イエスはかがみ込み、

指で地面に何か書き始められた

ヨハネ8・6

 

 

 

ヨハネ8・3−7

 

そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」

女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」〕

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P226

 

6.気候が植物と花の形や色、成育する習慣に変化を作るように、わたしと常に聖交を保ち続ける者は、習慣と外観、性格に霊的性質の展開をみる。古き自分を捨て去り、わが栄光ある不滅の姿に象られる。

 人々が、自分の隠れた悪を省みず、姦淫の場を押さえられた女を告発しようとやってきたとき、わたしが指を使って彼ら一人一人の罪深さを地面に書いたため、彼らは恥じ入り女を一人残して逃げ去った。わたしはまた、わたしに仕える者たちの罪の傷を指を使って密かに指し示す。彼らが悔い改めれば、同じ指が彼らに触れて罪を癒す。子供が父の指先を握り、その助けによって歩くように、わたしは指を使い、この世界から永遠の平和と安息の故郷へと続く道に子供たちを導き入れる。

 

 

 

黙示録講解222ロ[]

 

エレミア記には―

 

  ああ、エホバよ、イスラエルの希望よ、わたしを棄て去る者はことごとく恥じるでしょう、わたしから去る者たちは、生きた水の源、エホバを棄て去ったため、地に記されるでしょう。ああ、エホバよ、わたしがいやされるために、わたしをいやしたまえ(17・13、14)

 

『地に書かれること』は、『地』は罪があると宣告されたものを意味している以上、生命の状態のために罪があると宣告されることである(「秘義」、2327、7418、8306番)

 

 

 

黙示録講解222ロ[]

 

このことはヨハネ伝に主がその指で地に書かれたことにより意味されていることを明らかにしている―

 

(中略 ヨハネ8・2−11))

 

 主が『地に書かれたこと』はエレミア記の前の記事、『わたしから去る者は地に書かれるであろう』と同じことを、すなわち、かれらもまた姦淫のために罪を宣告されたことを意味しているのである、それでかれは言われたのである、『あなたらの間で罪のない者、その者に先ず石を彼女に投げさせなさい』。主が神殿の中で『地に二度書かれたこと』は、かれらが霊的な意義で姦淫のために罪を宣告されたことを意味したのである、なぜなら学者とパリサイ人とは聖言の、かくて教会の善と真理とを不善化した者ら[不義化した者ら]であり、『姦淫』は霊的意義では善を不善化し、真理を誤謬化することであるからである(前の141、161番を参照)、それでかの国民はまた主から以下のように呼ばれたのである―

 

 不義を犯し、[姦通を犯し]、罪に満ちた世代の者(マルコ8・38)。