イマキュレー・イリバギザ

(1970〜)

『生かされて』

PHP研究所刊

1.はじめに

2.黙示録の世界

3.「彼らを許しなさい。彼らは、自分たちがやっていることがわからないのだから。」

4.虐殺の嵐のまっただ中で、私は、私自身の救いを見出すことが出来たのです。

5. 「家族の死をあまり長く悼んではいけない。イマキュレー。彼らは、今私と一緒にいる、そして彼らは幸福なのだから。」

6. 「山も信仰で動く。イマキュレー、しかし、もし信仰がたやすいことだったら、すべての山は動いてしまうだろう。」

7.「君は、随分長いあいだ苦しんだね。でももう、涙と分かれる時だ。僕たちがどんなにすばらしいところにいるか見てごらんよ。」

8.殺人者を許す

9.人が誰かを許すことを助けることこそが、私の人生の仕事の大きな意味

10.終わりに

 

 

1.はじめに

 

これは1994年ルワンダで起こった大量虐殺によって家族を失った女性のドキュメントです。

イマキュレー・イリバギザは信心深い両親と仲のよい兄弟に囲まれて育ちます。大学生のときに勃発した民族間の争いで両親、次兄と弟の4名が虐殺されてしまいます。彼女は知り合いの牧師の家に匿われ、3ヶ月間、狭いトイレの中に女性6人(後に8人)で隠れていて助かります。彼女の家族で生き延びたのは彼女と、遠くで学んでいた長兄だけです。彼女は当初大切な家族を殺した者たちに怒りと憎しみに襲われます。しかし、主が彼女に現れ、「彼らを許しなさい。彼らは、自分たちがやっていることがわからないのだから」と語りかけます。彼女は葛藤しますが、ついに敵を許すことが出来るようになります。

 

「許す」という大きなテーマとともに、「あなたたちは、皆、私の子どもたちです。あの赤ん坊は、今、私と一緒にいます」という主のお言葉や、「家族の死をあまり長く悼んではいけない。イマキュレー。彼らは、今私と一緒にいる、そして彼らは幸福なのだから。」という主のお言葉は、病気や、大震災などで大切な家族を亡くして悲しんでいる人たちにとっても、限りない慰めをもたらしてくれることでしょう。

 

イマキュレーは現在結婚し、ニューヨークの国連で働きながら、夫と二人の子供と幸せに過ごしています。彼女は虐殺で残された孤児たちのために基金を設立しようと考えています。

 

 

2.黙示録の世界

 

生かされて/P200

「ソランジュは、言いました。真っ青な顔で、震えながら。

『頭からその光景が離れないんです。目を閉じても、死んだ人しか見えないんです』

 もしラジオや牧師から同じような話しを聞いていなかったら、とても信じられなかったでしょう。黙示録の世界がついにやってきたようで、ルワンダにその最初の一歩がしるされたのです。」

 

 

3.「彼らを許しなさい。彼らは、自分たちがやっていることがわからないのだから。」

 

生かされて/P173

 

 ある夜、この家のすぐ近くで悲鳴が聞こえました。続いて、赤ん坊が泣き叫びました。

 殺人者たちが、きっと母親を殺したのにちがいありません。そして、赤ん坊を道路に放り出したのでしょう。そのまま死んでしまうように。

 その子は一晩中泣いていましたが、朝には、ほとんど聞こえなくなりました。近くで犬たちがうなっています。どんな風に赤ん坊の命が終わるかと思うとぞっとしました。

 私は、神様にその子の無垢な魂を受け入れて下さるようにと祈り、それから聞きました。どうして、罪のない子にこんなことが出来る人たちを許すことが出来るのでしょう。

 その時、私は声を聞きました。まるで同じ部屋にいるかのようにはっきりと。

 あなたたちは、皆、私の子どもたちです。あの赤ん坊は、今、私と一緒にいます。

 それは、短く簡単な言葉でした。

 でも、それは、明らかに、私がここ数日もがきながら探し求めていた答えでした。

 殺人者たちは子どもたちと同じなのです。

 そうなのです。彼らは、彼らのやったことで、厳しく罰せられなければならない、野蛮な生き物です。それでも、彼らは、子どもたちなのです。彼らは、残酷で、残虐で、危険です。子どもたちも時々そうなることがあります。でも、それにもかかわらず、彼らは子どもたちなのです。

 彼らは、自分たちがどんなに恐ろしい苦痛を与えているかわかっていないのです。何も考えずに人々を苦しめ、兄弟、姉妹を迫害しているのです。彼らは、神を傷つけているのです。そして、自らをどんなに傷つけいているかわかっていないのです。

 彼らの心は、悪魔に占領されているのです。それは、この国じゅうに広がっています。でも、彼らの魂は悪魔ではないのです。恐ろしいことをやっていても、彼らは、神の子どもたちなのです。

 そして、私は、子どもを許すことなら出来るでしょう。

 簡単ではありません。特に、その子どもが私を殺そうとしているのですから。

 神様の目には、殺人者たちでさえ、彼の家族、愛と許しを受ける対象なのです。

 私は、神の子どもたちを愛する気がないのならば、神の私への愛も期待することは出来ないとわかったのです。

 その時です。私は、殺人者たちのためにはじめて祈りました。彼らの罪をお許し下さいと。

 私は、彼らがこの世での命を終える前に、彼らがしている恐ろしい間違った行動に気づくことを祈りました。彼らの恐ろしい罪が裁きを受ける前に。

 私は、父のロザリオを握り締め、神様に私を助けて下さいと祈りました。

 その時、もう一度、声がしました。

 彼らを許しなさい。彼らは、自分たちがやっていることがわからないのだから。

 その日、私は殺人者たちを許すために、一歩を踏み出すことが出来たのです。

 怒りは、私の中から消えていきました。

 私は神様に心を明け渡したのです。そして、神様は無限の愛でそれに触れてくれたのです。

 はじめて、私は、殺人者たちに哀れみを感じました。私は、神様に彼らの罪を許し、彼らの魂を神様の美しい光の方向に向けて下さいとお願いしました。

 その夜、私は、はっきりと意識を持ち、清らかな心で祈りました。

 この場所に着いてからはじめて、私は平安のうちに眠ることが出来ました。

 

 

4.虐殺の嵐のまっただ中で、私は、私自身の救いを見出すことが出来たのです。

 

生かされて/P194

 

 でも、私は、孤児だとはまったく思っていませんでした。何週間も祈り続けてきて、神様との関係はそれまでに想像も出来ないほど深まりました。

 私は、この地上のいかなる王よりも愛情深く力を持った王の娘のような気分でした。

 私は、毎日、心の中の神様と交信する場所に入り込むと、心をゆだね、聖なる魂と話し、そして聖なる魂は私の心に語りかけるのでした。

 神様は、彼の魂とともにあるならば、見捨てられ、一人ぼっちになり、傷つけられることは決してないと私に約束してくれます。

 私は、その汚い床に、石のようにじっとしたまま、何時間も続けて座っていて、神様の聖なるエネルギー、愛の力が、私の中を川のように流れ、私の魂を浄め、私の心をやすらかにしてくれるのを感じていました。

 時折、私は、自分のからだを離れて浮かびあがり、神様の愛にあふれた手の中でゆりかごのようにあやされながら、これまで聞いたこともない見知らぬ言葉を話しているのでした。直感的に、私は、それが神の偉大さと愛の力を賛美しているものだとわかりました。

 目覚めているあいだは、毎日十五時間から二十時間、神様と会話し、祈り、瞑想し、数時間眠っているあいだには、イエス様と聖母マリアを夢に見ました。

 虐殺の嵐のまっただ中で、私は、私自身の救いを見出すことが出来たのです。

 私の神様との絆は、この隠れ場所を超え、戦争を超え、大虐殺を超え、今では、生きていること自体も超えたものになりました。私は、神様に心をゆだね、神様は、それを愛と許しで満たしてくれているのです。ここにいることは、私にとって祝福に変わりました。

 たとえ、両親が血の海の中で死ぬことがあったとしても、私は決して孤児にはならないのです。私はここで再び生まれたのです。父、神に愛されている娘として。

 

 

5.「家族の死をあまり長く悼んではいけない。イマキュレー。彼らは、今私と一緒にいる、そして彼らは幸福なのだから。」

 

生かされて/P201

 

 私は、夜明け少し前に眠りに落ち、これまでのどれよりもはっきりした夢を見ました。

 イエス様が私の前に立っているのを見ました。その腕は、私を抱こうというように私に向かって差し伸べられていました。

 彼は腰布一枚という身なりでした。その髪は肩に流れ、あまりに痩せているのに衝撃を受けました。あばら骨が浮き出し、頬は、こけてくぼんでいました。

 それにもかかわらず、私を見た時の彼の目は星のように強い光を放っていました。そして、その声は、やさしいそよ風のようでした。

「お前がここを出る時、お前の愛するものたちも、知っているものたちも、ほとんど死んでしまっていることを発見するだろう。私は、恐れるなと告げるために来た。お前は一人ぼっちではない。私がお前と一緒にいる。私こそお前の家族なのだ。平安な心で、私を信じるのだ。なぜなら、私はいつまでもお前の味方なのだから。家族の死をあまり長く悼んではいけない。イマキュレー。彼らは、今私と一緒にいる、そして彼らは幸福なのだから。

 私は、幸せな気持ちで目覚めました。イエス様を見るのは、美しいご褒美でした。

 でも、時がたつにつれ、私の心は重くなりました。イエス様は、私の家族は死んでいるとおっしゃったのです。ああ、どんなに彼らに生きていて欲しいと思ったことでしょう。

 

 

6.「山も信仰で動く。イマキュレー、しかし、もし信仰がたやすいことだったら、すべての山は動いてしまうだろう。」

 

生かされて/P229

 

 その時、イエス様が話されました。

「山も信仰で動く。イマキュレー、しかし、もし信仰がたやすいことだったら、すべての山は動いてしまうだろう。

 私を信じなさい。そうすれば、私が決してお前を見捨てないことがわかるだろう。

 私を信じなさい。そうすればもはや恐怖はなくなる。

 私を信じなさい。そうすれば私はお前を助けよう。

 私はこのドアに十字架を掛けよう。そすすれば、彼らはお前に近づくことは出来ない。

 私を信じなさい。そうすれば、お前は生きるだろう」

 

 

7.「君は、随分長いあいだ苦しんだね。でももう、涙と分かれる時だ。僕たちがどんなにすばらしいところにいるか見てごらんよ。」

 

生かされて/P347

 

その光はだんだん強くなり、広がっていき、ついに私を取り囲んでいた黒い雲を呑み込んでしまい、そして、突然、私は私の家族と一緒にいたのです。

 その夢はあんまり生き生きしていたので、私は、手を伸ばして彼らの皮膚の温かさを感じることが出来るほどでした。私はあまり嬉しかったので、空で踊ってしまいました。

 ダマシーンは、パリッとした白いシャツと紺のズボンを履き、喜びに満ちた輝くような笑顔を見せていました。

 母と父とヴィアネイがその後ろに立って、手をつなぎ合い、私に光を投げかけています。

「やあ、イマキュレー、僕たちが君をまだ幸せに出来るのを見るのは嬉しいよ」と、私の愛する兄は言いました。

「君は、随分長いあいだ苦しんだね。でももう、涙と分かれる時だ。僕たちがどんなにすばらしいところにいるか見てごらんよ。ごらん、どんなに幸せでいるかわかるだろう。

 もし君が、僕たちがいまだに苦しんでいると思っているとしたら、それは、そこから抜け出した苦痛の中に僕たちをまた追い戻すことになるんだよ。君が僕たちをどんなに恋しがっているかわかっているよ。でも、僕たちがまた苦しむのは嫌だろう?」

「ええ、もちろんよ、ダマシーン!」と、私は叫びました。喜びの涙があふれました。

「ここに帰ってきちゃだめ! そこにいて、私を待っていてね。私もきっと行くから。神様が私におさせになろうとしていることが終わったら、私もきっとそこに行くわ」

「ここで君を待っているよ、僕の大事な妹。さあ、君の心を癒すんだ。君は、僕たちの人生を変えてしまった人々を愛し、許さなければならない」

 私の家族は、ゆっくりと空の中へ、そして天国へと消えていきました。

 

 

8.殺人者を許す

 

生かされて/P353

 

彼は、フェリシアンのシャツの襟を握って私の足元に引きずってきました。

「え、彼女に一体何て言うんだ! イマキュレーに何て言えば良いんだ!」

フェリシアンは泣き出しました。彼がどんな気持ちかが伝わってきました。

一瞬、彼は私を見上げました。私たちの目が合いました。

私は、一歩進み出て、彼の手に軽く触れました。そして、そのことを言うためにここまで来たそのことを、静かに言いました。

「あなたを許します」

たちどころに、私の心は和みました。フェリシアンの肩から力が抜けていくのがわかりました。

 

 

9.人が誰かを許すことを助けることこそが、私の人生の仕事の大きな意味

 

生かされて/P272

 

 キャプテンの怒りは、私に、憎しみの連鎖について考えさせました。

 ルワンダに対する不信感は、簡単には解消しないのでしょう。

 殺戮が終わってからも、きっと、きっと、より激しい苦い思いは残るにちがいありません。そしてそれはまたいつ暴力に変わるかしれないのです。

 ただ、神の聖なる許しだけが、今また起きようとしていることを止められるのです。

 私は、これから神様がどんな人生を私のために用意しているにしても、人が誰かを許すことを助けることこそが、私の人生の仕事の大きな意味なのだと気づきました。

 

 

生かされて/P283

 

 私は、彼らの将来が、悲しみや、虐待、差別などでいっぱいで、苦い思いと憎しみが入り込むような人生にならないことを、ただ祈りました。

 そして、私は、これが、私が生かされたもう一つの理由なのだと感じました。

 私は誓いました。いつかきっと、私が十分強くなったら、虐殺で残された孤児たちのために出来る限りのことをしようと。彼らの人生に希望と幸せをもたらすように努力し、彼らから両親と家族の愛を奪うことになった人種間の憎しみを、彼ら自身が抱くことのないように導こうと。

 

10.終わりに

 

同信の先輩の方からこの本を紹介いただいた時、ちょうど『聖母から司祭へ』を読んでいました。

聖母は何年も前から、黙示録の時代が始まっていると警告しています。虐殺が起こった1994年の1月1日を見ると聖母はこう語っておられます。

 

『聖母から司祭へ』1994.1.1

「こん日、サタンが勝利を得ていて、全人類に神を拒否させ、自分の悪の支配権に服従させたのです。

 あなたたちは、このために、どれほど苦しまなければならなかったことでしょう。

 そのために、涙と血は、あなたたちの毎日に糧となりました。

 それで、今日からはじまる一年は、限りない苦しみの重荷をもたらすでしょう。わたしには、人類の母として、あなたたちをサタンの奴隷制度から解放する役目がまかされました。

 それで、最後に、わたしの最大の勝利を得るために、あなたたちは、今その血まみれの戦いにおいて、わたしに従わなければなりません。それは、サタンは、わたしによって無能となり、その悪の巨大な能力を、わたしによって完全に亡ぼされるからです。

 その時こそ、全人類は、自分の主との愛の新しい婚約へと戻ってくるでしょう。そして主は、み胸に人類を抱きしめ、ご自身との充実した完全な交わりによって、地上の楽園へと連れてゆかれるでしょう。」

 

 

人類に猛威を振るった共産主義はあらかた亡びました。しかし、今また中東など、あちこちで内戦が始まっています。黙示録の時代は今も継続しているのだと思います。神無き時代に暮らしている私たちにとって、主に立ち返ることが救われる唯一の方法であり、それが第二の聖霊降臨であり、人類の新しい時代の幕開けとなると聖母は語っておられます。

ヴァッスーラは新しい聖霊降臨は個人個人にすでに起こっていると述べていました。

イマキュレーに起こった救いの物語はその一つではないかと思われます。

(文中太字は当方)

2013.8.1