アンナ

 

1.神殿に奉献されたマリアの先生

 

 

1.神殿に奉献されたマリアの先生

ルカ2・36−38

また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P60

(幼いマリアが神殿に奉献される時、ザカリアが父ヨアキムに)

「(前略)さあ、元気を出しなさい。預言者のアンナが、ダヴィドとアロンとの、この小さな花をとてもよく世話してくれるでしょう。(後略)」

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P62

左には預言者のアンナと、先生と思われる年配の他の婦人と一緒に、娘たちの真っ白い姿をしたグループがいる。

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P67

 非常に若いマリアを見る。多分、十二歳位で、その顔は、幼児の特徴の丸顔ではなく、だんだん卵形に近づいて成人する未来の輪郭を現している。髪も首に垂れた巻毛ではなく、薄い金色のお下げに編んで、背中に垂らしている。顔にはまだ少女のあどけなさが残っているにしても、考え深げな美しい清いおとめである。真っ白い服を着て、これも真っ白のとても小さな部屋で縫い物をしている。開いている窓から、神殿の中央の壮大な建物と、いくつもの庭に階段と廊下が広がっているのが見え、とり囲んでいる壁の向こうには、町の通り、家々、いろいろな庭と、一番奥にオリーブ山のせむしのような緑の頂が見える。

(中略)

 マリアが、心の祈りを終って立とうとする時 ― その顔にまだ脱魂の光が残っているうちに ― ファヌエルのアンナが入り、マリアの姿を見てびっくりしながら、感激して「マリア」と呼ぶ。マリアは前とちがうが、いつも美しいほほえみで振り向いて挨拶する。

「アンナ、あなたに平和」

「祈っていたのですか?あなたは、いつになっても祈りは足りないようですね?」

「祈りのことでしたら足りないことはないのですが、私は神様と話しているのです。アンナ、あなたは私が神様をどんなに身近に感じているか、近くというより、どんなに心の深くで感じているか想像できないでしょう。神様はこのような傲慢をゆるしてくださいますように・・・。私はひとりぼっちであると感じたことはありません。(後略)」

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P72

(アンナがマリアに)

「あのお方を、こんなに愛しているあなたはキリストの母になるかもしれない!処女として、ずっと生きたいのは、そのためですか?」

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P73

(前略)

 アンナも少しの間、黙っている。それから感激した老婦人は、威厳のある明るい声で言う。

「マリア、私に教えてくれることは、他にまだありますか?」

 マリアはふと我に返る。謙遜で、先生が自分を咎めているとでも思ったかのようにあわてる。

「おお、おゆるしください!あなたは先生で、私はとるに足らぬものです。しかし、この声は心から出るもので、私は話さないように絶えず警戒しているのですが、強い激しい波が土手を壊す川のように、今その声はあふれて私を押し流したのです。(後略)」

 アンナはマリアを抱き寄せ、しわのある年取った顔は涙で光る。マリアは老先生のの胸の中に小さな顔を隠し、その腕の中にいる。

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P228

 

 シメオンが、苦しみを告げる時に、マリアのほほえみは消える。彼女が“知ってはいても”そのことばは心に刺さる。何か慰めを求めるかのようにヨゼフに身を寄せ、熱狂的に子供を胸に抱きしめ、乾いた心でアンナのことばを聞く。アンナが、女らしく彼女の苦しみに同情し、永遠なるものは、苦しみのその時をこの世ならぬ力をもって和らげられるだろうと約束する。

 

「女よ、ご自分の民に救い主を与えたお方が、あなたの涙を慰めるために、ご自分の天使を送るのを怠るはずはない。イスラエルの大いなる女に、主の助けが与えられなかったことはない。それに、あなたはユディトやヤエルにどれだけ勝ることか。われらの神は、苦しみの海に抵抗するために、あなたに純金の心を与え、それによって、あなたは創造の世界の最も偉大なる女“母”となるのです。そして幼な子よ、あなたの使命を果たす時に、私のような者も思い出してください」

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P231

(主がマリア・ワルトルタに)

“第二の教訓”これは、アンナのことばである。女預言者であった彼女も、生まれたばかりの私が、メシアであると分かった。これは、預言の賜によって、当然のことでもあった。しかし、信仰と愛とに押されて、私の母に何を言ったかを、あなたも聞きなさい!そして、このことばを、この闇の時にふるえる、あなたたちの心の光りとしなさい。

 

『救い主をお与えになったお方には、あなたの、“あなたたちの涙”を慰めるために、ご自分の天使を送る力が足りないはずはない。神は人間の心にサタンの業を空しくするために、ご自身を与えられたと考えよ。それなら“今”あなたたちを虐げるいろいろなサタンに、打ち勝てないことがあろうか?このようなサタンたちを追放して、新たな、ご自分のキリストの平和を送って、あなたたちの涙を拭うだろうかと?なぜ、このことを信仰をもって神に頼まないのか。生きる力強い信仰、それを見れば、あなたたちの多くの罪のために怒った神の厳しさは和らげられ、ほほえみに変わり、あなたたち自身が望んだ血の大洪水に沈むこの世の上に、祝福の虹になるゆるしを与えてくださるだろう』