碧玉

 

 

 

啓示による黙示録解説911

 

21章18節。「その壁の構造は碧玉であった」は、かの教会の人たちのもとに在る聖言の文字における神的真理はことごとく霊的意義における神的真理から透明になっていることを意味している。『壁』により、文字の意義における聖言が意味され(898番)、その『構造』により、その凡てのものが意味されている。なぜならその凡てのものはその構造の中に在るから。『碧玉』により『宝石』全般により意味されていることと同じことが意味され、『宝石』により、それが聖言に関連しているときは、霊的意義における神的真理から透明になった聖言の文字の意義における神的真理が意味され(231、540、726、823番)、それと同じことが『碧玉』により意味されていることは、前に見ることが出来よう(897番)。それが透明になっている理由は、文字の意義における神的真理は自然的な光の中に在り、霊的な意義における神的真理は霊的な光の中に在り、それで霊的な光が聖言を読んでいる人間のもとで自然的な光の中へ流れ入るとき、その者は明るくされて、そこに真理を見るためである、なぜなら霊的な光の対象は真理であるから。聖言はまた文字の意義では以下のような性質を持っている、即ち、人間は天界の光の流入によって明るくされるに応じて益々諸真理の関連性を、引いてはその形を見るのであり、彼がそれらをそのように見るに応じて益々内的にその合理的な心は開かれるのである、なぜなら合理的なものは天界の光の容器そのものであるからである。