ヘロデによって虐殺された子ら
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P37
(ヘロデによる虐殺で、妻子を殺されたエリヤが主にこう質問します。)
「では、私の子供たちはどうなりますか」
「エリヤ、おまえの子供たちは天使と同じです。子供たちは救い主が冠を授けられるとき“栄唱”を何度も歌う」
「王の冠ですか」
「いえ、贖い主の冠です。義人と聖人たちとの行列の前を殉教者の幼な子たちの血に染まった白い軍団が行く。そしてリンボの門が開かれ、一緒に死ぬことのない王国へ昇ります。やがておまえたちが来て、父と母と子供たちとまた会えます。このことを固く信じよ」
「はい、主よ」
マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々2/P167
マルジアムは、幼な子イエズスを見た、あの羊飼いたちに強く関心を寄せ、マリアが快く辛抱強く、様々な質問に一つ一つ答える。
「でも、どうしてあの人たちが罰せられたのですか。いつも良いことだけしていたのに!」
子供は、その人たちに降りかかった災いの話を聞いて、合点がいかないらしい。
「いろいろと間違いを犯した人間が、その災いの責任を罪のない人になすりつけるのはよくあることだからよ。でもね、あの羊飼いたちはとっても心の善い人たちで、ゆるすことを知ったから、イエズスにたいへん愛されているわ。いつでも、ゆるすということを知らなければいけないわ」
「でも、殺された子供たちは、どうやってヘロデをゆるせたの?」
「あの子たちは、小さな殉教者なの、マルジアム。そして、殉教者は聖人だわ。あの殉教者は自分を殺した人をゆるすだけでなく、天の国の門を開いてくれるから愛しているのよ」
「じゃ、あの子たちは天国にいるの?」
「いいえ、今のところ、そうではありません。でもリンボで太祖や義人たちの喜びになっています」
「どうして?」
「あの子たちが血まみれの霊魂でリンボに着いたとき“私たちは救い主キリストの到来を告げるものです。待ち焦がれているあなたちよ、喜びなさい。キリストはもう地上におられます”というよい便りを持って行ったので、皆から愛されているわ」
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P346
神様は残酷なエジプト人の子らを殺した時でも、その子らにあわれみを示しました。大人になるまで生きることなく、それぞれの父親たちのようには罪を犯さず、また、その親たちに犯した罪を後悔する時間を与えられました。これは神の厳しい慈悲でした。
まことの慈悲を、柔らかすぎる教育からよく区別することを知ってほしい。私が幼な子であった時、多くのいたいけな幼児が母親の胸で殺されました。あの時、全世界が嫌悪と恐怖にふるえて叫びました。しかし、人類の個々のためにも、全体のためにも、時のおわりはきます。キリストの時代のあの幼児たちは運がよく神に祝されたものだと、その時知るに違いない。あの子供たちは小さい時に殺害されたので、最大の罪、救い主の死の共犯者となることを免れられたのですから。