ファニー・モイスィーバ
(1895〜)
『垣間見た永遠の世界』
天使館
1.主こそ神
2.一つの言語
3.過去の罪を思い出さない
4.性格に応じた姿形となる
5.運命は存在しない
6.罪人は常に死を恐れる
7.永遠の地獄
1.主こそ神
ファニー・モイスィーバ/垣間見た永遠の世界/P43
キリストは、春の穏やかな太陽が野に生命と躍動を与えるように、一人一人を甦らせた。御腕を広げ、世界に差し延べておられる神の、何と美しく素晴らしいことよ!
ファニー・モイスィーバ/垣間見た永遠の世界/P58
人びとの中にはこのように言うかもしれません。「真に神が憐れみ深いなら、可哀相な人間の魂をどうして永遠の地獄に突き落としたりするだろうか。」
神ご自身が、このような災いから魂を救うために、天からお降りになったことを、人びとは忘れて、こうした言葉を呟くのです。主が地上に降りられたのは、サタンを打破る十字架のしるしによって、神の輝かしい栄光の国へ至る道を示すためでした。
2.一つの言語
ファニー・モイスィーバ/垣間見た永遠の世界/P46
「国籍や母国語に関係なく、全員が理解したのです。天の王国では母国語を思い出す人はいません。誰もが一つの言語を理解するのです。」
3.過去の罪を思い出さない
ファニー・モイスィーバ/垣間見た永遠の世界/P45
栄光を受けた者たちは過去の罪を何一つ思い起こさず、ひたすら永遠の神への愛だけを観想していることを知りなさい。」
4.性格に応じた姿形となる
ファニー・モイスィーバ/垣間見た永遠の世界/P46
あなた方は目と声と髪を保つことになるとしても、体はあなた方の邪悪な性格に応じた、最も醜い形と不完全さを持つことになるであろう。
5.運命は存在しない
ファニー・モイスィーバ/垣間見た永遠の世界/P31
何事も運命とか宿命のせいにしてはなりません。運命や宿命は存在しないからです。人の人生が初めから決定されているとすれば、どうして神はその人の善に報いたり、罪を罰したり出来るでしょうか。
人間の行為は自分自身の意志の結果です。人生は戦いであり、私たちは常に神の助けを求めなければならないのです。神の介入によって、どれほど多くの問題が解決されてきたか分かりません。
ファニー・モイスィーバ/垣間見た永遠の世界/P32
運命は存在しません。この言葉と観念は人間が作り出したものなのです。各自の人生は自分自身の意志、また善悪の行動に従って造られるものです。人間は自分自身の人生の主人公であり、まさにそのために知性が与えられているのです。
6.罪人は常に死を恐れる
ファニー・モイスィーバ/垣間見た永遠の世界/P23
「愛する者なのに、どうして人は死者を恐れるのですか?」
彼は答えた。
「それは、死が、人間誰にとっても、恐るべき、理解し難い神秘であるからです。彼らは死の瞬間に、死者がもはやこの世界の一部ではなくなったと考え、また、本能的に彼の霊魂が遺体の近くに存在することを感じ、その魂が現れて彼らを告発することを恐れるからです。また、霊魂が不滅であるとすれば、自分自身の罪と、罰に値する死に直面しなければならなくなるからです。
そこで、死への恐怖とは、神への恐怖であるのです。逆に、善なる人は心の中で神を愛していますから、死を恐れることはありません。あなたは魂が不滅であり、存続することを知り、魂の不滅を疑う人びとがいかに間違っているかを知りました。
7.永遠の地獄
ファニー・モイスィーバ/垣間見た永遠の世界/P59
また、ヨハネ黙示録20・10に「彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこは、あの獣と偽預言者とがいる所である。この者どもは、昼も夜も、永遠にそこで苦しめられるのである。」と書かれていることを思い起こしてください。