ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた

イザヤ9・5

 

 

イザヤ9・5

 

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。

ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。

権威が彼の肩にある。

その名は、「驚くべき指導者、力ある神

永遠の父、平和の君」と唱えられる。

 

 

 

天界の秘義1754

 

「アネル、エシコル、マムレ」。これらはかれらにぞくしているものを意味していることはこれらの者について本章(13節)に前述したことから明白である、すなわち、かれらの名により争闘が行われた源泉であるいくたの善と真理とが意味されていて、天使たち自身がそれほど意味されてはいないのである、なぜならすでに言ったように天使たちは『若者』と『人々』により意味されているからである。なぜなら天使たちはいかような名もかれらには決して与えられてはいないで、その性質については善と真理とにより区別されており、そうした理由から(前の144、145、340番に示されたように)聖言では名により本質とその状態以外には何ごとも意味されていないからである。このこともイザヤ書に認められることができるのであって、そこには主のことが語られている―

 

  その名は驚異、勧告者、神、英雄[丈夫]、永遠の父、平安の君と呼ばれるであろう(9・6)。

 

 ここに『名』により主はいかような性質を持たれるかが、すなわち、主は驚異、勧告者、神、英雄、永遠の父、平安の君であられることが意味されているのである。

 

 

天界の秘義3704[3]

 

 旧約聖書の聖言に『エホバ』と呼ばれたもうのは主であることは前に見ることができよう(1343、1736、2921番)、主はまたそこで『父』と呼ばれたもうことは以下の記事から明白である―

 

 わたしたちに一人の子供が生まれたもうた、わたしたちは一人の御子[息子]を与えられた、まつりごとはその肩の上に在るであろう、その名は驚異、勧告者、神、英雄、永遠の父、平和の君と呼ばれたもうであろう(イザヤ9・6)。

 

 ここには『生まれたもうた子供』と『わたしたちに与えられた御子』は主であることは極めて明白であり、かくて『永遠の父』と呼ばれたもう者は主である。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P

‘90・12・25 クリスマス

 

みことばが降った そして我が意思は実行されよう。 その間 あなたが今まで知らなかった国たみを召集し 与えた指示を彼らにも伝えなさい、そしてときおり「賢者」が 私を「父」と呼ぶといって非難するなら、今日ひとりの子が生まれ その名は: 驚くべき―指導者、力ある―神、永遠の―父、平和の君(**)だと思い出させなさい。 自らを法の博士と呼ぶ者たちのために祈ってほしい、その霊が謙虚な貧しい霊となるように。

 

 **イザヤ書9・5。