わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、

その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる

ヨハネ7・38

 

 

渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。(イザヤ55・1)

 

 

 

1.聖書

 

 

 

 

 

1.聖書

 

 

ヨハネ7・37−39

 

祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」

イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。

 

 

 

ヨハネ4・13−14

 

イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

 

 

 

エゼキエル47・1

 

彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。

 

 

 

 

真の基督教149

 

「主は主を信ずる者たちに働きかけてこれらの恩寵を与え給う。」

 主は主を信ずる者たちに、聖霊を遣わすことによって意味されるこれらの恩寵を与えようとして働き給う。即ち、彼は、改良し、再生させ、革新し、甦らせ、聖め、義となし諸悪から浄め、最後に彼らを救い給う。それは救いと永遠の生命とは主を信ずる者たちに与えられることを証明している聖言から引用された凡ての記事(107番)によって明らかであり、またイエスの以下の言葉によっても明らかである。「聖書に言える如く、我を信ずる者はその腹より生ける水、河となりて流れ出ずべし、イエスはこのことを己を信ずる者の受くべき御霊に就きて語り給へるなり」(ヨハネ7・38、39)。また以下の記事によっても明らかである、「イエスの証しは予言の霊なり」(黙示録19・10)。予言の霊により聖言から由来する教義の真理が意味され、予言は教義以外の何物をも意味しないし、予言することは教義を教えることを意味し、そしてイエスの証しにより、彼に対する信仰から発する認識が意味されている。ミカエルの天使たちは「小羊の血と彼らの証しの言によって竜に勝ち、竜はその裔の残れる者即ち神の誡命を守り、イエス・キリストの証しを持てる者に戦いを挑まんとて出で行けり」(黙示録12・11、17)と言われる際、同じことが証しによって意味されている。