アララテ山
天界の秘義854
『アララテの山』は光を意味することは、『山』の意義が愛と仁慈の善であり(795番)、『アララテ』の意義が光であり、実に再生した者の光であることから明らかである。再生した者の新しい光は、または最初の光はその存在を信仰のいくたの真理のいくたの知識から取得しないで、それを仁慈から取得している。信仰の諸真理は光線に似ており、愛はまたは仁慈は焔に似ており、再生しつつある者の光は信仰の諸真理から発していないで、仁慈から発しており、信仰の真理そのものはそこから発している光線である。かくて『アララテの山』はこうした光を意味していることが明らかである。これが試練の後に認められる最初の光であり、それは最初のものであるため、明確なものではなく、ルーメン(lumen)と呼ばれているが、ルックス(lux)とは呼ばれていない。
天界の秘義855
これらの事柄からこの節の内意に意味されていることが、すなわち、霊的な人は仁慈から由来した新しい知的な光により聖い『休息』であることが今や明らかである。これらの真理は極めて驚くべき多様性をもって、また極めて快い秩序をもって天使達により認められており、人がこうした観念[考え]の一つでも得ることができさえするなら、無数の事柄が多様に連続してかれに入り、かれを感動させるであろう、実に到底記すこともできないような事柄がかれに入り、かれを感動させるであろう。ここに『箱舟は第七月に、その月の十七日に、アララテの山に休んだ[止まった]』と言われている時のように、主の聖言は文字のうえでは粗雑な歴史であるように見える時でさえも、その内意では至る所このようなものなのである。