聖霊によらなければだれも

「イエスは主である」とは言えない

コリント1・12・3

 

1.聖書

2.ヴァッスーラ

3.スウェーデンボルグ

 

1.聖書

 

コリント1・12・3

 

ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。

 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の

“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。

 

 

2.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P321

‘87・9・7

 

♡ 信じるのも恵みです ♡ 信仰を持つこともまた恵みです、私のわざを見て、聞いて、理解することもまた恵みなのです、すべては私が与えたもの ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P346

‘87・9・27

 

♡ ヴァッスーラ、心配しないように、どの人間も私を讃え讃美する自分のやり方がある ♡ あなたにはこの方法をあたえた(*)。 ♡

 *書くこと。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P90

‘87・12・31

 

わが神! 諸教会が主のメッセージを信じるように祈っています!

 

ヴァッスーラ 私を信じるのは 与えた恵みによる(*)、聞きなさい ヴァッスーラ、あなたは私の口伝えで話す そして私は教会が迎える苦難について語る、この啓示は私の声である、時の印を見極めなさい、私のメッセージを受け入れ、味わい、私のメッセージを食べなさい、信じない者は災い、 ♡♡

 *この恵みを神に祈り求めなければならないことを意味します。

 

 

3.スウェーデンボルグ

 

天界の秘義4151[3]

 

 全般的に言って、実情は以下のようになっている、すなわち、たれ一人自分自身のものである善と真理とは決して持ってはいなくて、善と真理とはすべて主から直接的にも、また天使たちの社会を通して間接的にも流れ入ってはいるものの、それでもその善と真理とはその人間のものであるかのように見えるのであるが、そのことはその人間が、その善と真理とはその人間のものではなくて、主のものであることを知り、次に承認し、最後に信じる状態へ入ってくるまで、その人間のものとされるという意図の下に行われているのである。さらに、善と真理とはすべて主から発しており、善は一つとして人間からは発していないことは聖言から知られ、またそのことにより基督教世界に知られており、いな、聖言から発している教会の教義的なものも以下のことを宣言しているのである、すなわち、人間は人間自身では善を追い求めることすらできない―なぜなら善を行なうことは善を意志することから発しているからであるが、信仰もまたすべて主から発しており、かくて人間は信仰をそれが主から流れ入ってこない限り些かも持つことはできないのである。