刑罰

 

 

天界の秘義949

 

 左手の前面に或る一つの部屋が在り、そこには光がなくて、暗黒のみが在り、そこから暗室と呼ばれている。その中には他人の財産を渇望し、絶えずそれを求め、また可能な時は常に最も非良心的な方法で、もっともらしい口実をもうけてそれらを手に入れた者らが居る。そこにはこの世界に生きていた時非情に高貴な地位にいたが、賢明なために与えられる尊敬を狡猾な振る舞いに基礎づけた者らがいる。その部屋で彼らは―ちょうど身体の中で生きていた時のように―他の人々を陥れる方法を協議している。そこの暗黒を彼らはおいしいものと呼んでいる。私はそこにいる詐欺を行った者らの顔つきを示された。私は彼らが遂には如何ようなものになるかを明るい日の光の中に見るように見たのである。彼らの顔は死人の顔よりも恐ろしく、屍のように蒼白であり、凄まじい凹みを斑点のようにつけているが、それは心労の拷問を受けて生きている結果である。

 

 

 

 

天界の秘義955

 

更に色々な種類の刑罰が在って、それで悪い者は他生で極めて痛ましく罰せられているが、彼らはその刑罰に向って、自分自身の醜悪な欲念に帰るときに突入するのであるが、そのためそうした事に対し恥辱、恐怖、戦慄を覚えて、遂にはそこから遠ざかるようになる。刑罰は多様であって、全般的には引き裂かれる。引きちぎられる、または引っ張られて粉々にされる、ヴェールをかけて苦しめられる、といった多くのものがある。

 

 

天界の秘義956

 

 復讐に執着し、自分自身を他のたれよりも偉大なものと考え、他の者を自分自身に較べて何ら取るに足りぬ者とみなしている者どもは以下のように引き裂かれる刑罰を受ける、すなわち、彼らは人間的なものが何ら残らなくなるまでも身体と顔を切り刻まれ、顔は広くて、まるでケーキのようになり、腕はぼろ布のように見え、しかもそれが引きのばされて、その人間は高い所をぐるぐると、絶えず天の方へ向って旋回させられる一方では、その品性は凡ての者の面前で布告され、ついには恥辱が彼の心髄までにも滲み通るようになる。かくて彼は哀願者となって、彼に口授される言葉で赦免を乞うように強制される。その後で彼は汚れたエルサレムの近くに在る泥沼に連れて行かれ、その中へ突っ込まれて、泥人形のようになる迄もひきづりまわされるが、しかもそれが繰返し行われて、ついにはこのような欲念も取り去られてしまう。この泥沼には膀胱の領域に属した邪悪な女連がいる。

 

 

 

天界の秘義957

 

 身体の生命の中で言うことと考えることが異なった習慣を身につけた者どもは、特に友情の仮面の下に他人の所有物を切望した者どもはぶらつきまわって、そのやって来る所では何処でも自分達は貧しい者であると言って、そこに止まっても宜しいかと尋ね、受け入れられると、もって生まれた欲望からその見るものをことごとく渇望する。彼らの性格が摘発されるや否や、彼らは追い出されて、罰金を課せられ時としてはその身につけた詐欺の擬装の性質に応じて色々な方法で悲惨な拷問にかけられる。即ち、ある者はその全身に、ある者は足に、ある者は腰に、ある者は胸に、ある者は頭に、ある者はただ口のあたりにのみ拷問をかけられる。彼らは言うに言われぬ方法で前後に打ち倒され、部分、部分が激しくかち合わされ、かくて引きちぎられるため、彼らは自分自身が粉々に引き裂かれてしまったと信じるが、その苦痛を増大するため、抵抗が与えられている。このように引きちぎられる刑罰は非常な変化を以て起り、間を置いて再三再四くり返され、遂にはその責苦を受ける者は欺いてやろうとの意図から言った偽りの言葉に対する恐怖と戦慄とにつき通されてしまう。刑罰が加えられる毎に何かが取り去られる。引きちぎる者らは自分達には罰することが極めて愉快なのでたとえそれが永遠に続くとしても、止めたくはないと言った。

 

 

 

刑罰について

霊界日記4326−4329

 

 

 

刑罰は慈悲から生まれていることについて

霊界日記4421

 

私は、罰しられることは慈悲に反している、と考えている霊たちと話したが、彼らは、それは慈悲から生まれており、罰しられないことが無慈悲である、と言われ、彼らはその誤りを、例により、納得したのである、即ち、もし父親がわがままで悪を行う息子または娘を罰しはしないで、これを甘やかすなら、そのときはその父親は無慈悲なのである、なぜならその場合彼はその息子を力づけて凡ゆるそうした悪を行わせ、かくてその子供たちに反抗し、また他の者たちに無慈悲なものとなるからである。そのように考察することによりそのことは愛に反していないことが証明されるのである。その原理はまた、邪悪な者を免除して、罰しはしない王の場合によっても明らかにされるのであり、王はその際さらに無慈悲なことを犯しているのである、なぜなら彼はそのことによりその王国の中で邪悪な者を寛大に扱って、その数を増大させるからである。他生における刑罰の場合も同じである、もし悪い者が常に行なわれているように、仮にも罰しられて、遂に匡正されることがないなら、彼らは邪悪なものとしてとどまるのみでなく、善良な者をも害うのであり、そのことは慈悲に反しているのである。