アラビア
天界の秘義382
あなたは行ってアラビヤを攻め、東の息子らを荒らせ。逃げよ、大いにさまよえ。ハゾルに住む者らは住居のために淵に降った(エレミヤ記49・28,30)。
『アラビヤ』と『東の息子ら』は天的な富を、または愛に属したものを所有することを意味し、それが荒廃すると、『逃げる』『さまよう』と言われ、すなわち、善いことを一つとして行わない時、『逃亡者、さまよう者』であると言われている。『ハゾルに住む者』または信仰に属した霊的な富を持つ者については、かれらは『淵に降った』、すなわち、滅ぶと言われている。
天界の秘義3268[3]
『ケダル』がアラビアであることは以下の記事から明白であり、アラビアはイシマエルの息子に因んで『ケダル』と呼ばれたことは、両方の節の中に地または国民が列挙されていて、その凡てのものはアブラハムの息子また孫に因んで名付けられ、例えばミデアン、エパ、シバに因んで名付けられ(そのことについては前の2−4節を参照)、ここにも同じようにケダルとネバヨテが列挙されているという事実から明白である。
天界の秘義3268[4]
エゼキエル書には―
アラビアとケダルの君の凡て、これらのものはあなたの手の商人であり、小羊と雄羊と雄山羊を、これらのものをかれらはあなたと商った(エゼキエル27・21)。
これはツロを、すなわち、善と真理の知識の中にいる者たちをとり扱っている。(『ツロ』はこうした意義を持っていることは前の1201番に見ることができよう)。『アラビア』は霊的な善を、『ケダルの君』は霊的な真理を、『小羊、雄羊、雄山羊』は霊的な善と真理とを意味している。
天界の秘義3268[6]
しかし善にいないため、真理にもいない者らは『荒野のアラビア人とケダル人』により表象されている者である、例えばイザヤ書には―
バビロンには永久に人は住まず、アラビア人もまたそこには天幕をはらないであろう(イザヤ13・19、20)。