ヒンドゥー教

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P300

 

 サンダー・シングは、北インドで出会ったあるパンディット(学者)の話を次のように伝えている。この人は、インドの聖典について説法することを常としていたが、あるとき、次のような言葉で話を結んだ。「ヴェーダ聖典は罪の贖いが必要であることを明らかにしている。しかし、贖う者はどこにいるのだろうか。ヴェーダの語るプラジャパティ、彼こそが罪人の代償として生命を与えたキリストなのである」。聴衆がこの言葉に動揺を見せると、彼はこう語った。「わたしは、あなた方以上にヴェーダを篤く信奉している。それは、ヴェーダが明らかにしているその人、イエス・キリストを信じているからである」

 サンダー・シングは、同じ思想を次のようにいい換えた。「東洋の博士たちは、ベツレヘムへの星に従って旅立った。しかし、彼らがベツレヘムに着くと、もはや星は必要ではなくなった。義の太陽であるキリストを見たからである。太陽が昇るとき、星はその輝きを失う。インドには、まことの真理の探究者が数多くいる。彼らは、自分の星に忠実に従っているが、彼らを導くのは星明りでしかない。キリストこそが太陽である。ヒンドゥー教と仏教は水路を掘ってきたが、そこに流れる生ける水を持たなかった。この意味において、わたしは、キリストから生ける水を受けるように整えられたのである。ヒンドゥー教を満たすものがキリストである」