クリスマス・奉殿記念祭

1.奉殿記念祭(クリスマス?)

2.主はこの日に生まれられた

3.クリスマス・ケーキ

4.クリスマス・ツリー

5.贈り物

6.宴・誕生日

 

 

 

1.奉殿記念祭

 

 

あかし書房/マリア・ワルトルタ/マグダラのマリアP117

 

『奉殿記念祭』の注書きより

 

 ヘブライ語で“ハヌッカ”アンティオコス・エピファレスによって汚されたエルサレムの神殿の清めを記念する祭りで(BC165〜64年)カスレウ(今の12月)の25日から始まり、4日間祝った。神の不意の援助を象徴する、ともされる多くの灯りのために聖火の祭りとも言われた。

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリアP102

 

『羊飼いたちとともに、ラザロの家での奉殿記念祭』

 

 もともと豪華であるラザロの邸宅は、今晩はいちだんと華麗きわまりない。ともされている灯りの数のために燃えている感じで、その光は夜が始まるこの時刻には外にまであふれ、小道の砂利、花壇の草花を黄金でかざるように長く広がっている。その向こうでは、明るい月がすべての物に注いでいる光が、純金の衣服のようにも見える。壮大で美しい庭をとり巻く沈黙も噴水の落ちる音だけが破り、家のそばに数多い嬉しそうな声々は、動かされている家具と食卓に運ばれる食器の楽しそうな音とともに聞こえる。

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリアP105

 

ラザロ:「私たちのある友だちによると、あなたがお生まれになった時、ベトレヘムは遠い奉殿祭のために燃えていたと聞いています。今晩、あなたがここにおられることを私たちも彼らも喜んでいます。彼らとはだれ?とお聞きにならないのですか」

 

イエス:「弟子たちとベタニアの愛する方たちのほかに友だちといえるのは羊飼いたちしかいない。では、彼らのことですか。ここに来ているのですか。何のために?」

 

羊飼いのイザク:「われらのメシアである、あなたを拝むために。これを私たちはヨナタから知ったが今ここにいます。われわれの羊の群れは、今ラザロの小屋近くあって私たちの心は今も、いつものようにあなたの聖なる足元にいます」とイザクは今ひれ伏しているエリヤ、レビ、ヨゼフとヨナタ(・・羊飼いたち)の代わりに話しました。

 

 ヨナタは主人に愛されている執事のやわらかい服を着ている。イザクは水を通さない、暗い栗色の重い毛織の疲れを知らない旅人の服、レビ、ヨゼフとエリヤはラザロからもらった服を着ている。食卓について羊の匂いを感じさせないように、貧しいぼろぼろの服の代わりの新しい清い服である。

 

 

2.主はこの日に生まれられた

 

(上からの続き)

 

イエス:「では、このために私を庭に送りだしたのでしょうね。神は、皆さんを祝福されますように。私の幸せには母だけが足りない。さあ皆お立ちなさい。母なしにする私の最初の誕生日です。しかし、あなたたちは私の悲しさ、母の口づけのノスタルジーをやわらげる」

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P320

 

聖母:

「でも、これだけは知っていました。光の祭りの日に世の光が生まれることを」

 

 

3.クリスマス・ケーキ

 

あかし書房/マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々P178

 

 使徒たちも奉殿記念祭(光の祭りとも言われていた)が近づくと、興奮しておしゃべりになり、何年も前の祝いを楽しそうに思い出し、感傷に浸っている。ヨハネ(・・使徒ヨハネではない)の家では灯りが少ない。トマは灯りを取りに、ラマまで走って行く。そこには灯りが余るほどある。ベッツールでは余分の油があるので、アンドレアとヨハネは油を取りに行く。パン菓子を焼くには柴のやわらかい火が要るので、二人のヤコボはそれを集めるために山の方へ行く。小麦粉、大麦と蜜はニケを頼りにする。彼女はほとんど何時も頼まれたことがないので、自分の所有地から取れる蜂蜜、大麦と粉を頼まれるのを待っていた。そこでペトロと熱心もののシモンがニケの所へ行き、アルフェオのユダが家を掃除するエリーザの手伝いをし、年寄りのバルトロメオさえも皆の楽しみに加わって、フィリッポと一緒に煙で黒くなった台所に石灰を塗っている。

 

 

4.クリスマス・ツリー

 

(上からの続き)

 

ケリオットのユダは装飾の役割りを進んで引き受け、外から香り高い常緑樹の枝を運んできて、芸術的に囲炉裏のそばの梁を飾りつける。奉殿記念祭の前日になると、家々は花嫁を迎えるようにきれいに整えられる。白い壁には新鮮な枝が飾られ、パンとパン菓子の匂いが家いっぱいに広がる。

 

5.贈り物

 

(上からの続き)(中略)

 

この祭日には贈り物を交わす習慣があるらしく、年寄りのヨハネが台所のそばの自分の部屋に退いたとたんに、エリーザと使徒たちはそれぞれの贈り物に最後の手を加えにかかる。エリーザは服を仕上げ、他の使徒たちは木で彫った便利な道具を磨いたり、鮮やかな色の紐で結んで漁師の網を包んだりしている。

 

 

6.宴・誕生日

 

静思社/スウェーデンボルグ/天界の秘義5161

 

 古代ふるまい[宴、うたげ]が色々な理由から設けられたが、それにより相互愛へ徐々に導入され、かくて連結することが意味されたのである。それはまた誕生日にもうけられ、そのときは新しく生まれたことを、または再生を表象したのであり、それは愛を通して人間の中に内的なものが外的なものと連結することであり、従って天界が人間の中に世と連結することである。なぜなら人間の中の世的なもの、または自然的なものがそのとき霊的なものと天的なものと連結するからである。

 

 

天界の秘義7996

 

過越しの夕食は天界における善良な者たちのいくたの交わりを表象したが、以下に記されている法令の中には、たれがともに交わることができるか、またたれが交わることができないかが言明されているのである。全般的に、饗宴は、その正餐も、晩餐も、古代では教会の中で行われたが、それはかれらが愛の方面でともに交わり、また連結し、愛と信仰とにぞくする事柄を、かくて天界の事柄を互いに教え合うためであったのである(3596,3832、5161)。

 当時そうしたものがかれらの宴会から生まれる歓喜であり、またそうしたものがその正餐と晩餐との目的でもあったのである。かくて心と身体もまた(ともに)一致し、相応して、栄養を与えられ、そこからかれらは健康と長命を得、またそこから理知と知恵を得、またそこから天界と交流し、ある者は公然と天使たちと交流もしたのである。しかし時が経つ中に内なる事柄はすべて消え去り、外なる事柄に移って行くように、きょう宴と宴会との目的も消え去り、今日ではそれは何ら霊的な連結のためのものではなくて、たんに世的な連結のためのものとなっているのである。すなわち、利得のためのもの、名誉を追求するためのもの、快楽を追及するためのものとなっており、そこから身体は栄養を与えられてはいるが、心は何らそれを与えられてはいないのである。