奴隷

 

1.聖書

 

 

 

 

1.聖書

 

マタイ11・28−30

 

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

 

 

 

ヨハネ8・31−36

 

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。

 

 

 

ヨハネ15・11−15

 

 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互に愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行なうならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしがあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。

 

 

 

ガラテヤ4・3

 

同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。

 

 

 

ガラテヤ4・6−9

 

あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。

 

 

 

ガラテヤ4・25−26

 

このハガルは、アラビアではシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、その子供たちと共に奴隷となっているからです。他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。

 

 

 

コリント1・9・19−23

 

わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。

 

 

 

フィリピ3・10−14

 

わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。

 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後のものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界と地獄603注P478

 

奈落の自由は自己と世への愛により、またその欲念により導かれることにある、2870、2873。地獄にいる者はそれ以外の自由を知らない、2871。天界が地獄から隔たっているように、天界の自由は奈落の自由から隔たっている、2873、2874。自己と世への愛により導かれることから成っている奈落の自由は自由ではなくて、奴隷の状態である、2884、2890、なぜなら奴隷の状態は地獄により導かれることにあるから、9586、9589、9590.

 

 

 

 

4.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P165

 

ある意味で、神に反逆している今の世界は、神に従う者たちを奴隷にしているといっていい。ところが、神の御恵みによって彼らがこの世の呪縛から解き放たれ天に入ったときには、世界そのものが彼らの奴隷と化す。なぜかというと、彼らが世界を創造した者の力とつながったことを、世界が知るからだ。そこで、世界は支配するのではなく、される側になる。神は自らすすんで神を愛し仕える者たちに、永遠の完全な自由をお与えになる。