悪を罪として避けるに比例して真理を愛す
生命34
こうした前提から以下のことが生まれてくる、即ち、たれでも悪を罪として避けるに比例して、彼は真理を愛しており(なぜなら前章に示されたように、それに比例して、彼は善にいるからである)、またたれでも悪を罪として避けないに比例して、彼は善にいないため、真理を愛してはいないのである。
生命35
実際悪を罪として避けていない人間でも真理を愛することは出来るが、それでもその者はそれをそれが真理であるために愛するのではなくて、それが彼の世評に有利であり、そのことによって彼の名誉または利得に有利であるために、それを愛するのであって、それでもしそれがそのことに有利でないなら、彼はそれを愛しはしないのである。
生命45
それでこの凡てから、前に示したように、ちょうど人間が悪を罪として避けるに応じて、ちょうどそれだけ善にいるため、ちょうどそれだけ信仰を持っていることが生まれてくる。このことはまたその反対のことにより確認される、即ち、悪を罪として避けない者は、悪におり、悪は内的に真理を憎んでいるため、信仰を持ってはいないのである。外面では実に彼は真理の友として活動し、それを理解の中に存在させておきもし、それをそこに持つことを愛しさえもしているかもしれないが、死後行われることではあるが、外なるものが脱ぎ棄てられると、彼は先ずこの世の彼の友であった真理を棄て去り、それからそれが真理であることを否定し、遂にはそれに嫌忌を感じるのである。