誰でも知っている

 

信仰義認説

 

 

 

神は一人であられることを人間は流入のみから知っている

 

 

 

 

生命3

 

 宗教を持っている者はすべて、たれであれ善い生活を送る者は救われるが、たれであれ悪い生活を送る者は地獄に堕ちることを知っており、また承認もしていることは、一人の神がおられ、天界と地獄とがあり、死後の生命が在ることを聖言から知っている人間と天界とが連結していることに起因している。そのことがこの全般的な認識の源泉となっている。それで基督教世界に遍く受け入れられているところの三一性に関わるアタナシウス信条の教義の中の、その末尾の以下の宣言文もまた遍く受け入れられている―

 イエス・キリストは私らの救いのために苦しまれ、天に昇られて、全能なる父の右手に坐られ、そこから来たって、生きている者と死んだ者とを審かれるであろう、かくて善を行った者たちは永遠の生命に入り、悪を行った者らは永遠の火へ入るであろう。

 

 

 

 

 

生命4

 

しかしながら基督教会には、信仰のみが救うのであって、いかような生活の善も、または善い業も救うのではないと教えている多くの者がおり、しかも彼らは、生活の悪は、または悪い業は信仰のみによって義とされた者らを罪に定めはしない[地獄にはおとさない]、なぜならそうした者らは神の中に、恩寵の中に置かれているからである、と附言しているのである。しかしながら、言うも驚くべきことには、彼らはそうしたことを教えてはいるものの、それでも(凡ての者に共通して天界から与えられている認識の結果)、善い生活を送る者たちは救われるが、悪い生活を送る者らは地獄におちることを承認しているのである。彼らが実際そのことを承認していることは、イギリスのみでなく、ドイツ、スエーデン、デンマークでも礼拝所で人々が聖餐に列する前に読まれる「勧告文」から明白である。周知のように、信仰のみを教える者らが見出されるのはこれらの国々の中である。

 

 

 

生命7

 私は信仰のみを告白もし、またそれを説きもした英国の教職者たちの若干の者に以下のように尋ねることを許されたことがある(このことは霊界で行われたのである)、(中略)しかしそれでも彼らに以下のことが否認しがたいまでに論証された、即ち、彼らにもまた、善い生活を送る者は救われるが、悪い生活を送る者は地獄におちるというかの(何人にも)共通した認識が与えられているのであり、彼らが彼ら自身のものであるものの中に止まらないときは、この認識を得るのである、と。

 

 

 

生命31

 

何人も自分自身からは真に善いことを為すことが出来ないことは真理である。しかし悪を罪として避けている人間により為される仁慈の善をすべて無視するためにこの真理を用いることは大きな邪悪である、なぜならそれは人間は為さなくてはならないと命じている聖言に真向から反するからである。それは法と予言者たちがかかっている神に対する愛と隣人に対する愛の戒めに反しており、宗教の凡ゆる物を愚弄し、それをくつがえすことである。なぜならたれでも宗教は善いことを為すことであり、人はすべてその行為に従って審かれることを知っているからである。人は各々もし切に求めるならば、主の力によって悪を自分自身から避けるものとして避けることが出来るように作られており、その後彼の行うものは主から発している善である。

 

 

 

 

神は一人であられることを人間は流入のみから知っている

 

 

黙示録講解954〔2〕

 

神は一人であられることを人間は流入のみから知っており、謂わば、そのことを認めることは凡ゆる国民の共通の告白から明白であり、多くの神々がいると考えることに対する反感から明白である。

 

 

 

 

神の摂理254

 

神を全然知らない者は僅かしかいない