インド

 

1.スウェーデンボルグ

2.サンダー・シング

 

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

 

 

真の基督教64

 

神的遍在は霊界における天使と霊が相互に身を現す驚くべき方法によって説明することが出来よう。かの世には全く空間はなく、ただ空間の外観のみが存在する故に、天使も霊も、もし類似した情と思いとを持つならば、一瞬にして他の者の許に居ることが出来る。何故なら、この二つが空間の外観を生ぜしめるからである。彼の世界におけるこの出現の事実を私はアフリカ人とインド人が、地上では非常に離れてはいるが彼処では一緒に居るのを見て知ることが出来た。

 

 

 

真の基督教107

 

然しアジア、アフリカ、インドの人々のように、主に就いて何事も知らない人々は、若し彼らが一人の神を信じ、その宗教の教えに従って生活するならば、その信仰によって救われるのである。

 

 

 

聖書117

 

この二つの聖言から宗教の事柄はインドとその諸島へ拡がり、エジプトとエチオピアを経てアフリカの諸国へ拡がり、アジアの海岸地方からギリシャへ拡がり、ギリシャを経てイタリーへ拡がったのである。

 

 

 

 

2.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P298

 

 「人々はわたしたちを異教徒と呼びますが、おかしなことです。母は異教徒でありましたが、今生きていれば間違いなくキリスト教徒になったでありましょう。しかし、祖先の信仰に従っていたときでさえ、母は非常に宗教的でありました。母は、多くのキリスト教徒よりもはるかに心を込め、深く神に祈り、神に仕え、神を愛していました。わたしの見る限り、インドには、キリストを知らず、告白することがなくても、霊的生活を送る人々が西洋よりはるかに大勢います。彼らは、まさしく、神が与えられた光に従って生きているのです。あなた方西洋人にはキリストがありますが、主を心にかけている人はいったい何人いるでしょうか。人々はこの世のためばかり生きているではありませんか。インドには、聖なる生活を送る人々が非常に多くいます。クリスチャンは、かけがえのない宝物、キリストを神から受けています。しかし、多くはこの世的な生活をあきらめることができず、心も手もこの世のものでいっぱいです。インド人は、このような宝を神から受けていないにもかかわらず、世を捨て、自分自身を否定しているのです。異教徒が求道に費やすのは、たった数日や数か月ではありません。彼らは、一度に幾歳月もかけ、必死になって真理を探し求めます。この間に、彼らは多くの苦しみを通らなければなりません。しかし、あなた方クリスチャンは、たった十分でも疲れるのです。西洋諸国の名目的キリスト教徒は、非キリスト教国の人々を『異教徒』と呼びます。むろん、彼らが偶像を拝んでいることは事実ですが、こちらの人々は自分自身を崇拝している。これは、はるかに悪しきことです。偶像崇拝者は真理を求めている。しかし、こちらの国の人々は、わたしの見る限り、快楽ばかりを求めているのです。」

 「生けるキリストは、必要に応じて誰にでもご自身を現されている。非キリスト教の思想家たちもまた、“義の御子”から光を与えられている。インド人も聖霊を受けている。ちょうど、生きている魂の誰もが空気を呼吸しているように、クリスチャンであれ非クリスチャンであれ、どの魂も、たとえ自分では気づかずとも聖霊を呼吸しているのである」