わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる
ヨハネ10・16
ヨハネ10・16
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れとなる。
天界の秘義2088
しかし後になて、主に対する愛がもはやそれがかつてあったようなものでなくなったとき、霊的な人がかれらにつづいたのであり、隣人に対する愛の中に、または仁慈の中にいた者たちは霊的な人と呼ばれたのである。しかし隣人に対する愛はまたは仁慈は真理により植えつけられたのであって、それによりかれらは良心を受け、それにしたがって行動したが、それは善の情愛からではなく、真理の情愛から行われたのである。仁慈は、霊的な者にあっては、善の情愛のように見えるが、しかしそれは真理の情愛である。こうした外観から、仁慈は依然愛と呼ばれているが、しかしそれはかれらの信仰の善である。これらの者がヨハネ伝に主により意味されている者たちである―
わたしは扉である、もしたれでもわたしにより中へ入るなら、その者は、救われ、出入りして、草地を見出すであろう、わたしは善い羊飼いである、わたしはわたしのものを知っており、またわたしのものから知られている。わたしはこの羊のおりのものでない他の羊をもっている、かれらもまたわたしは連れてこなくてはならない、かれらはわたしの声を聞くであろう、かくて一つの羊の群、一人の羊飼いがいるであろう(10・9、14、16)。