ヨブ記

 

 

天界の秘義3540[4]

 

ヨブ記は古代教会の書物であることは、前に言ったように、その表象的な表意的な文体から明白である、しかしそれは主とその王国とを専ら取扱っている内意を持っていないため、律法と予言者と呼ばれている書物に属してはいないのである、なぜなら内意が書物を純粋な聖言に属すものとする唯一のものであるからである。

 

 

 

黙示録講解543ニ(16)

 

最古代の書物は―その間に「ヨブ記」があるが―純粋な相応したものにより書かれたのである、なぜなら相応したものにかかわる知識は当時知識の中の知識であったのであり、最も多い、意義のある相応したものに溢れ満ちている書物を組み立てることができた筆者たちは最高の尊敬を得たからである。「ヨブ記」はそうしたものであるが、しかし相応したものから集められたその中の霊的な意味は、予言者の書の霊的な意味とは異なって、天界と教会との聖い事柄を取り扱ってはおらず、従ってその書物は聖言の書物の中にはないものの、それに満ちている相応したもののために、そこから幾多の記事を引用しているのである。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P130

 

主:

「私はヨブの言葉を借りて答えます。ヨブは苦しむ者の姿、すなわち私の姿です。ヨブはこう言っています。『あなたたちが正しいとは、私は決して思わない。私は最後まで自分の無実を言い張り、正義を頼んで、それを離さない。私の心は決して自分の日々を恥じない(ヨブ7・5〜6)』