言っておきたいことは、まだたくさんあるが、

今、あなたがたには理解できない

ヨハネ16・12

 

ヨハネ16・12

 

言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P41

‘89・11・15

 

休む(*)直ぐ前に、あと一言下さいとイエスにお願いしました、それも聖書から。お願いしてから任意の箇所を開くと、イエスは聖書を通して応えて下さいました。

 *「眠る」と言う代わりに、「休む」という言葉を使っています。イエスが来て下さるまで何年も眠った状態でしたので、「眠る」という言葉にはアレルギーがあるのです。

 

「まだ沢山言うことがあるが 今、あなたたちには理解できない。」(ヨハネ福音書16・12)

 

こう仰しゃった中で、あるちょっとした聖なるユーモアに気づかされました・・・

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P150

‘98・6・7

 

真理の霊(*1)なる、私を送られて、永久にあなた方と共にとどまり 全き真理へと導くようにされた、神なる父は 霊(*2)。神のみことば、光 そして救い主であり 初めから存在し、御父のみ心に最も近いお方は、御父を証しし あなた方に御父を知らしめた。あなた方はこの方自身の血で買い取られた。みことばは生きて活動し 私と御父が証しすると同じように 地上で証ししておられるとは読まなかったか? 自らの血(*3)で教会を買い取られた聖なる方は その血によって証しし 全き真理(*4)へとあなた方を導く、真理の霊なる、私は水によって証しする(*5)。 それゆえ、私どもは三位の証し人であって 唯一の神(*6)であるため三位とも 同じ意志、一つの権威と同じ主権をもって同意している。

 

 *1ヨハネ福音書14・17。

 *2ヨハネ福音書4・24。1コリント15・45でも聖パウロはキリストのことを「自ら生きる霊」(life-giving Spirit)と言っています。「霊」は聖書的には神のご性質よりはむしろ いのち与える活動を現しています。神は霊を与え その意味で神は霊なのです。

 *3この犠牲によって私どもは永遠のいのちを得ました。

 *4ヨハネ福音書16・12−13でイエスは弟子たちに仰います:「まだたくさん言うことがあるが、今、あなたたちは理解できない。しかし、真理の霊であるその方が来られると、真理のあらゆる面であなたたちを導いて下さる・・・」啓示のことを終わったかのように話し、みことばをただの預かった文として扱うのは間違っています。神は生きておられて活動し、聖霊を通してご自分を現しつづけ、これからもずっとそうなさるでしょう。

  ラテン語で:「completere」というのは、キリストが神の満ち満ちた、全き啓示だという意味であり、人類にご自分を現すのをやめるという意味ではありません。―聖書とはイエス・キリストを証しする記述です。神の最終的なお言葉ではないのです。

 *5洗礼によって。   *6本質が唯一であり。

 

私について、被造物よ、どんなイメージをつくり上げ いまだ私を知らずにいるのか? ・・・ところが私は証しをやめたことはない。顔を隠したこともない(*)・・・