雄羊と雄山羊の幻

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

 

 

1.聖書

 

ダニエル8・3−

 

目を上げて眺めると、見よ、一頭の雄羊が川岸に立っていた。二本の角が生えていたが共に長く、一本は他の一本より更に長くて、後ろの方に生えていた。見ていると、この雄羊は西、北、南に向って突進し、これにかなう獣は一頭もなく、その力から救い出すものもなく、雄羊はほしいままに、また、高慢にふるまい、高ぶった。

 これについて考えていると、見よ、西から一頭の雄山羊が全地の上を飛ぶような勢いで進んで来た。その額には際立った一本の角が生えていた。この雄山羊は雄羊に近づき、怒りに燃えてこれを打ち倒し、その二本の角を折ったが、雄羊には抵抗する力がなかった。雄山羊はこれを地に投げ打ち、踏みにじった。その力から雄羊を救い出すものはなかった。雄山羊は非常に尊大になったが、力の極みで角は折れ、その代わりに四本の際立った角が生えて天の四方に向った。そのうちの一本からもう一本の小さな角が生え出て、非常に強大になり、南へ、東へ、更にあの「麗しの地」へと力を伸ばした。これは天の万軍、つまり星のうちの幾つかを地に投げ落とし、踏みにじった。その上、天の万軍の長にまで力を伸ばし、日ごとの供え物を廃し、その聖所を倒した。また、天の万軍を供え物と共に打ち倒して罪をはびこらせ、真理を地になげうち、思うままにふるまった。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義2832[14]

 

 ここには霊的意義では霊的教会の状態がとり扱われていて、霊的教会が『雄羊』であり(2830番)、その教会の状態が、それがいかようにして徐々に衰退し、歪曲されるかが記されているのである。『山羊の中の雄山羊』は仁慈から分離した信仰の中に、または善から分離した真理の中にいて、善に反抗し、ついには主に反抗して自らを高くし初める者らを意味している。『雄羊の角』は霊的教会の真理の内なるもののみでなく外なるものであり、『山羊の中の雄山羊の角』は徐々に誤謬に変質した真理であり、ここに記されている『王国』と『王』により、すでに言ったように、王国と王が意味されていないで、真理と誤謬が意味されているのである、なぜなら主の聖言はその本質では世的な地的な事柄をとり扱わないで、霊的な天的な事柄をとり扱っているからである。

 

 

 

天界の秘義4769[2]

 

『山羊の雄山羊』は分離した信仰の中にいる者らを意味していることはダニエル書から明白である―

 

見よ、山羊の雄山羊が一頭西から全地の面にあまねくやって来たが、地にふれはしなかった、その雄山羊はその目の間に著しい角を一つ持っていた。その四つの角の一つから小さな角が一つ出てきて、南の方へ、東の方へ、美しいものの方へ向って著しく大きくなった。実にそれは大きくなって天の軍勢にさえも達し、その軍勢の、また星の若干のものを地に投げ落として、踏みにじった、それは真理を地に投げ落としたのである(ダニエル8・5、9、10、12)

 

ここにとり扱われている主題は全般的な教会の状態であり、たんにユダヤ教会の状態のみでなく、それにつづいた教会、すなわち、基督教会の状態である、なぜなら主の聖言は普遍的なものであるからである。