる外衣を着、その下に紫の胸衣を着、その前をルビーで留めていた。しかし私の奇異に感じたことは、その色彩が彼女がその夫に向く向きに従って変化し、またそれに応じて、ときには輝きを増し、ときには輝きを減じたのである。即ち、彼らが互いに向き合ったときは輝きを増し、少しく互いに他から離れたときは、その輝きを減じたのである。

 

 

私がこうしたことを観察すると、彼らは再び私と語ったが、その夫が話しているときは、彼は同時にその妻から話しているかのように話し、その妻が話しているときは、彼女は同時にその夫から話しているかのように話したのである。なぜならその言葉が流れ出てくる源泉となっている(二人の)心の結合はそうしたものであったからである。それからまた私は結婚愛の声の調子を聞いたが、それは内的には[その内部は]平安と無垢の状態の歓びと同時に起り、またそこから発しもしていたのである。

 

 ついに彼らは言った、『私たちは呼び返されています。お別れしなくてはなりません』。

 かくて再び彼らは前のように戦車に坐るように見え、花園の間の舗道の上を運ばれて行ったが、花床からは橄欖(かんらん)の木と豊かに実ったみかんの木が生え出たのである。そして彼らはその天界に近づくと、処女たちが出てきて彼らに会い、これを迎え、中へ導いて行った。

 

 

 

結婚愛43

 

 この後でかの天界の天使は手に羊皮紙の巻物をもって現れ、それを開いて、言った、『私はあなたが結婚愛について瞑想されておられるのを認めました。この羊皮紙の巻物の中にはその主題について現今まで世に知られていない知恵のアルカナ[秘義]が記されています。それらは、今はそれが必要であるため、示されたのです。私たちは愛と知恵との結婚の中にいますため、私たちの天界にはこうしたアルカナが他にもまさって多くあります。しかし私は新しいエルサレムである新しい教会へ主によって受け入れられる者以外たれ一人その愛を自分自身のものとはしないことを予告しておきます』。

 

かく語って天使はその開かれた羊皮紙の文書を下におろした。と、ある一人の天使的霊がそれを取り上げて、ある室の机の上に置くと、すぐに室を閉め、鍵を私に渡して、言った、『書きなさい』。

 

 

 

 

2.世から新たに来た三人が天界における結婚について行った報告について(結婚愛44)

 

 

結婚愛44

 

第二の説話

 

私は世から来たばかりの三人の霊が歩きまわって、観察しながら、たずねているのをかつて見た。

 

(中略)

それから彼らは天界についてその二人の天使的霊にたずねた。そしてその新来者たちの中の二人は青年であって、色情が微かにその眼から輝いていた。天使的霊は言った、

『多分あなたたちは婦人を見られたでしょう』、

彼らは答えた、『見ました』。

 

彼らは天界についてたずねていると、その天使的霊は以下のように言った、

『天界では凡ての物は未だ目に見えたこともないほどに壮麗であり、見事です。そこには青年たちや処女たちが、即ち、美そのものの形と言うことが出来るほどにも美しい処女たちや、徳そのものの形であると呼ばれることが出来るほどにも有徳な青年たちがいます。そして処女たちの美と青年たちの徳とは相互に相応していて、互いに適応した形となっています』。

(中略)

再びその新来者は言った、

『天界では彼らは天使ですから、嫁がないということを私たちは私たちの後にしてきた世で聞いておりました。それでは性愛がありますか』。

天使的霊は答えた、『そこにはあなた方の性愛はありません、しかし欲情の凡ての誘惑から自由になった貞潔な天使の性愛はあります』

これに対し、その新来者は言った、『もし誘惑のない性愛があるとするなら、それでは性愛とは何ですか』

そして彼らはこの愛を考えると、溜息をついて、叫んだ、『ああ、天界の喜びは何と味気のないものでしょう。それではいかような青年が天界を望むことが出来ましょう。そうした愛は無味乾燥で、生命のないものではありませんか』。

 

天使的霊は微笑んで答えた、『それでも天使たちの性愛は、または天界に在るような性愛は最も内的な歓喜に満ちています。それは心の凡ゆる物が極めて楽しくふくらみ、そこから胸の凡ゆる物がふくらむことです。胸の中ではそれは恰も心臓が肺臓と戯れているかのようであって、その戯れから呼吸、声、言葉が発するかのように思われ、両性間の、または青年たちと処女たちとの交わりを純潔な、天界的な甘美そのものにしています。天界に昇ってくる新来者はすべてその貞潔を点検されます。なぜなら彼らは処女たち―天界の住人たち―のもとへ入ることを赦されるからです。彼女たちは彼らが性愛の方面でいかような性質を持っているかを、その語調から、言葉から、容貌から、眼から、身振りから、流れ出ているスフィアから認めており、もしそれが不潔なものであるなら、彼女たちは逃げて、その友達に、私たちはサチルスをまたはプリアピイ(*)を見ました、と言います。そして天使たちの目にはこうした新来者は実際変わって、毛深く見え、その足は子牛または豹のように見えるのです。で、すぐさま彼らはその欲情で天界の気流を汚さないように投げ落とされてしまいます』。

 

サチルスとプリアピイ・・・サチルスはギリシャ神話に出てくる半人半獣の森の神の一人で、酒と女が大好物。プリアピイは男性生殖力の神。

 

 これを聞くと二人の新来者は再び言った、『それでは天界には性愛はありません。貞潔な性愛とは生命の本質を欠いた愛でなくて何でしょう。その場合そこの青年たちと処女たちとの交わりは味わいのない喜びではありませんか。私たちは石や切り株ではなく、生命の認識と情愛であります』。

 

 

 

 これを聞くと、その二人の天使的霊は、憤慨して、答えた、

『あなた方はまだ貞潔ではないため、貞潔な性愛とは何であるかを些かも知っておられない。愛は心の歓びそのものであり、そこから心情の歓びそのものでありますが、しかし同時に心情の下にある肉の歓びではないことを些かも知っておられない。両性に共通している天使的貞潔によってその愛が心情の領域の外に出ることが妨げられていますが、しかしその領域の中で、またその領域の上で、処女の美しさを歓ぶのです―即ち、貞潔な、性愛の歓喜を覚えるのですが、その歓喜は言葉で表現することが出来ないほどにも内的な、また豊かな楽しいものです。しかし天使は結婚愛のみを持っていますため、こうした性愛は持っていますものの、それは不貞な性愛と共存することは出来ないのです。真に結婚的な愛は貞潔な愛であって、不貞な愛とは何ものも共有してはいません。それは只一人の異性に対するものであって、他の凡ての異性は遠ざけられています。なぜならそれは霊の愛であって、そこから身体の愛となっており、身体の愛であって、そこから霊の愛となっているのではないのです。即ち、それは霊を悩ます身体の愛ではないのです』。

 

 

 新来の二人の青年はこれを聞くと、歓んで、言った、

『それでは天界には性愛があります。結婚愛はそれ以外の何でしょう』。

 

 しかしこれに対し天使的霊は答えた、『もっと深く考えて、反省してください。さすればあなた方は、あなた方の性愛は結婚愛の外側にあって、結婚愛は全然それとは相違していることを、それは小麦が籾殻から、またはむしろ人間的なものが動物的なものから相違しているようにも、あなた方の性愛からは相違していることを認められるでしょう。天界の女の方に結婚愛の外側に在る愛の如何ようなものであるかをたずねてご覧なさい。私は彼らが、『それは何ですか、何をあなたは言われるのですか、かくも聞くに耐えない質問がどうして人間の中に生まれることが出来るのですか』と答えるのを保証致します。

 

 

それから彼らに真に結婚的な愛とは何ですかとたずねなさい。私は彼らが「それは性への愛ではなく、異性の一人に対する愛です」と答えるのを知っています。それは一人の青年が主の供えられた処女を見、その処女も主の備えられた青年を見、互いに結婚愛がその心の中に燃えるのを感じ、彼は彼女が自分のものであることを、彼女も彼が自分のものであることを認めるときにのみ発するものです。なぜなら愛は愛に会って、それ自身を知らせ、すぐに彼らの魂を連結させ、後に彼らの心を連結させ、そこから胸へ入り、婚姻の後、更に遠くへ入り、かくしてそれは完全な愛となり、日に日に連結へ向って成長し、遂に彼らはもはや二人ではなくて、一人のもののようになるからです。私は彼らがそれ以外の性愛を知らないことを厳粛に主張することも知っています。なぜなら彼らは「性愛は、二人の者が一人の人間になるという永遠の結合を求めて息づくほどにも応答的な、相互的なものでない限り、それはどうして存在できましょうか」と言うからです。

 

 これにその天使的霊は付け加えた。『天界では彼らは姦通の何であるかを些かも知りませんし、またそれが存在していることも、またそれが在リうることも知っていません。天使たちの身体全体はくまなく不貞な愛に対しては、または結婚の外側にある愛に対しては冷ややかでありますが、これに反し貞潔な愛または結婚愛からは温かになります。天界の人々については、彼らの全神経は妻をながめてゆるめられ、娼婦を眺めて緊張するのです』。

 

 

これらの事柄を聞くと、その三人の新来者たちはたずねた、『天界の結婚した夫婦の間には地上にあるような愛がありますか』。

 二人の天使的霊は答えた、『それは全く似ております』。

そしてかれらは彼らがそこにも同じ究極的な[最も外なる]歓びがあるか、どうかを知ろうとしているのを認めて、言った、『それは全く似ています。しかし天使の認識と知覚とは人間の認識と知覚よりは遥かに精妙でありますから、それは遥かに祝福されています。そしてその愛は一脈の能力によらなくてはいかような生命を持ちましょうか。もしそれが欠けますなら、その愛は減退して、冷ややかになりませんか。その精力はその愛の量そのもの、度そのもの、基底そのものではありませんか。それはそのは初まりであり、基礎であり、それを完成させるものではありませんか。最初のものは最後のものから存在し、現存し、持続することは普遍的な法則であります。この愛もまた同じことです。それでもし究極的な歓びがありませぬなら、結婚愛の歓びもないでしょう』。

 それで新来者たちはたずねた、『この愛の究極的な歓びからそこに子供たちが生まれますか。もし子供が生まれないなら、それは何の役に立ちましょう』。

 天使的霊は答えた、『自然的な子供は生まれませぬが、霊的な子供が生まれます』。

彼らはたずねた、『霊的な子供とは何ですか』。かれらは答えた。

『結婚した夫婦は究極的な歓びを通して更に善と真理との結婚の中に結合され、そして善と真理との結婚は愛と知恵との結婚であり、愛と知恵がその結婚から生まれる子供たちです。そして天界では夫は知恵であり、妻はその知恵の愛[その知恵に対する愛]であり、そしてこの二つのものとも霊的なものでありますため、そこで霊的な子供たち以外のものはみごもって、生まれるはずはありません。それで天使たちはその歓びの後では、地上のある者のように悲しんだりはしないで、快活になります。しかもこれは前の力に続いて新しい力が絶えず流れ入ってくることから生まれており、その新しい力が前の力を更新すると同時に、燃やしもするのです。なぜなら天界に入る者はすべてその青春期に、その時代の精力へ帰り、永遠にその状態を持続するからです』。

こうした事を聞くと、その三人の新来者は言った、『天界では皆は天使であるため、結婚のないことを私たちは聖言の中に読みませんか』。

これに天使的霊は答えた、『天界を見上げなさい、そうすれば答えられましょう』。

彼らはたずねた、『なぜ天界を見上げますか』。

かれらは言った、『そこから私たちは聖言の解釈をすべて得ているからです。聖言は内的には霊的なものであり、そして天使たちは霊的なものでありますため、天使たちがその霊的な意味を教えなくてはなりません』。

 

 しばらくすると、天界が彼らの頭上に開かれて、二人の天使が現れ、語った。

『天界にも地上にあるような婚姻がありますが、それはそこでは善と真理との結婚にいる者以外の者にはたれにもありませんし、またそれ以外の者は天使でもありません。それでそこでは善と真理との結婚である霊的な婚姻が意味されています。これは地上に起るものであって、死後起るものではなく、それで天界に起るものではありません。例えば婚礼に同じく招かれていた五人の愚かな処女については、彼らは油を持たないで、燈のみしか持っていなかったため、その中には善と真理との結婚がなかったので、そこへ入ることが出来なかったと言われています。油によって善が意味され、燈によって真理が意味され、嫁ぐことはその婚礼が行なわれている天界へ入ることです』。

 

 三人の新来者はこうしたことを聞いて喜び、天界を求める願いとそこの婚姻の希望に満ちて、言った、『私たちはこの願いを実現するため、道徳と有徳な生活を熱心に追求しましょう』。

 

 

 

 

3.貞潔な性愛について

 

 

結婚愛55

 

先ず、かつて天界から極めて美しい歌が聞こえてきた、妻と処女たちとがそこで共に歌を歌っていたのであるが、その美しさは調べも美しく流れ出るある愛の情愛に似ていた。天界の歌は調子の高い情愛、または音声で表現され、調節されたる情愛以外の何ものでもない、なぜなら思考は言葉によって表現されるように、情愛は歌によって表現されるからである。そのメロディの調和と流れから天使は情愛の主題を認めている。

 

 

しかしそのとき天界から一人の天使が彼らの真中に現れて、彼らは貞潔な性愛を歌っているのである、と言った。しかし周りに立っていた者たちはたずねた。

『貞潔な性愛とは何ですか』。

 

天使は言った、『それは姿の美しい、礼儀も正しい処女または妻に対する、淫猥な思いを些かも宿していない男の愛であり、また男に対する処女または女の愛です』。このように言って、その天使は消え去った。

 

 

その歌は続いた、かくて彼らはその表している情愛の主題を知ったため、各々自分の愛の情愛に従って、多くの相違を持ちつつ、それを聞いたのである。女を貞潔な思いを抱いて眺めた者は、その歌をハーモニーのある、美しい歌として聞いたが、しかし不潔な思いを抱いて女を眺めた者は、それを調子外れのもの悲しい歌として聞き、女を軽蔑して眺めた者は、それを耳障りで粗雑な歌として聞いたのである。

 

 

 

直ぐに色々な社会から(幾多の)霊たちが来た、その真中に白い着物を着た数人の天使がいて、そのとき語って言った、『私たちはこの霊界で、凡ゆる種類の愛を、即ち、男に対する男の愛、女に対する女の愛、夫と妻との相互的な愛のみでなく、女に対する男の愛と男に対する女の愛を研究しました。私たちは幾多の社会を通って、これを探求することが出来ましたが、しかし真に結婚的な愛から絶えず能力に恵まれて、最高の諸天界にいる者たち以外の者のもとには貞潔な性愛を未だに見出してはいないのです。私たちはまた私たちの心の情愛へこの愛が流入するのを認めることが出来ましたが、その楽しさは、心が一つである、二人の結婚した夫婦の愛を除いて、他の凡ゆる愛にまさっていることを明らかに感じました。しかし私たちはあなた方にこの愛を研究されるように願います。なぜならそれはあなた方には新しい、また未知のものであって、天界の私たちからは、それが楽しいものであるため、天界の甘美と呼ばれているからです』。

 

 

すると幾人からの者がその後から言った、『私たちは非常に美しい者たちと一緒にいましたが、何ら欲望を感じませんでした。それで私たちは貞潔な性愛の何であるかを知っています』。

 しかし彼らの好色を知っていたその仲間は答えた、『あなたらはそのとき能力が欠けていたので、異性を嫌忌する状態にいたのです。それは貞潔な性愛ではなく、不貞な最後の状態です』。

 

天使たちはこうした事を聞いて怒り、右手に、または南の方に立っている者たちに話すように促した。その者たちは言った。

『男と男との愛があり、女と女との愛があり、また女に対する男の愛と男に対する女の愛があり、この三対の愛は互いに全く違ったものです。男と男との愛は理解と理解との愛のようなものです。なぜなら男は理解となるように創造され、そこから生まれているからです。女と女との愛は男の理解に対する情愛と情愛との愛のようなものです、なぜなら女は男の理解に対する愛となるように創造されて生まれているからです。これらの愛は、即ち、男に対する男の愛と、女に対する女の愛とは胸へ深く入らないで、外に立っており、ただ互いに触れ合うばかりで、それで二人を内的には結合しません。それで二人の男は二人の闘技者のように理論と理論によって互いに戦い、女と女はときには拳をもって戦う二人の拳闘家のように、淫欲に反抗する淫欲によって戦います。しかし男と女との愛は理解と理解に対する情愛との間の愛であって、これは深く入って、連結します。この連結がかの愛です。しかし心の結合ではあるが、同時に身体の結合ではない結合は、またはそうした結合のみを求める願いのみが霊的な愛であって、それでそれは貞潔な愛です。そしてこうした愛は真に結婚的な愛にいる者のみが持っていて、そこから彼らは卓越した能力を持っていますが、それは彼らはその貞潔のために、彼ら自身の妻以外のいかような女の身体からも愛が流入するのを許さないためであり、そして彼らは極めてすぐれた能力を持っていますため、異性を愛すると同時に、不貞なものを嫌忌しないわけにはいかないのです。そこから彼らは貞潔な性愛を得ていますが、その性愛はそれ自身において観察されますと、内的な霊的な友情であって、それはその甘美なものをすぐれた、しかし貞潔な能力から得ております。このすぐれた能力を彼らは姦通を全く拒否することからも持っており、そしてそれはただ一人の妻のみが愛されますため、貞潔であります。さて、この愛は肉にあずからないで、霊にのみあずかっていますため、彼らのもとでは貞潔であり、またそれは、女の美しさが生来の傾向によって同時に心に入りますため、甘美でもあります』。

 

こうしたことを聞くと傍らに立っていた者の多くは耳に手を当てて、言った、『私らはこうした言葉を聞くにたえない。あなたの言われたことは私らには無意味です』。彼らは不貞であった。

その時再びかの歌声が天界から聞こえたが、今は前より美しかった。しかし不貞な者には調子はずれの軋り音をたてたため、彼らはその不快な乱れた音には堪えられないで、劇場から飛び出して逃げたが、知恵から結婚の貞潔を愛した者のみが止まった。

 

 

 

 

4.知恵の殿堂で、賢人たちが女性の美の原因について論じたことについて

 

 

結婚愛56

 

かつて私は霊たちの世界で天使たちと話している間に、かつて以前に見たことのある知恵の神殿を見ようとの心楽しい願いに動かされ、そこへ行く道を彼らにたずねた。彼らは言った、

『光について行かられるなら、それが見えるでしょう』。

私は言った、『私たちの光は、私たちがその神殿に近づいて行くに従って益々明るく輝きます。ですから、その輝きが照りまさって行くに応じて、その光について行きなさい、なぜなら私たちの光は太陽としての主から発していて、それはそれ自身において観察されるなら知恵であるからです』。

 

それで私は二人の天使に連れ立って、その輝きが増し加わっていく光に従いつつ、進み、南方の岡の頂きへ険しい小道から登って行った。その頂きには壮麗な門が在った。門番は私と共にいる天使たちを見て、門を開いた、見よ! 棕櫚と月桂樹の並木道が現れ、私たちはそこを歩いて行った。それはまわりくねった並木道であって、その端に庭園があり、その真中に知恵の神殿があった。

 

私は言った、『私はあなたが賢明な方であるのを知っていますが、賢明な方は、または知恵は女の人と何のかかわりがあるのです』。これを聞くと、その

主人は多少怒って顔色が変わったのである。

彼は手をのべた、と見よ、すぐに他の賢人たちが近くの家々から来た、これに彼は戯れながら言った、『ここへ新しく来られた方は「賢い人間は、または知恵は女と何の関わりがあります」とたずねておられる』。

 

 

彼らはすべてそのことに微笑をもらして言った、『女がなくては、または愛がなくては、賢明な人間はまたは知恵は何でしょう。妻は賢明な人間の知恵の愛です』。

 

 

しかし主人は言った、『さて私たちは知恵について少しく共に話し合いましょう。原因について話し合いましょう。で、まず、女性の美の原因について話し合いましょう』。かくて彼らは相次いで語った。最初の者は以下の原因を述べた、即ち女は男の知恵の情愛として主により創造され、知恵の情愛[知恵に対する情愛]は美それ自身である、と。他の者は以下のように言った、即ち女は主により男から創造られたため、男の知恵を通して創造られた、それで彼女は愛の情愛を吹き込まれている知恵の形である、そして愛の情愛は生命そのものであるため、女は知恵の生命であるが、しかし男は知恵であり、知恵の生命は美そのものである、と。

 

第三の者は以下のように言った、即ち、女に結婚愛の歓びを認識することが与えられており、そして彼らの身体全体はその認識する器官であるため、結婚愛の歓びがその認識とともに宿られており、そして彼らの身体全体はその認識する器官であるため、結婚愛の歓びがその認識と共に宿っているところは美しくないわけにはいかない、と。

 

第四の者が以下の原因を述べた、即ち、主は男から生命の美と優雅さを取り去って、これを女に書き写された、そうした理由から男は女における男自身の美と優雅さとに再び結合しなくては、厳しく、苛酷であり、ひからびていて、愛らしくもない、そして彼はただ自分自身のためでなくては賢くはなく、こうした者は愚かである。しかし、男が妻における男の生命の美と優雅さとに結合すると、彼は気持ちの良い、愉快な、生気のある、愛すべき、それで賢いものになる、と。

 

第五の者は以下の理由を述べた、即ち女は女のためでなく、男のために美として創造られている、それは男は、男では苛酷であるが、(女により)和らげられ、その気質も―それ自身では厳しいが―優しくなり、その心も―それ自身では冷たいが―温かになるためである。彼らはその妻と共になって、一人の人間になると、そうしたものになる、と。

 

第六の者は以下の理由を述べた、即ち、宇宙は極めて完全な業として主により創造られたが、しかしその中には、容貌の美しい、挙措(きょそ、立ち居振る舞い)の愛らしい女よりも完全なものは何一つ創造られなかった、それは男がこの恵み豊かな賜物に対して主に感謝し、主から知恵を受けることによってそれに報いるためである、と。

 

 この、またこうした事柄が多く話された後で、その妻は水晶の仕切り越しに現れ、その夫に言った、『もしおよろしかったら、語りなさい』。彼が話していると、妻から知恵の生命が彼の言葉の中に現れた。なぜならその知恵の愛が彼の語調の中にあったからである。かくて経験がその真理を証明したのである。その後で私たちは知恵の神殿を眺め、またその周りの楽園の光景を眺めて、そのため喜びに満たされ、別れを告げ、並木道を通って、門につき、元来た道から降ったのである。

 

 

 

 

5.黄金時代に生きた者たちの結婚愛について

 

結婚愛75

 

 

 

6.銀時代に生きた者たちの結婚愛について

 

 

7.銅時代に生きた者たちの結婚愛について

 

 

8.鉄時代に生きた者たちの結婚愛について

 

 

 

 

結婚愛79

 

天使は私に言った、『この地域では地から日々新しく人々がやってきて、前に住んでいる人々は次々と追われて、西の、遠方では火と硫黄との池のように見える深淵に投げ込まれます。その凡ての者は霊的な姦淫者でもあり、また自然的な姦淫者でもあります』。

 

 

 

13.『善と真理との結婚』と記された一葉の紙が天界から下の地へ送られたことについて

 

 

結婚愛115

 

この後で天使は結婚した配偶者のもとに在る善と真理との結婚について語り、もし彼らの心がその結婚の中に在るならば、即ち、夫は真理の中に、妻はその真理の善の中に在るならば、彼らはともに無垢の祝福の歓喜の中に在って、かくて天界の天使たちの宿っている幸福の中に宿るであろう、と言った。その状態では夫の生殖力は不断の春にあり、かくて己が真理を繁殖させる努力と能力の中に在リ、妻は愛からそれを絶えず受けるであろう。『主から発して夫のもとに在る知恵はその諸真理を繁殖させることを何ものにもまさって歓ばしく感じ、妻の中に在る知恵に対する愛は、それを胎内に受けるように受けて、みごもり、胎内に運んで、それを生み出すことを何ものにもまさって歓ばしく感じます。天界の天使たちの間の霊的生殖はこうした性質を持っています。そしてもしあなたがそれを信じられるなら、自然的な生殖もまたこの起原から発しています』。