ヨルダン

 

 

 

天界の秘義1585

 

「ヨルダンの平原[平地]をことごとく見た」。これは外なる人の中にあったいくたの善といくたの真理とを意味していることは『平原[平地]』と『ヨルダン』の意義から明白である、内意では『ヨルダンの平原』は外なる人をそのあらゆる善と真理との方面で意味している。『ヨルダンの平原』がそのことを意味しているのはヨルダンはカナンの地の境界であったためである。カナンの地は、前に言いもし、示しもしたように、主の王国と教会とを意味し、事実その王国と教会との天的なものと霊的なものとを意味したのであって、そのためそれはまた聖地、天のカナンと呼ばれており、それが主の王国と教会とを意味しているため、それはその最高の意義では主の王国と教会とのすべてにおけるすべてであられる主御自身を意味しているのである。

 

 

[3]ここからカナンの地にあるあらゆる都も、また山、岡、谷、川、その他あるゆるものさえもが表象的なものとなったのである。

 

 

[4]イスラエルの子孫がカナンの地に入ったときヨルダンを渡ったこと、そのときそれが分かれたことも同じく外なる人を通して内なる人に近づくことを表象し、また人間が主の王国に入ることなどを表象したのである(ヨシュア記3・14から終りまで、4・1から終りまでを参照)。

 

 

 

天界の秘義6538

 

「ヨルダンの水路にある」。これは善と真理とのいくたの知識の中へ徐々に導入される状態である(ところの最初の状態)を意味していることは、『ヨルダン』の意義から明白であり、それは善と真理とのいくたの知識へ徐々に導入されることであり、かくて入る点では主の王国と教会との最初のものであり、出る点ではその最後のものである(4255番を参照)、(カナンの地の境界をなしていた川は主の王国の究極的なものを表象したことは前の1585、4116、4240番に見ることができよう)、そこから『ヨルダンの水路』により善と真理とのいくたの知識へ導入されることが意味されているのである、なぜなら善と真理との知識は人間が教会に属しているものの中へ徐々に導入される手段となる最初のものであるからである。