わたしと父とは一つである
ヨハネ10・30
ヨハネ10・30
わたしと父とは一つである
天界の秘義3704[6]
このことは他生に良く知られており、それで天界ではかれらは主以外の者を父と呼んではおらず、福音書の聖言の『父』により意味される者としては主以外の者を認めないのである(15、1729番を参照)。小さな子供たちはことごとく愛の善とその真理の中へ導き入れられつつあるときは、そこでは主のみをその父として承認するように教えられるのであり、いな、天界に新しく入ってくる者たちでさえ一人の神がおられることを細心の注意をもって教えられるのであり、教会の中に生まれた者は三一性のすべては主の中に在ることを教えられるのである、なぜなら基督教世界から来る者はことごとく、たとえかれらは一人の神のみしかいないと唇では言っていたものの、三人の神の観念を持ってくるからである。なぜなら三人の神の観念が前に入っているときに、そしてその三人の神の各々が神と呼ばれ、また属性と任務との方面で他から区別され同じく別々に拝されているときに、一人の神を考えることは人間的に不可能であり、従って口では一人の神のみを拝してはいるものの、心では三人の神を拝しているからである。
天界の秘義3704[7]
天界の秘義3704[8]
天界の秘義3704[9]
さらに―
父から聞き、学んだ者はことごとくわたしに来る。父とともにいる者以外にたれ一人父を見てはいない、父とともにいる者が父を見たのである(ヨハネ6・45、46)。
さらに―
それでかれらはかれに言った、あなたの父は何処にいますか。イエスは答えられた、あなたたちはわたしを知りもしないし、またわたしの父をも知らない。もしわたしを知るなら、父をもまた知るであろう(ヨハネ8・19)。
さらに―
わたしと父とは一つである、たとえあなたらはわたしを信じなくても、業を信じなさい、そうすれば父はわたしの中に、わたしは父の中にいることをあなたらは知り、信じることができるであろう(ヨハネ10・30、38)
天界の秘義3704[11]
また他の所には―
聖い父よ、かれらをあなたの御名の中へ守りたまえ、わたしたちが一つのものであるように、かれらも一つのものとなるためであります(ヨハネ17・11)。
これらの記事から、主は主御自身が持たれた神的善から『父』について話され、神的善から発している神的真理から『子』について話され、かくて『父』と『子』は二人ではなく、一人であることが明白である。主がそのように語られた理由は聖言が天界に受け入れられているように地上にも受け入れられるためであり、また主は栄化されたまわなかったうちは、神的善から発している神的真理であられてが、しかし栄化されたもうたときは、各々の本質の方面でも神的善それ自身であられ、主から神的善と神的真理とがことごとく発しているためである。
天界の秘義3737
この合一は、互いに他から区別されていて、単に愛によってのみ連結している二人の者の合一として、父が息子を息子が父を愛している時のその父と子との合一として、または兄弟が兄弟を、または友が友を愛するときのような合一として理解されてはならないのであって、それは主もまたくりかえし教えられているようにそれらが二つのものではなくて一つのものとなるために、真に一つのものに合一することであり、それらは一つのものであるため、それで主の人間的なもののすべては神的な存在であり、またはエホバなのである(1343,1736,2156、2329、2447、2921、3023、3035番を参照)。