ゲッセマネ
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P39
聖体拝領の際にあなたを苦しめることは、わたしがゲッセマネで忍んだ苦しみの影の一つにすぎないのです。もし今これほどあなたが悲しむとしたら、鞭打ち、茨、そして釘の苦しみをそのうちあなたに味わわせるときには、いったいどうなるでしょうか? わたしがこのことをあなたに話すのは、今わたしがより大きい苦しみについてあなたに考えてもらい、より小さいことを、もっと勇気をもって苦しむことができるようにするために効果があるからです。聖体拝領において独りで苦しいときには、わたしがあなたのために苦しんだゲッセマネの園での死のあえぎについて少し考えて下さい。そして、あなたとわたしのひどい苦しみとのあいだにある違いを比較するために、自分をわたしの側に置いてみて下さい。すると、もっとも信頼していた友達が祈りをやめて眠りこけており、棄てられて独りになったわたしを見るでしょう。わたしがあなたに与える光によって、あなたにはコブラ、毒へび、狂犬などに取り囲まれ、もっともひどい苦しみのまっただ中にいるわたしが見えるでしょう。それらはあなた自身のも交えた昔と今、そして将来のこの世の全ての人間の罪なのです。それらが全部いっしょになって非常に重くわたしにのしかかり、まるで断末魔の苦しみのようになり、生きたままむさぼり食われるように感じていました。わたしの心とからだ全体は圧搾機にかけられたように感じ、土をぬらすほどたくさんの血の汗を流したのです・・・・さあ、それではあなたの苦しみはそこまでいきましたか? ですからもしわたしが見えず、あらゆる慰めもなく、にがみがいっぱいで、心配や息切れのような状態におちいったら、心のうちでわたしのところに来て、わたしの血を拭こうと試み、わたしの激しい死の苦しみを軽くするために、あなたのずっと軽い苦しみをわたしに捧げて下さい。そのようにして、聖体拝領後のわたしとの親密なひとときを終わるようにしてごらんなさい。こういうふうに言ったからといっても、あなたが苦しまないでよいというわけではありません。なぜならわたしの不在ということそのものも、わたしがわたしの愛する霊魂たちに課すことができるもっとも辛く、にがい苦しみです。しかしあなたはとにかくあなたが苦しむことと、わたしの意志との一致によって、わたしに大きな休息と慰めを与えることができるのだということを考えてごらんなさい。最後に、わたしにしてくれる訪問と償いの行いについてですが、あなたのために制定したこの愛の秘跡のなかでわたしは、わたしが三十三年間の人間的生涯のあいだを通じて行い、苦しんだこと全てを同じように行い、苦しんでいるのだということを、言いたいと思います。