わたしが王だとは、あなたが言っていることです。

ヨハネ18・37

 

 

1.聖書

2.アグレダのマリア

3.スウェーデンボルグ

 

 

 

1.聖書

 

ヨハネ18・37

 

そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」

 

 

 

 

2.アグレダのマリア

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P222

  第六章

 イエズスはピラトの前に引き出され、鞭打たれ、茨を冠される。

 

 福音史家たちが書き記すように(マテオ27・1。マルコ15・1。ルカ22・66。ヨハネ18・28)、金曜日の明け方、長老たち、祭司長たちや律法学者らが集まり、キリストの処刑を衆議一決しようとしました。人々に対して正義の見せかけをするため、カヤファの官邸に於て会議を行うことになりました。主は地下牢から会議場に引き出されました。彼らは再び、主がキリスト、つまり聖別された者であるかどうか質問しました。主に対する告訴をでっちあげるため以外の何物でもありません。「お前たちの言うところの者だと私が言っても、お前たちは信じないであろうし、私がお前たちに取り入り、頼んでも、お前たちは答えようともせず、私を釈放しようともしないであろう。私は言う、今より後、人の子は神の御力の右に座すであろう」(ルカ22・69)。祭司たちは言います、「では、汝は神の御子だな。」主は御答えになります、「お前たちがそうだと言う。」この御答えにより、主は次のように言われているようです、「お前たちは全く正しい考えに到達した、私が神の御子であると。私の事業、私の教義、お前たち自身の聖書、並びにお前たちが今私に対してしていることは、私がキリスト、律法により約束された御者であることを証明する。」

 

 

 

3.スウェーデンボルグ

 

 

啓示による黙示録解説20

 

主は神的知恵から「王」と呼ばれ、神的愛から「祭司」と呼ばれ給うており、それで主から知恵の中にいる者たちは「王の子」とも「王」とも呼ばれ、主から愛の中にいる者たちは「仕える者」、「祭司」と呼ばれている。

 

 

互いに戦いを交えた「南の王」と「北の王」によっても王が意味されているのではなく(ダニエル11・1以下)、「南の王」により真理の中にいる者たちが意味され、「北の王」により誤謬の中にいる者らが意味されているのである。

 

 

「王」により―その王に主が主から知恵の中にいる者たちをなされるが―彼らが王となることが意味されてはいないで、彼らが賢明になることが意味されていることが明白である。

 

 

主が「王」により真理を意味されたことは、ピラトに対する主御自身の御言葉から明白である―

 

 

ピラトはかれに言った、それではあなたは王ではないか。イエスは答えられた、あなたはわたしが王であると言った。この為にわたしは生まれ、またこの為にわたしは世に来たのである、即ち、真理について証をするためである、凡て真理のものである者はわたしの声を聞く。ピラトはかれに言う、真理とは何ですか(ヨハネ18・37,38)。

 

 

「真理について証すること」は、主御自身が真理であることを意味している。そこから主は御自身を「王」と呼ばれたために、ピラトは「真理とは何か」、即ち、真理は王ですか、と言ったのである。『祭司』は愛の善の中にいる者たちを、抽象的には、愛の諸善を意味することは以下の記事に明らかとなるであろう。