ヨセフ

1.マリアの夫ヨセフ

 

 

 

1.マリアの夫ヨセフ

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/4巻上P37

 

私は彼を、現代の両親の模範としてあなたがたに示そう!

 

 

 

 

聖母マリアの詩上P91

 

ヨゼフが

「マリア、私はあわれな無智な人間にすぎず、貧しい労働者でしかありません。学問もなく、財産もない。けれども、あなたの足元に私の宝物として、永久に私の“絶対的”純潔を置きます。“私のいいなずけの姉妹、閉じられた庭園、封じられた泉”神の処女(雅歌4・12)である、あなたのそばにいるにふさわしい者でありますように。私たちの祖先が雅歌を書いた時に、多分あなたのことを書いたのでしょう・・・。私は最も貴重な果物のある香り高い庭園の番人となります。その庭園からやさしく生きる水がほとばしる。」

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P95

 

ゴルゴタにヨゼフはいなかったので、あがないの協力者ではないと思うのか。まことに言うが、ヨゼフこそは、神の最初の協力者であり、そのために神のみ前に偉大である。その犠牲、忍耐、根気と信仰とのために偉大なものである。メシアの奇跡を見ないで信じた。これ以上の大きな信仰があろうか。

私の養父をたたえたい。彼こそ、あなたたちに最も不足しているもの、純潔、忠実、完全な愛の模範である。

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P95

 

すべての聖人には試練があり、試されることによって神の協力者となるために、ヨゼフにも試練の嵐が襲ったのである。

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P274

 

イエズスが言われる。

「ヨゼフは、私の養父であったと言われている。おお、マリアが私に与えた乳を与えることができなかったとしても、私に対して、まことの母のように細やかな愛情を持っていた。生徒にとって、それ以上によい先生があったことはないと思うが、私は養父から子供を大人にすることを全て習った。食べるパンを自分の手でかせぐ男になった。

神の子として、私の知恵は完全であったにしろ、私は、私の年にふさわしく生きようとして、大げさなことは何もしなかった、と信じてもらいたい。そのために、私には神の知恵があったにもかかわらず、一人の人間を先生としていただくほど謙遜であった。私は速やかにいろいろ習ったにしろ、一人の人間の下にいる生徒の身分まで下ったということに変わりはなく、また、あの義人が、私の小さな時に基礎知識を与えてくれた手柄を小さくするものではない。

遊ぶのと同じように、私に働くことを教えてくれたヨゼフのそばで過ごした時間を、天にいる今も忘れられない。そして、私の養父を見るたびごとに、あの小さな庭と、くすぶる仕事場が目に浮かび、そのほほえみによって、あの場所を黄金に変え、私たちを幸せにした母が、顔を出している感じがする。

この二人の夫婦は、他のだれとも比較にならないほど相愛したが、どんな家族も、この二人に習うべきところが多くある。

ヨゼフは家長であった。家庭内の権力は異論のないもので、神の母もそれを深く尊敬し、神の子も服従していたのであった。ヨゼフがしてよいと決めたことは、どんな議論も反対もなく、どんな意固地もなく承諾されていた。彼のことばは、私たちにとって、小さい法律であった。それでも、彼にはどれほどの謙遜があったことか。権力のどんな乱用もなく、頭であるという理由だけで、理性に背く命令など何もなかった。母は、彼のやさしい助言者であった。彼女のその深い謙遜のために浄配の婢と考えていたにしても、ヨゼフは、聖寵に満ちあふれる彼女の知恵から、すべてを行うための光と指導とを汲んでいたのであった。そして、私は、私を愛し保護するために、私の上に組み合わされた、この二つの愛の間に、力強い二本の木によって、保護される花のように成長したのである。

幼な子であったので、世間を知らなかった間、私は天国さえもなつかしく思わなかった。父なる神と霊なる神とは、私のそばに現存していたし、マリアは、神に満ちあふれていたからである。天使たちも、そこに住んでいた。なぜなら、その家から離れさせることは何もなかったからである。その上に天使の一人は、ヨゼフにおいて肉体となったと言いたいくらいであった。なぜなら、肉体の荷から解放されたかの人は、神と、その子とに仕えることだけに専念して、セラフィムたちが愛するように、神を愛することだけを何よりも気にかけていたからである。おお、ヨゼフのまなざし! それは地上の、この世の邪欲を知らない星のように、いつもおだやかで清いものであった。ヨゼフは私たちの安らぎ、私たちに力であった。

私たちを見守っていた聖人のそのまなざしを、死が消した時に、私は人間的に苦しまなかったと多くの人は思っている。神として、ヨゼフの幸福の運命を知り、そのためにリンボに短く止まって後、天が開かれて、そこに入ると知っていたので、その出発のために神として苦しんでいなかったとしても、人間として、彼の愛深い現存を失って空になった家でよく泣いた。私は、亡くなった友だちのために泣いたのに、私のこの聖なる養父のために泣かないことがあろうか。幼い時に彼の胸は、私の枕となったし、長い間、彼から多く、多くの愛をもらったのである。

最後に親たちの注意を引きたいことは、ヨゼフは教育によって得た多くの知識もなかったのに、私を腕のよい労働者に仕立て得たということである。

道具を使える年になるや、私に怠惰な日を許さず、早速、仕事を習わせ、マリアに対しての私の愛を、仕事に励むように助けとして使った。母の役に立ついろいろな道具を造ること、これによって、すべての子供が母親に対して持つべき尊敬を、私に注ぎ、未来の腕のいい大工を作る見習いは、今言った深い愛をこめた尊敬に基づかせていたのだった。

親たちを喜ばす手段として、子供たちに仕事を愛させる家族は、今どこにあるか。多くの場合、子供たちは家の暴君となっている。親たちに対して心を閉ざし、無関心で無礼に育つ。親を自分の僕とさえ考え、親を心から愛さず、また、大して愛されていない。なぜなら、あなたたち親は、子供たちをわがままな暴君のような者に作ると同時に、恥ずべき無関心をもって、彼らから心を遠くして生きるからである。

二十世紀の親たちよ、あなたたちの子供は、あなたたちの子供というよりも、乳母とか、金持ちだったら家庭教師とか、有名校の子である。貧しかったら、仲間たち、道、学校の者であるが、あなたたちの者ではない。あなたたち母親は、子供を産むだけの者である。あなたたち父親も、同じようなことをやっている。しかし、子供は肉体だけの者ではない。何よりも知恵、心、霊である。この知恵、この心、この霊を創り上げる義務と権利とが、だれよりも父と母とにある、とよく肝に命じておくがよい。

家族はあるし、またあるべきである。今、言った真理を破壊する説とか、いわゆる進歩とかは、大きな滅びを産むしかない。崩壊している家族組織から、ますます堕落した、ますます大きな滅びの元となる未来の男と女しか生まれない。猿の集団にある一致と愛さえもない家族があるよりも、この世には結婚と子孫とがない方がよいと真実に言う。そのような家庭は、徳、仕事、愛、宗教の学校ではなく、そのような家族では、子供は一人ひとり孤立して生き、最後に崩壊し混沌で終わる。

さあ、どうぞ、切れ、破れ、家庭の絆を!社会生活のこの最も聖なる様式を破る結果を、あなたたちはもはや見、それに圧倒されている。望むなら、さあ、それを続けよ。けれども、この世が家庭と国とを食う怪物の住まいのような地獄になっても、決して嘆きの悲鳴を上げるな。あなたたちの望むようになっているのだから。」

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 上/P312

 

聖ヨゼフの死

 

 大工の仕事場の内部を見る。その仕事場の二つの壁は、石を彫って自然の洞穴を利用して、部屋を造ったものと見える。岩で出来ているのは北側と西側で、ほかの二つの面は、ふつうの壁である。

 北側の岩の引込んだ所に、原始的ないろりがある。そこによく分からないが、ニスか糊の入っている小さい鍋がかかっている。長い年月、そこで燃やされた火のために、壁がタールで塗ったように見えるほど黒くなっている。壁に掘った穴は、煙を出す煙突の代わりになっている。けれども、ほかの壁も煙で相当黒くなっているばかりか、今も、その部屋に煙のようなもやがただよっているところを見ると、その煙突は大して役に立っていないようである。

 イエズスは、大工用の大きなテーブルの所で働いている。今は、板にかんなをかけて、その板を後の壁に寄せる。それから、両側を万力ではさまれている一つの板をとり、万力をはずして、仕事が正確かどうか、じっと見てから四方に、また、かんなをかける。いろりの方へ行って小鍋をとり、よく分からないが筆か、細い棒で中を探る。

 イエズスは、いくらか短い栗色の服を着て、袖を肘の上までまくり上げて、前に一種の前掛けをつけ、小鍋にふれてから、それで手をこする。一人である。熱心に働いている。落ち着いて、むだな動作は一つもない。根気よく、正確に仕事を続けている。かんなをよくかけられない木材の節があるためか、二回も机から落ちるねじ回しのような物や、目にしみる煙などのために、いらいらする様子もない。

 仕事の合間に、たびたび頭を下げて、閉まっているドアのある南側の壁を見て、耳をそばだてる。いつの間にか、立って行き、道の面している東側のドアを開けて、顔を出す。埃の舞う小道が見える。だれかを待っているようである。また、仕事へ戻る。悲しそうではないが、真剣で緊張している。

 車の輪の部分と見える何かを造っているうちに、南側のドアから、あわただしくマリアが入り、イエズスの方へ走り寄る。濃い水色の服を着て、頭に何も被っていない。簡素な長い服を、同じ色の紐で締めている。息を切らして、子を呼び、苦しい、こいねがう動作で腕にもたれる。イエズスは、彼女の肩に腕をかけて、なで、慰め、それから、前掛けをはずして仕事をやめ、彼女と一緒に出る。

 マリアは、「おお、イエズス、来て、来て。具合がとても悪い」と言うことばだけがやっとで、その唇がふるえ、赤くなった目に、涙の露が光る。イエズスは「母さま」としか言わないが、そのことばに、すべてが含まれている。

 二人は、光と緑にあふれる狭い菜園に向って開かれているドアから、太陽にあふれるその部屋に入る。外の庭には、物干しに張ってある紐に、かけてある布が風にゆれ、鳩が飛び交っている。部屋は貧しいが、よく整っている。低い寝床がある。それは薄い敷きぶとん(ちょっと厚く柔かいふとんなので敷きぶとんと言うか、私たちのベッドのようなものではない)で覆われている。その上に、幾つかの枕にもたれて、ヨゼフがいる。青紫色の顔、光の失せた目、あえぐ胸、全身から力が抜けて、一目で臨終であることが分かる。

 マリアは、その左にいて、しわだらけの手の爪が紫色になっているヨゼフの手をとって、こすり、なで、接吻し、やせたこめかみに光る筋を作っている汗を、小さい布でふき、白いぶどう酒と見える液体に浸した布で、唇をうるおす。

 イエズスは、右の方に立っている。力なく落ち込む身体をすばやく枕の上に直し、マリアと一緒に、静かに下ろす。臨終者の額をなで、何とか元気づけようとする。

 マリアは、静かに音を立てずに泣く。涙の大きな粒が青い額にころがる。そして、濃い水色の服まで落ちる。光るサファイアのように見える。

 ヨゼフは、いくらか体力を取り戻したように、じっと、イエズスを見つめ、何か言いたいかのように、または、神のその手をつかんで、最後の試練に力を汲もうとするかのような様子をする。イエズスは、その手にかがみ、接吻する。ヨゼフはほほえむ。それから目で、マリアを探し少し頭を動かし、探しあてた彼女にも、ほほえむ。マリアは、ほほえもうと努めて、床のそばにひざまづくが、しかし、できずに頭を垂れる。ヨゼフは祝福するかのように、その頭に手を置く。

 鳩の羽音とその鳴き声、風にゆれる木々の葉のざわめき、ゴボゴボと流れる水の音と、部屋の中で死に瀕している人の呼吸しか聞こえない。

 イエズスは、床の外側を回って、低い台をとって、マリアを腰かけさせ、もう一度、ただ「母さま」と呼ぶ。それから、前のところに戻り、ヨゼフの手を、自分の手の中にとる。その有様は、どんなに現実的か。私は、マリアの悲しみのために泣いているほどである。イエズスは臨終者の上にかがんで、一つの詩篇をささやく。詩篇であることは分かるが、今は、何なのか分からない。

 このように始まる。

「“主よ、私を守りたまえ

あなたは私の避難所である

地上にある その聖人を

私は すべて喜びとする

・・・私に助言を与える主を祝そう

・・・いつも私は主のそばにいる

主は私の右に立たれ、私はゆるがない

そのために私の心は楽しみ、魂は喜び

からだは安らかに憩う

なぜなら、あなたは私の魂を死者の住まいに

見捨てることはなく

あなたの聖なるものは腐敗を見るのを許されない

あなたは私のいのちの道を私に示され

み顔の前には、みちあふれる喜び・・・“(1)

 

 ヨゼフは元気を取り戻し、もっと生き生きとした目で、イエズスはほほえみ、その指を握る。イエズスは、ほほえみをもって、その手に愛撫で答え、養父の上にかがんで、やさしく続ける。

 「“主よ

 あなたの幕屋は 何と慕わしい

 私の魂は主の門に恋いこがれ

・・・雀も家も見つけ、雌鳩は子らのために巣を作る

私は 主よ、あなたの祭壇にあこがれる

あなたの家に住む人は幸せ・・・

あなたの中に自分の力を見つける人は幸せ

この涙の谷からおん身のもとに昇ろうとした

主よ、私の祈りを聞き入れてください・・・

おお、神よ、あなたのまなざしを向けて

あなたの注油されたものを見よ・・・“(2)

 

 ヨゼフは、すすり泣きながらイエズスを見、祝福を与えるかのように話そうとする。しかし、できない。何でも分かっているが、ことばが妨げられている。それでも、幸せそうに、活気と信頼をもって、自分のイエズスを、じっと見る。

 「“おお主よ!”」とイエズスが続ける。

 「“あなたは地を恵み

 ヤコブのさまを転じさせ・・・

 あなたのあわれみを現わし

 あなたの救い主を与えよ

 主は、ご自分の清い人々

 心から主に戻る人々に平和を語られる

 まことに、あなたの救いは近く

 あなたの栄光は地上に住むだろう・・・

 慈悲と真理とが出会い

 正義を平和は口づけを交わした

 真理はこの世から芽ばえ

 正義は天から見下ろした

 そうだ、主はおんあわれみを現わし 

 われらの地はその実を結ぶ

 義は彼の前をあゆみ

 道にその足跡をのこす“(3)

 

「父よ、あなたは、この時を見、これのために苦労された。あなたは、この時の到来を早め、主は、その報いを与えられるでしょう」とイエズスは、ヨゼフの頬にゆっくりとつたう一筋の涙をぬぐい、言い加える。それからまた続ける。

 「“彼が主に誓ったように

 『私は家の幕屋に入らず

 休みの床にもつかず

 目に眠りを与えず

 まぶたを休ませもしない

 主のためにところを、ヤコブのつわものに住まいを

 見つけるまでは』

 『主よ、立って安息のところに

 あなたとあなたの聖徳の櫃とが・・・

 (マリアはそのことばが分かって、突然すすり泣く)

・・・あなたの祭司が正義をまとい

あなたの聖人たちが喜びうたいますよう

あなたのしもべダヴィドの愛のために

あなたのキリストの御顔を拒みたまうな』

主はダヴィドに誓い

これを守られるだろう

『お前の王座の上に

お前のふところの実をおくだろう』

主はこれを選び

ご自分の住まいとされた・・・

私は私のキリストのために

一つの灯を調え

ダヴィドの勢力を

花咲かせるだろう“(4)

 

「父よ、私のために、また、母のために感謝します。あなたは、私の正しい父でした。永遠なるものは、あなたを、ご自分のキリストと、聖櫃の守り手とされました。あなたはキリストのためにともされた灯りで、聖なるふところの実に対して、心の愛をほどこされました。父よ、平和に行きなさい。やもめは助けなしに残されるはずはありません。主は、彼女が、ひとりぼっちにならないように、すべて整えられました。安らかにあなたの休みに入られるように、と私は言う・・・」

マリアは、しだいに冷たくなるヨゼフの体に掛けてある布(マントと見える)にかがんで泣く。あえぎは、ますます苦しそうになり、目は、また曇るので、イエズスは慰めのことばを早める。

「“主を恐れる者

その掟を喜びとする者は幸せ

彼の正義は世々に残り

正しい人々の光として闇の中に立ち

慈悲に富み あわれみに富む正しい人として立つ・・・

義人は永遠に思い出される・・・

その義は永遠で、その力は光栄を得て高まる“(5)

 

「父よ、この光栄はあなたに与えられる。私は、あなたの先に逝った太祖らとともに、あなたを迎えに行って、後にあなたの待っている光栄に導く。私のこのことばにあなたの魂が喜びますよう(6)

 「“いとも高きものの助けに憩う人は

 天の神の保護の下に生きる“

 『父よ、もうあなたはそこにおられる』

 “彼は私を狩人の罠から

 悪意あることばから解放した

 主は ご自分の羽根であなたを覆い

 その翼の下にあなたは逃れる

 主のまことはあなたを盾のようにとり囲み

 あなたは夜の恐怖を感じない・・・

 あなたに悪は近寄らない・・・

 あなたのすべての道に

 あなたを守るように

 ご自分の使いたちに命じられたから

 彼らは掌であなたを運び

 足が石につまずかぬように支える

 あなたは ししとまむしを踏んで歩き

 若じしと竜をふみにじる“」

 

「あなたは、主に希望したので、父よ、神は、あなたを解放し、保護してくれる」

  「“あなたは主に光栄を上げたので

  主は あなたを聞き入れ

 最後のもだえの時にあなたと共にあり

 この世での世話のあと

 あなたに光栄を与え

 この世からもはやご自分の救いを現わす“(7)

 

「あの世で、繰り返して言うが、すべての太祖たちの先頭に立たせ、この世で、私の祝福する父であった人のために、神の義人の住まいが準備されている所に、あなたを導き、永遠の神の抱擁で抱かれるでしょう。

 太祖たちに、救いはもはやこの世にあり、そして、天の国は近いうちに、彼らに開かれるであろう、と知らせるために、父よ、私の先に行きなさい。私の祝福は、あなたとともに」

 もう死の霧の中に沈むヨゼフの意識に届くように、イエズスの声の調子が高くなる。死に瀕しているヨゼフが辛うじてあえぐ。マリアは彼をなで、イエズスは小さな床の端に腰かけ、ヨゼフを抱き、臨終者はその腕の中にくずおれて、どんな動揺もなく息が絶える。

 この場面は、荘厳な平和にみちあふれている。イエズスは、太祖を静かに横たえ、苦しみに耐えられずイエズスに倒れかかるマリアを抱く。

              

(1)欄外に鉛筆で詩篇16と書かれている。以下同じ。

(2)詩篇84。

(3)詩篇85。

(4)〃132。

(5)〃112。

(6)リンボ(古聖所)キリストのあがない以前に義人が住んだところ。

(7)詩篇91。

 

 

聖母から司祭へ1984.3.19

 

 正しい人であるかれは、天のおん父からまかせられたその使命を、毎日たくましく果たしました。

 かれは、わたしたちの神であるおん子イエズスをどれほど愛して、その不思議な成長をみまもっていたことでしょう。イエズスはかれに、深い孝心をもって、かれのいいつけをよくきいて従い、かれを慰め、助けていました。

 

 愛する子らよ、ヨゼフが摂理的なその使命を果たすにあたって、示した、そしてかれを完全なものとしていたそのすべての善徳が、あなたがたのうちにも花を咲かせるようにと、わたしは望んでいます。

この時代に、わたしがあなたがたにまかせた使命が果たせるように、ヨゼフのあの沈黙とかくれた生活が、あなたがたのうちにも実現しますように。それは、必要なことです。

 ますます激しくおしよせてくる音やさわぎ、叫びや騒音から遠ざかって生きるようにしなさい。

 あなたがたが沈黙のうちにするイエズスや、あなたがたの母との語らいのうちに、内的な静けさを保ちなさい。

 世俗的見ものを避けなさい。世間のおちいりやすい誘いには、目を閉じていなさい。

 こん日、出版やテレビを用いて、これほど陰険な、しかも危険の手段で拡がっている不道徳の巧妙な笑戦にはまらないように注意しなさい。

 テレビの前で時間をつぶしてはなりません。それは、祈りとわたしの言葉を聞くための大切な時間を盗むことになるからです。

 

 ヨゼフのものだった童貞としての純潔が、あなたがたにもありますように。そのために、わたしは、あなたがたが、自分自身からも、また、被造物からも、人間的なことからも、もっと離脱するようにと望んでいます。これは、主がお願いになることを何であっても、忍耐づよい忠実さで愛し、これを果たすために、内的に自由になるためです。

 最愛の花婿ヨゼフのけんそんな信頼に満ちた祈り、その苦労の多い労働、忍耐づよさと、特別に寛大なその心にならいなさい。