コンソラータ

1903〜1946

 

『シスター・コンソラータ』

― 愛の最も小さい道 ―

ロレンツォ・サーレス著 ヨハネス・ワツラビク訳編

中央出版社(絶版)

 

小さな魂・イタリアのカプチン会修道女ピエリナ・ベトローネ

(シスター・コンソラータ)に与えられた主の啓示の物語。

 

 

 

 

1.口の慎み

2.従順

3.人間的な愛着からの離脱

4.主の母性

5.小さい霊魂

6.書き残しておきなさい

7.疑い・・神への侮辱

8.信頼

9.絶え間ない祈り

10.主は世界を救うことを誓われる

11.主は神

12.「雷様」

13.失敗・・謙遜の源

14.使徒たちの使徒

15.恐れてはならない

16.戦い

17.神の全能・・・神は私から聖人を創り出すことができる

18.主は人間の愛に渇き給う

19.新しい聖霊降臨

20.主との絶え間なき一致

 

 

 

 

1.   口の慎み

 

 

中央出版社/ロレンツォ・サーレス著/『シスター・コンソラータ』―愛の最も小さい道―P126

 

−イエズス−

「常に沈黙を守りなさい。必要なことばすら最小限に慎みなさい。その代わりすべての人々にほほえみでこたえなさい。そしてそのほほえみをいつも続けなさい。」(1935年8月2日)

 

 

 

−イエズス−

「あなたが二つの仕事のうち、どちらを選ぶか迷ったときは、よりひとりでいられるほう、より沈黙を守れるほう、より愛することができるほうをいつも選びなさい。」(1936年8月22日)

 

コンソラータは単純率直で、自分をも人をも、ごまかすことができなかった。いつも自分が感じたことをそのまま表わしたので、何度も言いすぎたり、人と衝突したりして、痛悔と謙遜の材料となった。あまりに恥じ、痛悔するので、ある日勇気づけるためイエズスは仰せられた。

 

「ほんとうに私に属して、私の所有(もの)である霊魂は、ちょうど酢や水と、正反対の油が溶け合わないように、真理にそむき、単純率直、従順と正反対のものに溶け合わなくなる。悪魔が誘惑して愛徳にそむく考えを入れるのに成功しても、長くとどまることができずに、すぐ逃げ出してしまうのはそのためだ。だから恥じることばかりせず、こんな機会に、将来もっと注意深く警戒するよう自分を強めなさい。」

 

 

−イエズス−

「話しかけられねば決して話さぬという誓いを断固として守り抜きなさい。そうすれば、すべての欠点、慎みのない軽率な行いを避けることができるだろう。そして確かにあなたの答えは常に私が望み祝福するものとなろう。」(1935年9月14日)

 

 

 

 

2.従順

 

 

P60

−イエズス−

「十字架上で死ぬ前に、私はあなたたちを孤児として残さず、あなたたちのために、ご聖体を与えた。同じように私は今、私自身、私の神としての心、私のことばをあなたに与えよう。だから、この神父様にどこまでも熱心に従いなさい。」

(1935.10.25)

 

 

 

「私の計画を成就するため、あなたに一つの要求をしよう。約束を守り、指導司祭に対しての盲目的―もし必要ならば、英雄的に従いなさい。・・・盲目的に従っている間、あなたは愛の道を、巨人のように歩むばかりでなく、巨人のように飛び進むだろう。だが万一、盲目的に従わないなら、あなたは滅びるだろう。」(1935.10.11)

 

 

 

「私があなたの心から離れる前に、私に次の堅い約束をしてほしい。あなたはいつも『私は従う』ということばで自分を捨てなければいけない。『私は従う』ということばは、今も将来も、あなたの行いのすべてを表わすことばにしてほしい。この従順は、ほんとうに英雄的にならなければならない。英雄的な従順により、すべての善徳は英雄的な程度まで達するだろう。それを私は約束する。これからは、誓約を立てたためではなく、私を愛するために、私を喜ばせたいために、確信をもって神父様に従いなさい。」(1935.12.5)

 

 

 

P82

またある時、指導司祭の連続説教が成功するように祈っていた時、イエズスは仰せられた。

 

「よろしい。この説教は永遠の生命への豊かな実を結ぶであろう。小さい霊魂にわたしはすべてを与える! あなたは私に何も拒まないから、私もあなたに何も拒まない。」(1935年10月16日)

 

 

 

 

3.人間的な愛着からの離脱

 

 

P58

−イエズス−

「サーレス神父様はまるで全然存在していないように、神父様を見ないで私だけを見なさい。神父様に対して愛や尊敬など全然持たないでもよい。そうしないなら私に対して不忠実になるのだよ。そのように完全に絶対的に、神父様そのものを見ることをあきらめないなら、神父様はあなたを愛の頂上まで導いてくださる助け手となるかわりに妨げとなり、愛着する時間は全く無駄な時間となる。」

 

指導司祭に報告を書く時も、返事をもらっても、司祭の中に常にイエズスのみを見、ほんの少しでも思い、望み、ことばにおいて、司祭に、人間的な愛着を持つことは許されなかった。だから指導司祭が修道院に来るようにとか、返事を書いてくれるようにという望みを持つことも禁じられたのだ。

 

 

 

P62

この指導司祭は、コンソラータを深い思いやりをもって、ていねいに取り扱っただろうか? 全然反対である。父のような同情は持っていたが、きびしく取り扱って、厳格をきわめた。コンソラータも決して柔弱な霊魂ではなかった。ある手紙に書いている。

 

「どうぞお返事を投函なさらないでください。ほんとうに聖人になるため、私のような感じすい霊魂には、絶えざる自己献身が糧としてどうしても必要です。・・・ひとつだけ望みがあります。どうぞ私の欠点を切りとって、なくしてください。けずったり、やめたりすることに、全然遠慮しないでください。・・・繰り返して申し上げますが、遠慮なく私に注意してください。神父様がコンソラータの自己心に重傷を与えた手紙は最も私に役立ちました。」

 

 その望みに、文字どおり応じた指導司祭は、コンソラータの最後の年、あまりきびしく取り扱いすぎたのではないかと、良心の呵責を感じた。それをいうと、コンソラータは答えて、

 

「あなたのきびしさのために、町にたつ埃にすぎぬ私に、おあやまりになるのですか。神父様、そのきびしいやり方なしには、コンソラータの心は、無事永遠の岸べに到着できなかったでしょう。

 

コンソラータが、ほんとうに、全く、いつも神のみのものであるために、そのきびしいやり方はみ摂理の道でした。もしあのように取り扱ってくださらなかったら、私の心は、人間的に愛し、それによって生じた損害はだれにも量ることのできないたいへんなものだったでしょう。イエズスはすべて非常によくしてくださいました。」

 

実際、イエズスのみが、すべてを、なしたもうたのである。

 

 

 

 

4.主の母性

 

 

P72

コンソラータ:

聖福音書の中で『幼児らが私に来るのを許せ。止めるな。神の国はこのような者たちのためである。』(マルコ10・14)とあなたは仰せられました。それに続いてあなたの母としての心を示すことばがあります。『そして幼児をいだき、手をおいて祝したもうた』(マルコ10・16)。主は幼児らを祝したもうたことで満足なさらず、急に波のようにわき上がってきた御愛のあふれ出るままに、いだきたもうたのであります!

 

 ここに私は心の目で、絵のように、大きな人類という一家族を見ました。年上の子どもたちは働いて生活の糧を得ております。彼らが善良であれば両親の誇りとなります。しかし母親の心の大部分を占めているのは、愛するほかに実際何もすることができない最も小さい者たちです。

 

 イエズスよ、聞かせてください。むすこが学校でよい成績をとって母に栄誉をもたらす時と、そのむすこがまだ小さく、全く母の所有(もの)で、着せてあげたり脱がせたり、思うさまかわいがっている時と、いったいどちらが母を喜ばせるのでしょうか。母が愛する子どものゆりかごのそばで感ずる喜びはことばに表わせぬものです。

 

愛撫を受ける子どもと、惜しみなく愛撫をそそぐ母と、どちらがいったい大きな喜びを感ずるか、だれがいうことができましょう。母は小さい子どものために、一番美しくかわいい服を欲し、一番喜ぶものを望み、もし万一いつまでも小さいままでいることができるなら、生涯の終わりまで、決して疲れずに、子どもに対してあらゆる心づかいと愛とをささげ続けることでしょう。

 

この母と子の愛を信心生活にあてはめますと、それはイエズスと小さい霊魂の間柄の生き生きとした写しのように思えます。小さい霊魂はイエズスの所有、完全にイエズスのものです。そこでイエズスは母としての優しい心づかいで、その子どもたちに、最も美しい善徳という服を着せたり脱がせたりなさいます。小さい霊魂は乳児のように、少しも反対しないので、イエズスは胸に抱きしめたり、おいたりなさいます。

 

そのどちらの場合にも、彼らは満足しております。なぜなら彼らはイエズスを愛して、救霊のためいくらかでもイエズスに協力することができるし、イエズスはいつも彼らにほほえみかけておられるからです。

 

この地上で味わうことができるもっとも大きな喜びは、神のみをもつことです。その時、地上にありながら、天国の喜びを味わいます。そして小さい霊魂は、神とともに、その喜びを味わうのです。

 

 

 

P87

コンソラータ:

 

「時々、イエズスは聖心を打ち明けて、ある霊魂についての御嘆きをもらされます。私はその時イエズスを慰めて、あの霊魂はそんなにひどくありません、と弁解します。するとイエズスは晴れ晴れなさりご満足なさるのを心に感じます。そのあとで、その霊魂のために祈ります。イエズスの聖心は母の心のようです。

 

ある母がむすこの忘恩的な行いにすっかり悲しんでいるといたします。そのことを親友に打ち明け、親友の口からむすこさんはそれほど悪くないと慰められるとむすこはまだ善良なのだと考えて、どんなに喜ぶでしょう。母は親友のことばが信じたくて、それをささえとして、むすこを信ずるのです。イエズスの聖心の写しである母の心よ! その母にはむすこの心を変える力はありません。けれどもイエズスはもし私たちがお願いしさえすれば、聖心にそむいた不忠実な霊魂を改心させるでしょう。」

 

 

 

P87

−イエズス−

「実の母は、どんなにその子どもが醜くとも、醜いとは考えない。母の心にとって、その子は常に美しく感じられるものである。私が霊魂に対して感ずるのも、全くそれと同じで、どんなに醜く、汚れ、不潔であっても、私の愛はいつも美しいと感ずるのである。霊魂の醜さを確証されると私は苦しむが、一方だれかが、私の母のような心と同じく感じて、彼らを弁護し、その霊魂は醜くない、美しいのだと断言してくれると、非常に喜ぶのである。霊魂はみな私のものである。だから私は霊魂のために、私の血のすべてを流し尽くしたのだ!

 

 実際にはそうであっても、あらゆるきびしい非難、罵倒、叱責がどんなに母としての私の心を傷つけるか、一方寛大、同情、あわれみがどんなに私の心を慰めるかを、今あなたは悟っただろうか?

 

あなたは決して、一度もだれをも、批判してはいけないし、まただれに対してもきびしいことばをかけてはいけない。その代わりに、私の心を慰め、私から悲しみを取り去って、熱心な愛によって罪人のよい面だけを私に見せなさい。私はあなたを信じよう。そして罪人のために祈るあなたの祈りを聞き入れよう。

 

正義の罰を与えねばならぬ時、私がどんなにいやがっているかを、あなたが知ったら! 私の心は人々の忘恩を信じたくないと熱望しているから、あなたがある霊魂はそんなに悪くない。不忠実でない、忘恩でない、と信仰深く、愛深く私をだましてくれたら、すぐに信じる。そのようにして私の心は慰められたいと期待していることをよく覚えておきなさい。私の心は、罰ではなく、あわれみを与えたいと望んでいる!」

 

 

 

P101

−イエズス−

「コンソラータ、見てごらん。悪魔はあなたの盲目的な信頼を揺り動かそうとあらゆる努力をするだろう。でもあなたは、私が限りなく優しく、慈悲深くて、そうでないようにすることが全然できないことを、決して忘れてはいけない。コンソラータ、私の心の中にはいってきて、私の心を、私の愛をわかっておくれ。不信頼によって一瞬でも悪魔が入り込むすきを与えてはいけない。決して!

 

私はほんとにいつもあなたのためにおかあさんなのだよ。指にほんの少しかすり傷を受けるたびに、すぐおかあさんの所へとんで行き、包帯をしてもらう小さな子のまねをしなさい。ちょうどおかあさんがほんとうの傷でも、また想像によって、傷のように思えるのでも、いつも包帯をしてあげるように、私もあなたの欠点をいつも直してあげることをよく覚えなさい。

 

もし子どもがほんとうに腕なり頭なりに大けがをすれば、母はどんなに優しく、愛情深く、心配しながら、ほうたいしてやることだろう! そうです、私は黙っていても、転んだ時には同じことを霊魂にしてあげるのだよ。いいですか。コンソラータ? だから、決して、決して決して疑いの影さえもってはいけない! 信頼の足りないことが一番私の心を傷つけ、苦しめる!」

 

 

 

P113

−イエズス−

 

「コンソラータ、小さい霊魂にも、すべての人々にも、私の、ことばに言い表せぬ愛のへりくだりについて語りなさい! どんなに私が優しく、母らしく、またどんなに人々からただ愛のほか、何も望まぬか、私の愛にこたえてほしいと渇望しているかを伝えなさい。あなたは、私の限りなく大きいあわれみ、母らしい愛のへりくだりを、世界の人々に伝えるために召されている。」

 

 

 

 

5.小さい霊魂

 

 

P78

−イエズス−

 

「見よ、コンソラータ、人々は、私が霊魂に与えた恩恵の多少によって徳の程度を量るならわしである。しかしそれはまちがいである。私は意のままに、自由に行う。例えば私があなたに与えた大きな恵みは、あなたの徳に値するであろうか?

 

かわいそうなコンソラータ、あなたは何も徳をもっていない。功績(いさおし)もない。あなたは何ももっていないのだ! あなたは前に罪をもっていたが、私が永遠にその罪を忘れたから、今では、その罪は存在しない。

 

なぜ私はあなたに対して特別に、非常に多くの恵みを与えたのだろうか? 私は意のままに恵みを与えることができるし、それに私にはひとつの弱点があるのだよ、小さい霊魂が特に大好きだということ!

 

小さい霊魂があんまり大好きだから・・・だれも私を不公平だといって責めることはできない。最高位の主はその欲するままに、欲する人に、王のように豊かに、自分の宝物を与えることができるのだから。」(1935年12月15日)

 

 

 

P80

−イエズス−

「小さい者に、私は全部を話す。」

 

 

「あなたの未来について私はあまり話しすぎるだろうか? あなたに全部いっているのだろうか? そう、そのとおり。だが、心があふれてくるからどうにもならない。あなたはほんとうに小さい者だね。だから私の言ったことをみな書きとめておくことで満足している。何もかも書きとめておきなさい。私はそうしてほしい。それだから、あなたにみんな話すことができるのだよ。

 

母が一番小さい子を抱いて愛撫するとき、大きい子どもに話さないようなことをいっぱい話すものだということに気づいたことがあろうか? 母の心はあふれてどうにもならないので、ただ母に笑いかけることしか知らぬ小さい者に、その未来について大切にしまいこんでいるいろいろな計画をみんな話さずにはいられないのだ。母は子にみんな、ほんとうに何もかも話すだろう。ちょうど、今、私があなたにしているように。しかし子どもが話せるようになり、『だれにそのきれいな服を作っていただいたの』と聞かれれば、うれしそうに、『おかあさん』と答え、その服を持っていること、ほめられたことを喜ぶようになるだろう。

 

あなたは大きな霊魂と小さい霊魂の相違に気づいただろうか。小さい霊魂は、その霊魂を飾る善徳を喜ぶ。なぜなら善徳を与えたのは神だから。一方、大きな霊魂は、善徳を得ようとして非常な努力をしたのであるから、ごう慢のために失くしはせぬかと恐れるあまり、善徳を隠す。コンソラータわかりましたか。小さい霊魂にすべてを話す理由はそこなのだよ。小さい霊魂は、賞賛、名誉、光栄を全部私にだけ帰して、私から何も奪わないからね。」

 

 

 

P82

−イエズス−

「私の力はあなたのために、いつまでも、全然なくなるということがない。いつもあなたに私の力を与えることを、よく覚えておきなさい。あなたに私の徳を与えるわけは、あなたが全く弱さそのものだから!」

 

 

 

 

6.書き残しておきなさい

 

 

P80

−イエズス−

 

「あなたの未来について私はあまり話しすぎるだろうか? あなたに全部いっているのだろうか? そう、そのとおり。だが、心があふれてくるからどうにもならない。あなたはほんとうに小さい者だね。だから私の言ったことをみな書きとめておくことで満足している。何もかも書きとめておきなさい。私はそうしてほしい。それだから、あなたにみんな話すことができるのだよ」

 

 

 

P81

−イエズス−

「書きのこしておくように要求する理由は、私のことばが多くの実を結ぶからだよ。時として私の考え方が子どもっぽく思われるかもしれない。しかしそれはほんとうに小さい者であるあなたに、私のことばを合わせるためだ。よく覚えておきなさい。私のすべてのことばは、霊であり、生命である!」(1935年11月9日)

 

 

 

P102

−イエズス−

 

「いいえ、コンソラータ、あなたの腕や頭が大けがを受けることはさせない。だが、私が今話していることが、いつか他の霊魂に役だつことを知らねばならぬ。そのために、私はこれをみな書きとめておいてほしいのだ。」

 

 

 

 

7.疑い・・神への侮辱

 

 

P90

−イエズス−

 

「コンソラータ、善良で信心深い霊魂、あるいは私にささげられた霊魂すら『私は救われるでしょうか』という疑いのことばをもらして、私の心の底の底まで傷めることがしばしばある。

 

聖福音を開き、私の約束を読みなさい。私は私の羊たちに約束した。『私は彼らに永遠の生命を与えるから、彼らは永遠に滅びることなく、また私の手から彼らを奪うものはないであろう。』(ヨハネ10・28)

 

コンソラータ、わかりましたか? だれも私から一つの霊魂も取ることができないのだ! 次を読み続けなさい。『私の父が私に与えたもうたものは、すべてにまさってとうといものである。だれもそれを私の父の御手から奪うことはできない。』(ヨハネ10・29)

 

コンソラータ、わかりましたか? だれも私の手からひとつの霊魂も奪うことができない・・・永遠に至るまで彼らは滅びないであろう・・・なぜなら、私が彼らに永遠の生命を与えたからである。だれのために私はこれらのことを言ったのだろう?すべての羊のため、すべての霊魂のために!

 

それなのになぜ『私は救われるでしょうか。』という侮辱的なことを言うのだろう。私は聖福音の中でだれも私からひとつの霊魂も奪うことができない。そして霊魂に永遠の生命を与え、霊魂は滅びることができない、と確証している。コンソラータ、私を信じなさい。

 

地獄へは、本当に行きたい者だけが行くのだ。なぜならだれも私からひとつの霊魂も奪うことができないが、私の与えた自由意志により、霊魂は私からのがれ、私にそむき、私を否定し、自分の自由意志のままにサタンのもとに行けるからである。

 

このような不信頼によって私の心を痛める代わりに、あなたたちはもう少し天国について考えなさい! 私はあなたたちを地獄へ行くため、悪魔の仲間に入れるために創ったのではなく、天国へ行くため、永遠の愛の中で私と一致して楽しむために創ったのである! わかりましたか?

 

コンソラータ、地獄へは行きたい者だけが行くのだ・・・地獄へ行くのではないかとあなたたちが恐れるのはなんと愚かなことだろう。あなたたちの霊魂を救うために私の血を流し、全生涯ちゅう恵みにつぐ恵みを注いだのに・・・私のあがないの果実をとり入れようとするまさにその時―つまり霊魂が私を愛そうとしている時である臨終にあたって、最大の敵サタンが、私から霊魂を奪い去るのをどうして許せようか? 聖福音の中で、私が霊魂に永遠の生命を与え、だれも私の手から奪い去ることができぬと約束しているのに、どうして私があえてそんなことができようか? コンソラータ、どうしてそんなひどいことが信じられるのか?

 

わかりましたか? 最後の最後まで改心しないのは霊魂がわざわざ地獄へ行きたいと望み、どうしても私のあわれみを拒む場合だけだよ。私はどんな人でも決してゆるさぬことはないから! 私はすべての人々に無限のあわれみを贈る。私の血はすべての人々のために流されたのだから!

 

霊魂を永遠の災いに堕すのは犯した罪の多いためではない。悔い改めさえすれば、私は何もかもゆるすのだから。むしろその霊魂が、どうしてもゆるしてもらいたくない、地獄へ行きたいと望むからだ!

 

十字架上の盗賊聖デイスマスは、非常に多くの罪を犯したが、私に対してただ一度の信頼の心を起こしたために、瞬間的にゆるされ、その改心したちょうどその日に、天国へはいり、聖人のひとりとなった!

 

私のあわれみと、私への信頼の勝利をこれによって悟ることができよう! コンソラータ、私にすべての霊魂を賜った父なる神は、すべての悪魔よりもずっとずっと偉大で、全能である。私の父の御手から、だれも霊魂を奪い去ることはできない!

 

コンソラータ、私を信頼しなさい! いつも私を信頼しなさい! 私が必ず成し遂げることを盲目的に信じなさい。私は限りもなく優しく、あわれみに満ち、『悪人の死を望まず、かえってその罪人が改心して、生きることを望む』(エゼキエル33・11)のだから。」

 

 

 コンソラータはイエズスのこの御招きに心から従い、全生涯のあらゆる困難、悪魔の攻撃にもかかわらず、この信頼を忠実に保った。「神に信頼すること! それのみが私に翼を与えます。恐れは私を凍らせ麻痺させて、あらゆる行動を封じます。・・」と自分の経験を言い表している。(1935年11月3日)

 

 

 

 

8.信頼

 

 

P85

 全世界の苦難において神の御愛が働いているように、個人の困難にも絶えず神の御愛が働いている。ある日、コンソラータの幼友だちがやっと九才になるかならぬ子をかしらに四人の子どもを残して突然なくなった。コンソラータが悲しんでいると、イエズスは仰せられた。

 

「チェレステ・カンダは、今天国で永遠の至福を楽しんでいる。そして地上にいた時よりもはるかに優しく四人の子どもたちの霊魂を天からじっと見守っている。」

 

 

 

P94

−イエズス−

「完全な信頼によって神に光栄を与えなさい。あなたの霊魂がどんな状態におかれようとも、天国があなたのために開かれているという確信を失わぬ、と私に誓いなさい。」(1934年10月8日)

 

 

 

P98

−イエズス−

「平和な霊魂は新鮮で純粋透明な水が絶えずわき出る泉のようなもので、私はほしい時に、いつでもその泉で渇きをいやすことができる。だが、もし霊魂に不安がはいれば、ちょうど棒で水底の泥をかき回したようになって、そこから私は飲むことが出来なくなる。」

 

 

 

P98

−イエズス−

「決して不安に思ってはいけない。決して、ほんとに決して!あなたが不安になれば悪魔が満足し、その勝利は確実となる。」(1936年9月24日)

 

 

 

P99

コンソラータは書いている、

「登山者がほんのちょっとすべったくらいで、がっかりし、登るのをやめて、もう頂上を見上げることすらしなくなるなら、なんと愚かなことでしょう。賢明な登山者は、すべるたびごとにすぐ起き上がり、時を少しも損失しない堅い決心をし、少しも不安にならずに、信頼しながらまた登り始めるでしょう。またすべってもすばやく起き上がりどんどん前進するでしょう。善意の霊魂は次のイエズスの教えをよく黙想するでしょう。

 

『コンソラータ、次の二つの霊魂のうち、どちらがより完全だろうか。一方の霊魂は私に向かっていつも“自分は不完全です”と嘆き声をあげるばかりで、重ねてあやまちばかり犯し、決心したことも忠実に守らない。もう一方の霊魂は私に嘆き声を聞かせる代わりにほほえみかけ、できる限りの力をあげて、いつも私を愛し続けることに没頭しているので、自分の意志から犯したのでない欠点をくよくよ考えて時間を損失することがない。どう思うか言ってごらん。』

 

私は二番目の霊魂のほうが好きだと申し上げました。

 

『だから、できるだけの力を尽くして私を愛しなさい。もし私にちょっとそむいたことに気がついたら、もっと熱心に愛の心を起こし、また新たに愛の歌を始めなさい。私は虐待者ではない。イエズスはたったひとつの愛の心に対して罪悪に満ちた全生涯をもゆるすのだから、あなたがたった一日自分の意志でなく無益な思いに浸ったからといって、どうして気がついて問題にしよう?だから繰り返し“イエズスよ、私の悪かったことをごらんください。私はなんと不忠実だったのでしょう。”などと私に嘆くことはむだで、時の損失だよ。それと正反対に、もっと深い熱心なひとつの愛の心を起こせば、あなたの霊魂は恵みに満たされ、私の心を喜ばせる!わかりましたか?・・・自分の意志でない欠点に目をそそぐのはやめなさい・・・』

 

 

 

P100

−イエズス−

「コンソラータ、私の心は、あなたがたの徳よりも、弱さ、みじめさに負けてすぐに引き寄せられる!神殿から出て来た二人の中、どちらがゆるされたか?収税人だったね。(ルカ18・10)謙遜で罪を深く悔いている霊魂を見ると、私はすぐに負けてしまう。・・・私はいつもそうだ。よく覚えておきなさい。私はあなたを愛している。愚にいたるまで・・・いつも愛し続けるだろう。あなたが自分の意志でなくあやまちを犯しても。だからあなたのあやまちのために私が約束を守らないだろうと、決して、決して、決して、少しでも疑ってはならない。

 

一度もそうしないね!コンソラータ。もしあなたが疑えば、私の心を深く傷つけるのだよ!私だけがあなたの弱さを底の底まで知り、私だけが人間性のもろさを、そっくりそのまま知っている。コンソラータ、あなたは、決して、決して、決して、私が約束を守るかどうかと疑う罪を犯してはならない!私に約束してほしい、そんな侮辱を決して私に与えてはならない。そんなことをすれば私をひどく苦しめるだろう!」

 

 

 

P104

−イエズス−

「あのね、コンソラータ、きょう、あなたの霊魂の空は、自然の空のように晴れて、ばら色、水色に輝いている。だがまもなく愛と信頼に満ちた美しい空は、底しれない暗黒に閉ざされるだろう。コンソラータ、勇気を出しなさい!その時こそは実りの多い試みの日だ!実際に神に愛と信頼を証明する時だ、信頼しなさい。いつもイエズスに信頼しなさい!それがどんなに私を喜ばせるかを知ったら!死の暗やみの中でさえ、あなたは常に信頼して私を慰めてくれないか。どんな暗やみに取り囲まれても『イエズス、あなたを信頼いたします!』という声でいつも私を喜ばせてはくれまいか。」(1935年11月27日)

 

 

 

P105

−イエズス−

「何が私をあなたの霊魂にひきつけるかわかるだろうか。それはあなたが私に対してもっている盲目的な信頼だ。」(1935年8月6日)

 

 

 

P106

−イエズス−

「あなたの盲目的な、子どものような無限の信頼は、たいへん私を喜ばせる。私があふれる愛と優しさであなたに身をかがめるのはそのためだよ。」(1935年10月20日)

 

 

 

P110

−イエズス−

「コンソラータ、あなたは教会内の『信頼』のかたどりとなるだろう。」

 

 

 

 

9.絶え間ない祈り

 

 

P82

言い表せぬほど困難な仕事の連続で息もつけなかったある一日の終わりに、コンソラータはイエズスに向かい、こんなに多くの仕事に圧倒されて、イエズスに対し愛を絶え間なくささげることができなかったから、ゆるしてくださるようお願いしたが、主は慰められて仰せられた。

 

「大きな霊魂にとっては、欠点となることも、小さい霊魂にとっては欠点とならない。そしてあなたは小さい霊魂だね。私は欠点をみな、善いものに変えてもよろしい。私があなたのうちで愛したのだから、あなたのきょうの一日を、ひとつの絶え間ない愛の祈りとして数えよう。」

 

 

 

 

10.主は世界を救うことを誓われる

 

 

P84

−イエズス−

「コンソラータ、私は犠牲となる霊魂が必要である。世界は破滅へ向かって進んでいる。しかも私は世界を救いたい。コンソラータ、悪魔は、ある日、あなたを破滅させようと誓った。だが私は、あなたを救おうと誓った。どちらが勝ったか?

 

悪魔はまた、世界を破滅させようと誓った。そこで私は世界を救おうと誓う。私は世界を、私の慈悲と愛との勝利によって救うだろう。そうだ、私は世界を、私の深い慈愛によって救う。・・・このことを書いておきなさい。」

 

 

 

 

11.主は神

 

 

P90

−イエズス−

 

コンソラータ、私を信頼しなさい!いつも私を信頼しなさい!私が必ず成し遂げることを盲目的に信じなさい。私は限りもなく優しく、あわれみに満ち、『悪人の死を望まず、かえってその罪人が改心して、生きることを望む』(エゼキエル33・11)のだから。」

 

 

 

P96

コンソラータ

「あなたの神としての御目をひきつけるものは、私には何もありません。」

 

 

 

P106

−イエズス−

 

「コンソラータ、何も恐れてはいけない!あなたが決勝点へ向かってすばらしい早さで飛翔するのをだれも止めることができない。私があなたといっしょにいるから。だからあなたは盲目的に完全に私に信頼しなさい。私はそれを喜ぶ。私があなたを材料としてどれほどの成聖を造りうるか、今にわかるだろう!

 

 何も、そしてだれも恐れてはならない!神があなたといっしょにいるのだから!神はあなたのことをいつも配慮し、神の目のひとみのようにあなたを守っている。私はこれをあなたに誓う。あなたは完全にイエズスの計画どおりにするだろう。聖福音のいうとおり、生ける水の川が彼のふところから流れ出るであろう。」(ヨハネ7・38)

 

 

 

P111

解説より:

愛の生活に進歩したいと望む霊魂は、徹底的にひとつのことを確信せねばならぬ。それはあわれな被造物である私たちから、イエズスが愛のほか、何も求めたまわぬことである。すべてのものは、イエズスの創りたもうたイエズスの所有物であるから、私たちが神に最も大きなもの―生命さえもささげたとしても、それはすでにイエズスのものであって、私たちが、ささげないでも、イエズスは私たちから自由に生命を取り上げることもおできになるのである。

 

しかし愛については違う。愛は人の自由にかかっているので、人は神を愛することを自由に拒むことができる。だが神は、愛を望み、愛を要求したもう。―それこそ人間を創造した目的だから。神は第一のおきてとして「神を愛せよ」と定め、このおきてを守らねば永遠の生命を得られないとした。神は人の心の愛を全部望んでいられる。―心を尽くし、霊魂を尽くし、精神を尽くし、全力を尽くして愛されたいと。

 

そしてこの愛をうるため、神は天から降って人となりたまい、そればかりではなく、乞食のように、被造物の足もとに「私に飲ませてくれないか。」と請いたまい、遂には十字架の上でさらしものとなり、血の御声をふりしぼって「私は渇く!」とお望みになられた。

 

 愛を求める神のこの叫びは、聖書を通して二十世紀間響き続け、聖マルガリタ・アラコックの聖心の啓示に至ってますます強く訴えかけ、更に最近小さき花の聖テレジア、コンソラータに対する示現を通して、いよいよ熱を帯びてきた。

 

 

 

 

12.罪

 

 

P97

コンソラータは書いている。

「ある晩、私は心細くなって聖ひつの前ですすり泣いていました。『イエズスよ、私はいつも同じです。お約束しては、すぐにまた・・・』その時イエズスはお答えになりました。『私もまたいつも同じで変わらない。』そのご声音は、私の心細さを喜びに変えるに十分でした。もしイエズスさえお悲しみにならないなら、なぜ私がそんなに悲しむことがありましょう?」

 

 

 

P98

−イエズス−

「もしなにか罪を犯したら、くよくよと悲しまずに、急いで来て、その罪をみな私の心の中に入れなさい。それからその罪の反対の善徳を実行する決心を強めなさい。しかし落ち着いて静かにやりなさい。そうすればあなたの罪のひとつひとつは、すべて、進歩への一歩一歩となるだろう。」(1935年11月2日)

 

 

 

 

12.「雷様」

 

 

P102

だれでも欠点や不完全さをもっている。コンソラータももっていた。その欠点は人目につきやすいものだったが、コンソラータは隠そうとせず、かえって人目につくことを喜んだ。それは憤慨することだった。コンソラータは性急で激しい性質なので、「雷様」というあだ名をもらっていた。

 

 

 

 

13.失敗・・謙遜の源

 

 

P104

−イエズス−

「あなたは決して転ばず、常に忠実で完全であろうように私がはからうと約束してもらいたいの? それはとてもだめだよ。コンソラータ、私はあなたにうそをいうことはできない。あなたは罪を犯し、不忠実で不完全なことをするだろう。それらは謙遜の源となり、あなたの進歩を助けるだろう。」

 

 

 

 

14.使徒たちの使徒

 

 

P106

−イエズス−

 

「コンソラータ、私はあなたを使徒たちの使徒としよう。」(1935年10月22日)

 

「人々にどれほど神に信頼すべきかを告げるため、ひとりの幼児を使徒たちの使徒として召し出した神は、その幼児を信頼の使徒とした。またその幼児が、あらゆる試練に耐え、目的地に凱旋できるように剛毅の精神を与えた。」(1935年12月10日)

 

 

 

 

15.恐れてはならない

 

 

P106

−イエズス−

 

「コンソラータ、何も恐れてはいけない! あなたが決勝点へ向かってすばらしい早さで飛翔するのをだれも止めることができない。私があなたといっしょにいるから。だからあなたは盲目的に完全に私に信頼しなさい。私はそれを喜ぶ。私があなたを材料としてどれほどの成聖を造りうるか、今にわかるだろう!

 

 何も、そしてだれも恐れてはならない! 神があなたといっしょにいるのだから! 神はあなたのことをいつも配慮し、神の目のひとみのようにあなたを守っている。私はこれをあなたに誓う。あなたは完全にイエズスの計画どおりにするだろう。聖福音のいうとおり、生ける水の川が彼のふところから流れ出るであろう。(ヨハネ7・38)

 

 イエズスに信頼しなさい! いつも! それがどんなに私を喜ばせるかをあなたが知りさえしたら! 死の影の中でさえ、私に信頼して私を慰めてくれないか。決して何ものも恐れてはいけない! 完全にいつもイエズスにのみより頼みなさい! 暗やみがあなたの霊魂を取り囲もうとも、その時こそ、より熱心に『イエズス、私はもうあなたが見えず御声も聞けません。けれども、あなたに信頼いたします!』と繰り返しなさい。どんな試練にあってもそうしなさい! コンソラータ、あなたの信頼は大きなものだ。だが試練の日には、その信頼を英雄的にしなさい!」(1935年11月3日)

 

 

 

 

16.戦い

 

 

P108

コンソラータ:

それで自分自身に対し、また人々と悪魔に対して断固たる決戦が始まります。私のイエズスよ、私はあなたに定められた時よりも一分でも早く、また私の罪により一分でもおそく天国にはいりたいと望みません。

「イエズスがもし私の味方ならば、だれが私に反対することができましょうか?」(ローマ書8・31参照)

 

 私のイエズスよ、今の瞬間から最後の瞬間まで、私の中に無益な考えや疑い、不安、落胆が一つでも入り込むことを絶対許しません。イエズス、起きるとすぐに愛の心を起こし、あらゆる敵の攻撃にも負けず、夜寝る時までその愛の心を続けることを決心します。イエズス、あなたのお助けにより、常にあなたを見、あなたと話し、すべてにおいてあなたに奉仕する決心です!

 

 

 

 

17.神の全能・・・神は私から聖人を創り出すことができる

 

 

P109

コンソラータ:

「ある日、ご聖体の前にひざまずいて信心書を開きますと『私はあなたの全能を信じます。』ということばが強く心を打ちました。神の全能! 私のひどい弱さ貧しさにもかかわらず、神は私から聖人を創り出すことができるのです。神の光により、新たに強い希望と確信がわいてくるのを感じました。神に信頼すること! 神はなんでもおできになるから私の無限に大きい望みをかなえることができるはずです! イエズス、あなたの全能のお力により、この瞬間からどんなことでも喜んですぐにします。全能によって、この奇蹟的な変化が起り、私の本来の弱さの代りに、神の強さがおき代えられました!」

 

 

 

 

18.主は人間の愛に渇き給う

 

 

P111

解説より:

神との一致を熱望しながら、困難な道にさまよい、休息もせず飢えかわいている者がどんなに多いだろう。彼らのすぐ目前に、まっすぐでやさしく安全な道があるのに。―それは愛の道である! コンソラータは最も規則のきびしい観想修道会にはいっていたが、イエズスはコンソラータに、ただ愛のほか何も求めなかった。

 

イエズスのお示しがいっぱいしるしてあるコンソラータの日記には、「私のみを愛しなさい。」「常に私を愛しなさい。」「私を深く愛しなさい。」「私はあなたから愛のみを求めています。」などのことばが数百回繰り返されているのが見られる。それは創造主が被造物の愛を渇望したもう、絶え間なき、熱烈で、感動的なお招きである。

 

その愛を、神は大部分の人々、神に全く身をささげた多くの人々からさえ、完全にはお受けになれず、聖心の渇望をよく理解し、それにこたえる小さな霊魂の間を請い歩いて、その愛を求めていられるのである。

 

 

 

P112

−イエズス−

 

「私は無邪気な幼児の心、愛を全部与えてくれる霊魂によって愛されたい。」(1935年10月15日)

 

 

全世界が愛の火に燃えるように、この小さい霊魂を通してイエズスは愛を求めたもう。

 

「コンソラータ、全世界のあらゆる霊魂のために、彼らに代って私を愛しなさい。私は愛に飢えかわいている。非常に!」(1935年10月13日)

 

 

「コンソラータ、私を愛して! 私はかわく人が新鮮な水のわき出る泉を恋い慕うように、あなたの愛に飢えかわいている。」(1935年11月9日)

 

 

「コンソラータ、これを書きとめなさい。あなたが一度でも愛の心を起こしてくれたら、私は天国を創造するだろう。」(1935年11月3日)

 

 

「コンソラータ、あなたが絶えず私を愛してくれる時、私はあなたの心の中で天国を楽しむことができる!」(1935年11月9日)

 

 

 

 

19.新しい聖霊降臨

 

 

P113

−イエズス−

 

「コンソラータ、あわれな罪深い人類のために、あなたがゆるしを願いなさい。そして私の愛の勝利を願いなさい。新しい聖霊降臨において、燃えさかる神の愛の火が、人類の多くの罪を清めるよう願いなさい! 神の愛のみが、背教者を使徒に、汚れた百合を潔白無垢に、敵意に燃えて反逆する罪人を、愛の獲物に変化することができる! あなたのため、また今、地上にあるものと、世の終わりまで存在するすべての霊魂のために、私の愛の勝利を願いなさい。あなたの絶え間ない祈りによって、私の聖心と愛が、全世界に勝利を占めるよう、準備しなさい。」(1935年12月16日)

 

 

 

 

20.主との絶え間なき一致

 

 

P118

―イエズス―

「たとえどんな理由があっても、イエズスから目を離さないようにしなさい。そうすれば、永遠の岸にもっと早く着くだろう!」

 

イエズスはコンソラータを他の人々から引き離さず、いつも共同生活において、休憩時間に加わること、その他あらゆることを共同でするよう命じた。けれどもコンソラータは、いつでも、どこでも、イエズスから心と精神を離さぬよう注意せねばならなかった。