被造物

 

 

 

1.創造されたものは有限であり、有限なものは無限なものによってのみ存在することが出来る

2.凡ての物は人間のために創造された

3.何かの役に立たないものはない

4.サンダー・シング

 

 

 

 

1.創造されたものは有限であり、有限なものは無限なものによってのみ存在することが出来る

 

 

神の愛と知恵44

 

真のエッセとエキジステレはそれ自身また創造されないものであり、創造されたものはまた有限であり、有限なものは無限なものによってのみ存在することが出来るのである。

 

 

 

2.凡ての物はその目的として人間のために創造され

 

神の愛と知恵170

 

 宇宙的な目的、即ち、宇宙の凡ての物の目的は、創造者が創造された宇宙と永遠に連結することであり、そしてそのことは、その中に彼の神的なものがその神的なものそれ自身の中に在るように在ることが出来、かくして住み、宿ることが出来るところの主体が存在しない限り不可能である。この主体が神の住居、邸宅であるためには、それは神の愛と知恵とをそれ自身で受けるように受けなくてはならない、それゆえそれ自身を創造者にそれ自身により高揚するように高揚し、それ自身を神と連結させなくてはならない。この働き返す能力がなくては連結はありえない。この主体が人間であり、人間は自分自身を、自分自身により高揚し、連結するように、高揚し、連結させることが出来るのである。人間はこうした主体であり、神的なものを自分自身により受けるように受けるものであることは前に数度指摘したところである。この連結により主は主により創造された凡ての業の中に現存されている、なぜなら凡ての物はその目的として人間のために創造され、従って創造された物の用は(前の65−68に示されたように)最も外なる物から人間へ、また人間を通して[万物がよって以て発生している]創造者なる神へ度により上昇しているからである。

 

 

 

 

3.何かの役に立たないものはない

 

 

神の愛と知恵172

 

 目的、原因、結果のこの三つのものは創造された一切の物に在ることは、また以下のことからも認めることが出来よう、即ち、最後の目的と呼ばれている凡ての結果は、創造者なる主である最初の者から、人間と彼との連結という最後の目的にさえ向って絶えず継続しつつ、新たに最初の目的となっているということである。最後の目的は凡て新に最初の目的となることは、結果を生み出す力を持たないほどに不活発で死んだ物は一つとしてあり得ないということから明らかである。砂からでさえ、何かを生み出して、遂行する上に助けとなるような物が発散しているのである。

 

 

 

 

4.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P362

 

「聖パウロになさったように、なぜキリストは今の時代にご出現ならないのか」

「主は今の時代にも、必要な人にはご出現になります。人間の必要はどこでも同じですが、一人一人の状態はかなり異なります。そこで、人間一人一人の心をご存じの神は、各々の状態と必要に応じて、真理の探求者に自らをお示しになるのです」

 神は、知恵と力と栄光を、天地にわたる大業の中にうたい上げている。だが、ある意味で自然界の言葉というべき人間は、沈黙したままだ。神の知恵と力は被造物を通して現わされているが、神ご自身を現わすにあたっては、人となることによってのみそれは可能だった。そして、今の時代にも、神は、神の現存の中に住みご自身も住まわれる人々を通して、失われた人類に自らを現わ現われされているのである。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P362

 

「これをせよ。これはしてはならない」という声が、ときどき心の奥底からきこえてくるが、これは神からの声である。神に近く生きる者はすすんでこの声をきくが、他の者はきくことにも困難を感じる。この声にきき従うなら、神とその意志はわれわれのなかなかに現わされる。だが、この声をきいて従わない場合は、われわれが現しているのは自我と我欲のみにすぎない。

 人の霊魂は、思いと言葉と行動を仲介する脳のような微妙な器を通してしか表現できないほど、微細な実存である。同じように、聖霊は洗い清められた生活を自らの表現手段に使い、神の栄光は下僕たちの生活を通して世に神を知らしめる。

 キリストの下僕たちは、太陽から光を借りて間接的に世界を照らす月のようなものだ。月がしばしば太陽と地球との間に入り日食を起こすように、下僕たちの価値なき生活もまた、キリストと世との間に入り、神の御顔を人々から隠すことたびたびである。