アマレク

 

1.内的な悪から発した誤謬

 

 

 

 

1.内的な悪から発した誤謬

 

 

天界の秘義8593

 

「アマレクが来た」(出エジプト記17・8)。これは内面的な悪から発した誤謬を意味していることは、『アマレク』の意義から明白であり、それは内的な悪から発した誤謬である(そのことについては以下を参照)。内的な悪から発した誤謬の中にいる者らはたれであり、またいかようなものであるかを先ず述べなくてはならない。内的な悪は人間の内部に潜伏し、意志に隠れ、そこから思考に隠れている物であり、その痕跡さえもが、彼の行動、言葉、顔といったその外なるものの中には現われてはいないのである。こうした悪の中にいる者らはそれを凡ゆる方法と技巧を弄して尊い公正なものに見せかけ、また隣人愛に見せかけもして、その下に隠し、秘めようと研究はするものの、それでもその者自身の心の中では、悪を加え得る方法以外には何事も考案してはおらず、為し得る限り、他の者を用いて(他の者を手段として)悪を加え、それが彼らから発してはいないように見せかけるようにと注意しており、またその悪が悪でないように見せかけるように、それに着色もしているのである。彼らの生命の最大の歓喜はこうしたことをもくろみ、それを秘かに企てることである。これは内的な悪と呼ばれている。この悪の中にいる者らは『悪い魔鬼』と呼ばれ、他生では、外的な悪の中にいて、『悪霊』と呼ばれている者らからは完全に分離されている。魔鬼は人間の背後に、即ち、その背中に彼らの地獄を持っていて、そこの色々な洞穴の中にいるが、悪霊は人間の前に、また左右にその地獄を持っている。巨大人の中ではこれらの魔鬼は小脳の領域に属し、また繊維と神経とを不随意の部分[無意識の部分]に送っている脊髄の部分にも属している。

 

 

 

天界の秘義8593[2]

 

更に、この悪から発している誤謬については、それは悪霊の悪から発している誤謬に似ていないのである、なぜならそれはそれ自身において悪であるからである。この悪の中にいる者らは信仰の諸真理を攻撃しないで、信仰の諸善を攻撃するのである。なぜなら彼らは堕落した[腐敗した]情愛により活動し、それにより善い考えを歪め、しかもそれを殆ど理解も出来ないような方法でやってのけるのである。彼らはこうした性質を持っているため、その地獄は悪霊の地獄からは完全に分離され、殆どそれとは交流を全く持ってはいないが、これは彼らが霊的な教会の人間から分離するようにとの理由によっているのである、なぜならもし彼らが万が一にもその地獄から流れ入るとするなら、その教会の人間は全く破滅してしまうからである、それは彼らは最も秘かな方法でその人間の良心に働きかけて、それを歪め、しかもそれを腐敗した情愛を吹き込むことによりやってのけるためである。こうした奈落の魔鬼は人間を公然とは決して攻撃はしないし、また彼が強く抵抗出来るときには攻撃もしないが、人間が倒れつつあって、降伏しそうに見えるとき、彼らは突然身近に現われて、彼を完全な敗北へと突き落とすのである。このこともまたアマレクが今イスラエルに襲いかかり、後にもまたイスラエルの子孫がエホバに対抗し、カナンの地の諸民族を恐れた時にも襲いかかったという事実により表象されているのである―

 そのときアマレクは山からカナン人と共に下ってきて、イスラエルの子孫を打ち、ホルマにまでも達した(民数記14・45)。

 

 

 

 

天界の秘義8593[3]

 

この凡てから、本章の最後の節の以下の言葉に従って、アマレクにより表象されている者らの性質の何であるか、また彼らとは絶えず戦いが行われて、彼らの記憶は天の下から抹殺されなくてはならないという審判がなぜエホバからアマレクに下されたかを認めることが出来よう―

 

悪の手がヤーの王座に反抗して向けられているため、代々アマレクとエホバは戦われるであろう、

また申命記には―

 あなたがエジプトから出てきたとき、その途でアマレクがあなたに行ったことを憶えなさい、彼は道であなたに会い、あなたの中で一番後にいた者たちを、弱い凡ての者を、あなたが弱り、疲れていたときに打ち、神を恐れなかったことを(憶えなさい)、あなたの神エホバがあなたに休みを与えられたとき、あなたは天の下からアマレクの記憶を消し去ってしまわなくてはならない、あなたは忘れてはなりません(申命記25・17−19)。

 

またサムエル前書には、そのことがエホバによりサムエルを通しサウルに言われているのである―

 

 

それでサウルはイスラエルを治める王は重ねて彼からは生まれはしないと宣告されたのである(サムエル記上15・1−3、9、23、26)。

 

 

 

天界の秘義8593[4]

 

深く秘められている理由がなくては、『アマレクと絶えず戦いが行われる』、『彼らの記憶は天の下から消し去られる』、『彼のもとにある物は凡て呪われる』とはエホバは決して言われはしなかったであろうし、それにも拘らずそのことは為されはしなかったことをたれが認めることは出来ないであろうか。なぜこうした事柄が言われもし、行われもしたかという深く隠れた理由は、サウルから赦されたアマレクの王マガグに言われたサムエルの言葉の中に含まれているのである―

 アマレクの王アガグはいそいそとサムエルのもとへ来た、が、サムエルは言った、おまえの剣は女たちから(子供)を奪った、それでおまえの母も女たち以上に子供を奪われるであろう、と。で、サムエルはエホバの前に彼を切って粉々にした(サムエル前書15・32、33)。

 『いそいそと行く』はこうした霊が他の者の前では外面的にはこびへつろうことを意味し、『おまえの剣は女たちから(子供を)奪った』は、これらの霊の誤謬は善良な情愛に暴行を加えることを意味し、

 

 

 

 

天界の秘義8607

 

「アマレクは勝った」。これはそのとき誤謬が征服したことを意味していることは以下から明白である。すなわち、「勝つこと」の意義は征服することであり、アマレクの表象は内的な悪から発した誤謬である(8593)。

イスラエルがときには征服し、ときにはアマレクが征服したことにより、霊的な教会にぞくした者たちは絶えず主を仰いでいる信仰の中にいることはできず、自分自身と世とを見つめる信仰の中に交互にいることが表象されたのである。なぜならその教会にぞくしている者たちは、信仰については、明確でない状態の中におり、したがって、脆弱(な状態)の中にいるからである(これがかれらの特質であることについては、2708,2715,2718,2831、2935、2937、3833、6289、6500、6639、6865、6945、7233を参照)。

ここからアマレクは抹殺されなくてはならないという命令にも拘らず、かれはヨシュアによって絶滅されず、後には士師たちによっても、王たちによっても、カナンの地では絶滅されはしなかったのである。