頭で分かっていても

 

 

神の愛と知恵39

 

人間の中には愛と知恵とは二つの分離したものとして現れているが、しかしそれらはそれ自身では区別のある一つのものである、なぜなら人間においては知恵は愛の如何に応じ、愛は知恵の如何に応じているから。愛と合して一つのものとならない知恵は知恵のようには見えるが、しかし知恵ではない、知恵と合して一つのものとならない愛は知恵の愛のようには見えるが、しかし知恵の愛ではない、なぜなら一はその本質とその生命とを他から相互的に得なければならないからである。人間には愛と知恵とは二つの分離したものとして現れている、なぜなら人間には理解する能力は天界の光の中へも挙げられることが出来るが、しかし愛する能力は、人間がその理解に従って行動しない限り、挙げられることは出来ないから。それゆえ、知恵の愛と一つのものとなっていない外面的な知恵は、それと一つのものとなっている愛に後退するが、これは非知恵の愛、実に、狂気の愛であり得るのである。かくて人間はこの事またはあの事を行わねばならないことを知恵により知ることは出来るものの、しかもそれを愛さないため、それを為しはしない。しかし人間は知恵の教えるところを愛から為すに従って、神の映像となる。